はてなキーワード: 岡田斗司夫とは
フィクションにおける古代文明はわりと人類共通の「黄金時代神話(昔はよかった神話)」によるもので、
「黄金時代」の言葉のルーツはギリシャ神話である。ヘシオドスの『仕事と日々』によると、かつてクロノスが神々を支配していた時代が、黄金時代である。
黄金時代には、人間は神々と共に住んでいた。世の中は調和と平和に満ち溢れて、争いも犯罪もなかった。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった。人間は、不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいった。
その後、ゼウスがクロノスに取って代わると、黄金時代は終わりを告げ、白銀時代が始まった。白銀時代の人間はゼウスに滅ぼされ、青銅時代が始まった。以後、神話の英雄が活躍する英雄の時代、歴史時代である鉄の時代と続くにつれ、人々は堕落し、世の中には争いが絶えなくなった。
そうした理想郷が崩壊した理由を行き過ぎた科学に求めるのはSFの手法で、人口に膾炙したのは Final Fantasy のようなRPGゲームの影響が大きい。また、日本社会はアニミズムに親和性のある社会だったし、RPGゲームが出た頃には初等教育で公害問題を学ぶのが普通になっていたので、「理想郷が崩壊した理由を行き過ぎた科学に求める」ことの下地はあった。
Final Fantasy は、「奇跡の力を独占・横領する、あるいはそれを使うことで暴走する」存在が倒すべき悪として描かれているが、これはニューエイジ思想がファッション化され、エンタテインメントに組み込まれたもの。根底にあるのは科学に対する不信感。正確には科学に対する期待外れ感。これは、マルサス的な人口容量の限界を感じる精神と表裏一体。
科学に対する期待外れ感がフィクション作品にどのように反映されているかは岡田斗司夫「失われた未来」あたりで。
今、生き残っている文明は、環境負荷の増大による文明崩壊リスクを人口制限や科学技術の進歩で乗り越えてきているので、TYPE-MOON作品の「抑止力」と呼べるような精神性を持っているように思う(オカルト的発想だけども)。それがフィクション作品に「古代文明の崩壊」という形で表象している。
「愛人を作った」が各方面で話題になり。有名ブロガーにも取り上げていただいた。
2000円の食事が高いというのに反応した人が多いのにびっくりしました。
彼女は高校出たばかりで、家ももともとそんなに裕福でないのでファミレス位しかいったことなかったんです。だから2000円くらいでも彼女からすると高いんです。だいたい最初のころデートのとき必ず彼女が「ジョナサンいこう」っていってたんだけど、私がそれじゃつまらないので、お互い酒も飲めないし洋食が好きなので、とんかつやハンバーグなどを食べログでうまいとこさがして行くんです。そのときがだいたい二人で4-5000円、たまに焼肉いったときだけ10000近くかかりました。つまり、ファミレスやファストフードに比べて高いということ。たぶん皆さん居酒屋とか酒飲むところに行ってるんだと思いますがチェーン居酒屋とかって実は安くないですよ、別にうまくないし。酒飲まない僕からするとなんであんなとこ行くんだろうと思いますね。ただし、いつもは彼女の家で一緒にご飯作ります。外食デートは月1くらいです。
http://stockkabusiki.blog90.fc2.com/blog-entry-1146.html
上記「愛人は税金を申告しなきゃいけない」と書いた方がいます。世の中の愛人でまともに申告して税金を払っている人がそんなに居るのかどうか知りませんが、私の文をよーく読んでほしいですね。彼女は自分のマンションを提供しているのです。その場所代、ベッドのリネン代などもろもろが当然必要経費なのです。もちろん、衣装代もです。私は彼女にアイドルの時着る衣装もきてもらったりもしますから。本来はマンション代を出した上で月いくらというのが愛人の本道だと思いますが、それは無理なので、以前から彼女が住んでるアパートにとめてもらってます。
あと月15万が高いという人は愛人を風俗と間違えてるんじゃないですか?実は募集前に、出会いカフェでリサーチ(よい人が居たらそのままあいじんにしようとした・・)したところ週一くらいで会う愛人になるとしたらいくらほしい?という質問に20歳前後の人は「8万-20万」というのがほとんどでした。年食って贅沢覚えた女じゃなければそのくらいなんです。8万って言った人はすごいガングロギャルでしたけど、そういうのが好きな人はギャルの愛人持てます。てか正社員で結婚してなくて30歳以上なら多少の節約すればだれでも愛人もてるんじゃないでしょうか?結婚して専業主婦のがコストがかかるのは間違いないですから。家事なんてやってくれる人の必要性を感じたことは一切ないですからね。圧力鍋と洗濯機と電子レンジと掃除機があれば専業主婦は一切要らないです。専業主婦持つことのほうが愛人持つことよりよっぽど贅沢だといえますね。もちろん子供がほしいとなったら別ですが。
それと、私のことを「この人は本当の愛を知らないひとだ」とか「かわいそうだなひとだ」とコメントした人も何人も居ますが、そのとおりなんです。私は本当の愛なんかないと思ってます。すべて脳内麻薬が見せる幻想に過ぎない。とおもってます。フェニルエチルアミンです。ドーパミンです。ひとつだけいえるのはこういうことを言う人はじつはその裏返しで私のことをうらやましいと思っている可能性があります。うらやましいことをしている人を貶めて自分の心の安寧を保つということですね。わかります。
実は前の記事に書かなかったのですが、どなたか指摘したように「岡田斗司夫さん」の本「フロン 結婚生活・19の絶対法則」「恋愛自由市場主義宣言! 確実に「ラブ」と「セックス」を手に入れる鉄則」にヒントを得たところがあります。岡田さんそして森永卓郎さんヒントをありがとう。
これからなんですが、まだ一緒に旅行いったことないんで、行こうと思ってます。私は外国に行きたいんですが彼女がパスポートもってないし飛行機がいやということで近場の温泉になりそうです。来月行く予定です。
タイトルに出てきたホメオパスについて、何で嫌われているのか、言及されて無いな。
ついでに言うと、あれは砂糖玉を薄めてるんじゃないの。
そうすれば抵抗力が付くんじゃないかって事で。
そして、それで十分であるとして、それ以外の医療、つまりは機械医療を放棄しているのが問題なんだ。
そういった事でおきている問題の積み重ねによって、叩かれるに至っている。
村上隆が叩かれてるのは、
村上隆が表現しようとしているオタク像、オタクのエネルギーって奴を現代のオタクは持ち合わせていないから共感できないという事。
岡田斗司夫に「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と94年に言われているほど当時ですら過去のオタク像を表現している。
国内に向けて、「これがオタクですよ」って言っても「それは30年も昔のオタクで既に絶滅している」と即否定されるんだから、
海外に向けて、「This is..., the "OTAKU"!」と言ってウケを取る。
国内のオタクからすると、海外にオタクとはそういうもんだという認識をもたれるのが嫌なんだ。
日本に来る外人が、「Where is a ninja?」、「Where is a samurai?」と聞いてきても困るだろ。
同じように、アキバであんな30年前のオタクを探されても出てこない。
あれは、パソコン通信や、雑誌の投稿欄、コミケの変質といった状況で生まれたもの。
今の、インターネットや、ニコ同、同人誌卸の存在といった状況には生まれえない。
当時の彼らの欲してやまなかったもの全てに最初から手が届くんだから。
相談に対する回答ではないし、どこの馬の骨とも知れないヤツに説教されているようで面白くないと思うので、元増田は読まなくて良いんだが、感想というか、ふと思ったことを。
もしだ。「敵ないし仮想敵がその人間の器を決める」のならば、元増田の敵ないし仮想敵は「アルバイトや派遣社員のちゃらちゃらした若い女性」である訳だ。……それってさ、人間として非常にちっちゃいというか、いや、人間としてのちっちゃさというのは生まれ持ったものがあるにせよ、人間としての器、幅、間口を広げる努力をしている人というのは、敵ないし仮想敵も巨大な訳で、元増田の敵ないし仮想敵はあまりにもみみっちいというか。
いや、酷いことを書いてしまったけど、決して嘆いている訳でもないし、日本って、元々そういう文化(愛でる文化)なのかも知れないなあ、とも思うのだけど、少なくとも、日本の女性の志の大きさってどんどん小さくなってない?というか。例えば、大半の女性の最終目標が「専業主婦として、子孫を残し、豊かに遊んで暮らす」とかになっていないか?みたいな。
「それは、お前がマスコミに洗脳されているだけだ!」といわれればそうかも知れないし、実際、志の高い女性も俺の人生の中でいたことはいた。例えば、良い大学出ておきながら、NGO活動のために海外に行ってしまった人とか。でも、少数しか見なかったのも事実であり。男では野心家は結構いたけどさ(若いヤツも含めて)。
いや、パリス・ヒルトン辺りを仮想敵にして、「私が真のセレブになってやる!」という話ならば、おうがんばれ!と応援してしまうではないですか。女性としても魅力があるではないですか。
ところで、最近、岡田斗司夫の活動が”いろんな意味”で面白い。
http://okada.otaden.jp/e93765.html
でも、マイケルはそんな絵空事みたいな夢じゃなく、本気で、本当に、この4年で世界を環境破壊から救うつもりだった。「夢」じゃなくて具体的な「目標」だったんだ。
このマイケル・ジャクソンの器のでかさ、仮想敵の大きさ。
それならば、ユダヤの陰謀から世界を守る中二病患者が最強なのではないか?という話にもなるが、そこは「妄想力」と「想像力」の違いというか。結局、妄想力は、自分の都合の良い想定しかできないが、想像力がある人は、仕事にも使えるほどの現実主義者としての想定が出来るよね、という話でもあるし、その辺のブレンド具合で、単なる電波か、大物かが決まるんだと思う。
別に動機が嫉妬や恨みのようなマイナスの感情でも良いから、今の自分の器よりやや大きめの仮想敵を設定できるか、もしその仮想敵を打ち破ったら(見破ったら)、次の仮想敵を設定し続け、自分の器を広げていくことが出来るか、が問題ではないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
個人的には、見て損はないと思う(見た後、目がかなり疲れていたが)。
そして今、岡田斗司夫の「ひとりテレビ」を見たのだが、なんか違和感があったのでちょっと書く。
↓「ひとりテレビ」の動画はこれね(動画はバレありなので、未見の人は注意)。
http://www.youtube.com/watch?v=HQfh3YXKVIU
上の動画では、岡田斗司夫はアバターは「エンターテイメント」ではなく、「芸術」だと言っている。
なぜならば、「エンターテイメントというのは基本的に一昔前の価値観を肯定するから」だそうだ。
そこで俺は思う。
じゃあ、「アバター」のヒットの理由は、「エンターテイメントだったからじゃないかな?」と。
要するに、「アバター」の価値観というのは、「保守」でなく「革新」、「右翼」でなく「左翼」である。
(これまでのハリウッドでは考えられないことだ)
つまり、(ようやくアメリカで)「革新」や「左翼」が「一昔前の価値観」になったから、
「アバターをエンターテイメントとして作ることができ、受容されることができた」のではないか?
現実を見ると、オバマ大統領は支持率低下に悩み、リベラルが強い某州で保守が勝ったりして、
保守の見直しが始まり、それが「新しい価値観」として提示されているという逆転(逆流)現象が
今、起こっている状態と言えやしないか?
もちろん、日本でも、日本の(革新的)戦後民主主義の価値観とネトウヨの名の通りまだネットが中心の
保守派のつばぜり合いは激しくなっている。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100122/1264135438
これを読んで、まず大きな疑問。「アクセス数を集めたいと考えて、実際になにかやってみて、それでもアクセス数が増えない人」ってどのくらいいるんだろう? はっきり言ってはてなを利用している限り、ちょっとの工夫ですぐにアクセス数は稼げる。
こういうのはSEOっていうんだっけ? そういうのの本格的な勉強は一切していない。これははてブの人気エントリーを見たり、自分でブログを更新したりして得たノウハウ。もっとほかの方法をあなたが知っているのならぜひ教えてほしい。
よく言われる方法の一つ。ライフハック的に「××をする○の方法」でもいいし、マスを思いっきり煽るタイトルでもいい。要は人の目を引くタイトルを考えださなきゃいけない。だって、まずはタイトルで引き付けられなきゃ、クリックすらされないんだから。極端な例だけど「×月○日」じゃ誰もクリックしてくれない。
そして、これは内容と関係ない大嘘でもいい。さすがに「○の方法」と書いていて、その方法がまったく書かれていないのは問題。けど、記事に書かれているキーワードを散りばめておけば、人はタイトルが大嘘だとは、意外と気づかない。
コツは「とにかく誇張する」こと。これは今現在はてブのトップにある記事を見ればよくわかる。
『DB設計の神ツール「ERMaster」なら、ここまでできる』
http://www.atmarkit.co.jp/fjava/rensai4/devtool11/devtool11_1.html
http://www.cnngo.com/tokyo/none/50-855494
『知らないと損をする?Macユーザーなら入れておきたい便利ソフト』
http://b.hatena.ne.jp/articles/201001/743
上記のタイトルにある「神ツール」「世界一魅力的」「知らないと損をする」が誇張の部分にあたる。そこで人の目をタイトルに持ってきて、「ここまでできる」「50の理由」「便利ソフト」の文字で「え?なんだろう?」とクリックさせるのだ。
「これはひどいメソッド」というのもある。タイトルを見た人間に「はぁ?」と思わせ、反論欲を煽ってクリックさせるのだ。またはてブのトップから持ってくるが、以下のようなものがそれに当たる。
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000727.html
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100122/plc1001221034007-n1.htm
こうやって思わず「これはひどい」と思わせるようなことをタイトルにする。人は反論をして溜飲を下げるのが大好きだから、みんなはてブで一言反論を残していく。そして、そこからさらに反論したい人が集まってくる。
トラックバック機能を使って稼ぐ方法。まずすることは自分が書こうと思っている記事に関連しそうなはてブの人気エントリーをとにかく集めることだ。最近のものの方がより良い。そうやって人気エントリーを集めて、うまく記事中にリンクすれば、相手の記事やはてブの「このエントリーを含む日記」に載るので、そこから人がやってくる。誰かはてなユーザーに言及する場合は、必ずidトラックバックをすること。そうすれば相手の「最近のトラックバック」に載る。idトラックバックは無理矢理やったっていい。ぜんぜん関連した記事を書いていなくても、我田引水で記事にその人の名前を出してidトラックバックしてしまえ。ぜんぜん関係ない記事にトラックバックするんなら、それはマナー違反だが、はてなで人の名前を出すときにid名で書くのはマナー違反じゃない。
もちろん、この方法はその1と併用して行うこと。特に最近の人気エントリーで、それに反論する内容だったら、多くの人がクリックする。
その1とその2を駆使すれば、もう誰かしらがブックマークしてくれるだろう。そうしたらすかさず、セルフブックマークをしてブックマーク数の水増しをしよう。こうすれば誰かがあと一人ブックマークすれば、はてブのトップに載ることになる。たまに書いた記事をすぐにセルクマする人もいるが、それはオススメしない。何故ならはてブのトップページには直近の注目エントリーを、カテゴリごとに三つしか表示しない。これは記事を書いた時間じゃなくて、最初にブックマークされた時間が基準になっている。だから、最初に自分がセルクマして、残り二人が数時間後、数日後だったりしたらはてブのトップには載らないことになる。なので、誰かがブックマークしたらすかさずセルクマすること。その際、記事に関連し、なおかつ注目度の高いタグを入れ込んでおくのを忘れずに。
これもその1とその2を併用すれば威力は倍増。トラックバックすればはてブの「このエントリーを含む日記」に載ることは書いたが、ブックマークされたら「このエントリーを含むエントリー」に格上げされる。「このエントリーを含むエントリー」だとブログタイトルだけじゃなく記事タイトルも表示されるので、クリックを促すようなタイトルにしておくわけだ。そして、誰かがはてブするような有益な情報だと思わせて誘導する。
セルクマもある意味自演だが、こちらは本当の自演だ。一つは「タレコミ歓迎」のようなニュースサイトに自らたれ込む。もちろん、他人のふりをして。ほかにははてな匿名ダイアリーで自らトラックバックしたり、2ちゃんの関連スレなんかに自らリンクを貼ったり、という行為もある。あとの二つは猛烈な反論にしておくと目を引くのでいい。「なんだなんだ?」と記事元に誘導するってわけだ。
地味でアクセス数も少ないですが、しっかりとやっておきたいのがこれ。はてなは「はてなキーワード」というサービスをやっており、簡単に言うならばwikipediaにプラスして、同一のキーワードを書き込んでいる日記のリストをつけたもの。
何か作品名や人物名を入力する際、きちんと正式名称を入れておくと、このサービスから人がやってくる。
昔はよくこのサービスから日記を見に来る人が多くて、人気有名人の名前を入れただけで30~50アクセスがあったものだけど、今じゃ一桁が普通かな。けど、取りこぼしを少なくするためにぜひやっておきたい。それに、はてブの「このキーワードを含む注目エントリー」にも載るから、そこからやってくる人もいるだろう。正式名称は最初の一回だけで、あとは略称でいい。こうすれば、正式名称で検索した人、略称で検索した人、両方をゲットすることができる。
オタク評論家の岡田斗司夫は自らのブログで「どや顔」はダメって書いてある。
http://okada.otaden.jp/e79268.html
しかし、これははてなでアクセスを稼ぎたいなら大間違い。とにかく自信満々で言い切ろう。そうすれば、「おおっ!」と納得させてもはてブされるし、イラッとさせても「これはひどい」ではてブされる。一挙両得なわけだ。
ちなみにこれ、はてな以外じゃおそらく通用しないんで注意。それにはてブの人気エントリーを見たらわかるけど、例外もある。そういう例外は本当に有益な情報をアクセスした人に与えてるんだと思う。それにこれは実体験からわかったことだけど、「よし、アクセス稼ぐぞ」って気張って日記を書いたってすぐ疲れて持たないし、持たなかったらブログの勢いも失速して人は去っていってしまう。たくさんはてブされたって嬉しいのは最初のうちだけで、すぐに虚しくなるし、虚飾を張らずに人気エントリーを書いてる人に対して劣等感が増すだけ。興奮状態ではてブのコメントやアクセス元をチェックしたって(今じゃtwitterのつぶやきもあるか)、「その時間、本でも読めばよかった」って後悔の時間が待っている。はてなで有名になったって、そこから一歩でも外に出たら無名の自分に苦しくなってしまう。
私の今の目標は「普通に書く」こと。そうやってブログを更新して、やってきてくれる人こそ「本当の読者」だ。上の方法ははてブを荒らしているだけだ。だから人間よ、もう止せ、こんな事は。
長い事、「なぜエロと笑いは近い存在なのか?」という疑問を生煮えの状態にしていたのだが、ふと、存外しっくりくる解答を思いついたので、メモ代わりに書いてみる。
これは明言化や言語化をしなくても大抵の人は直感的に感じていると思う。が、人生において、誰もが感じているであろう感覚を頭の固い自分にも分かりやすい言葉でかみ砕いて説明してくれる教師にはなかなか出会わないものだ。基本的に自分の解答は自分で見つけるしかない。
例えば、岡田斗司夫氏は理屈の人を自称しているが、実は感覚の人ではないか?という発言を見た事がある。そして、それは多分、合っているとも思う。彼は自分の感覚を言語化して理屈に落とし込み、(自分の中での)納得性や一貫性を持たせるがうまいのではないか。だからこそ、本物のロジックモンスターである東浩紀氏とは相性が悪いのではないか?あるいは、逆にそれが彼に現在の希少な存在価値を持たせているのではないか?というのは言い過ぎだろうか。
閑話休題。
良いエロと良い笑いの条件とは何か。「我々を惹きつける何かや吸引力の元になっているもの」があるのが良いエロや良い笑いではないか。もちろん、エロは本能的なものだから、反則と言えば反則だが、結局、良いエロと良い笑いの共通性というのは、「妙な気分にさせるデザイン」にないか?というのがさっき、ふと思った事だ。もちろん、おおざっぱに言えば「面白さ」なのだろうが、個人的にはそれでは表現が味気ない気がするし、分かったようで分からない気がしていた。
「妙な気分にさせるデザイン」とは何か?「やけに胸が騒ぐデザイン」、「これがここにあるのか!」という驚きや「これがここに無いのか!」という驚き。それが我々を惹きつける何か、吸引力の元になってはいないだろうか。
だから、確かに、エロや笑いに難易度が存在するというのもそれほど間違った表現ではないと思う。受け手側に対して、「高度な粋の目」が問われてくる訳だ。(こんな事を真顔に話すと笑われそうだが)
さらに転じて、「妙な状況を面白がれる」のが粋な経営者やギークであり、硬直した発想や固定観念に縛られている時点で負けのような気がする。クソゲーを楽しめるかというのは、結局は本人の主観の問題という訳だ。不動心というよりも、木で鼻をくくったような態度を取っている人間の方が逆境に強いのではないか。
例えば、下の山本一郎氏のように「ヨーロッパユニバーサリス ローマ」の様なクソゲーを楽しむ人間もいる。(というか、この人はゲームでも野球でも弱小の立場から見た味わい深さを追求するというか。正直、江戸っ子の部分を先鋭化させているというか、性格が曲がっているというか、悪趣味な部分もあると思うが)
www.4gamer.net/games/096/G009635/20091007001/
だから、という訳でもないが、「妙な気分にさせるデザイン」や「妙な状況」に対して、普段から慣れ親しんでおけば、ある程度の「粋な視点」「動じない心」を担保出来るのではないか?という気分はある。具体的にはアルパカとか。考えてみれば、Linuxのキャラクターはペンギンだし、ユーモラスを理解する心を持っていないと、厳しい環境や現実、複雑な問題に対峙する事が難しいのかも知れない。
もっとも、プラモの達人が女詐欺師に殺されている現実がある以上、我々の業は相当深いのだとは思うし、今の日本の政治の妙な状況を楽しんでいる人間というのも凄いと思うけれども。
ttp://okada.otaden.jp/e47507.html
僕の心には響かなかった
「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」を見てきました。画面的には文句なし。圧倒されました。
でも、正直イマイチでした。なんか「エヴァのファンが総力を挙げて作ったオマージュフィルム」を見たみたいな感じ。
「凄いけど、別に今さらエヴァ作らなくてもいいんじゃないの?」と思っちゃった。
僕はもともと、TV版のガンダムを見た後で劇場版のガンダムを見ても「あ、なんだ同じ事やってるんだ」と思うような人間だから、特にそう思うのかもしれない。
でも、あんなに凄い映像を作れるんだから、もっと新しいことやって欲しいなぁ。
ネットの感想を見る限り、すごく評判は良いみたい。みんなやっぱり「エヴァ」が見たかったんだね。
僕にとってはTV版でシンジもレイもすごく「いい終わりかた」をしてるから、たとえストーリーは多少違えど、同じドラマのリメイクだったら別に欲しくない。
う~ん、失敗
引用おわり
バブルの頃、男女の仲が「恋愛ゲーム」「恋愛競争」の方が都合よい人達が居たのさ。
非モテは女の子に相手してもらうにはすんごいお金を掛けることになってたし
どんな屈辱的な扱いで便利に使われてもヘラヘラ耐えることになってた。
メディアも広告も「恋愛は競争ゲーム。どんどん貢ごう」って強調してた。
これはすごい勢いでお金が回るので物売る人たちは嬉しい。
女の子もお得がいっぱいで嬉しい。
よしずっとこれで行こう、と思ってたら非モテ男はついていかなくなった。
「馬鹿にすんな」という一寸の虫の意地だったり、
「金や気力がもたない」という枯渇だったり、
「やっても相手してもらえないんでしょ」という絶望だったり、
「2次元にもっと可愛くてボクを人間扱いしてくれる女の子が居るんだ!」というオタだったり。
非モテ男という奴隷のお金や自尊心を踏み台に成り立ってるローマの繁栄だったのが
ジワジワと奴隷がパンを食わなくなって上手く機能しなくなった。
今じゃ底辺奴隷以外の人も幸せじゃなくなって明らかに変だぞとなってるが解決策はない。
あと、欠乏に慣れて開き直った層が突き詰めて考えたところ
>わかりづらすぎる。
あーこれについてはすまん。
>あと、プライドが先行することとプライドを表に出すことは別じゃね?
別だね。
私の言っている「プライドが先行する」は「プライドを表に出す事」という事で。
っていうとまた別な文章がおかしなことになるか。
いちいち直すの面倒なので、矛盾がない形でどっちかを判断して読んでくれ。
そこまで直す気力がない。
以下追加
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ああ分かった。
増田の場面について言った話の場面で「プライドを表に出す」のは適切じゃないよ?という話。
「岡田斗司夫理論」について言った話は「プライドが先行する」のはかまわないが「プライドを表に出す」場面はやっぱり「実績」が伴わないとね…って結局同じ事言ってるじゃん!!って話。
・・・で矛盾解けそう???
>プライドが先行しても問題ないし、それに対してくだらないと言われるのも当たり前、ということで何を主張したいのかがいまいち掴めない。
プライドの件は、岡田斗司夫理論の話が出てきたんで、それに対して「結局私の言ってる事と結果が変わりなくね?」っていう話をしただけ。
今回一番主張したい事はちゃんと書いてあるよ?
>「書類」の内容を相手に「くだらねえ」って思われないために「実績」のある増田に相談して、より良い「書類」に近づけるのが今回の目的。
>なのに、その相談相手にプライド剥き出しな失礼な言動…そんな事するんだったら「最初から相談せずに一人でがんばれば?」って思う。
ここで「プライド」を出すと効果的な場面なのか?この場面で「プライド」を出して何が得られるんだ?って事。
「くだらねえプライド」って言われる場面で「プライド」出しても損するだけだよね?って事。
全体的な「プライドって何?」とか問われてるんだったら別な話になるけどね。
「プライド」と「自信」は違う。
「プライド」には根拠はない。根拠のないプライドを持つのが重要。
「実績」を積み重ねると、「自信」がつく。
(自転車に乗る練習をして、自転車に当たり前に乗れるようになった人は、自転車に乗れる自信がある。
自転車に乗れない人は、自転車に乗れる自信がない。当たり前だが。)
だから、「プライド」の使い方が問題であり、「プライド」の使い方を教えてやれるとさらに良い。
上から目線というのは、相手を見下すことだ。
でも、そういう物がないと-どこかの部分で他人に優越感を感じていないと-人間は自我が不安定になる。
しかも、院までいくならば、今まで、さんざん「優秀」「優秀」と言われ育ってきたプライドの高い人間がほとんど
なのは目に見えている。
この際、元増田は、ざっくばらんに言ってしまうべきだと思う。
「君が、私を見下しているのは分かった。別に見下しても良いが。ただ、私はそういう学生を今までさんざん見てきたよ。
君が今までの学生と違うと言うならば、私にも君の研究の凄さが分かるくらい表現に気を遣ったレポートが書けるはずだ。
もし、君が『優秀』なら、それくらいできるだろう?」