はてなキーワード: ピタゴラ装置とは
たまたま成功した奇跡の一回を放送している、と思っている人が結構いることにビックリした
「これをやるために何回撮影したんだろうね〜」
みたいなことを言っていて
「まぁそりゃ2,3回はやったかもね」
とか話すと
「そんなわけないでしょw」
みたいな反応なんだよね
そりゃ失敗することもあるだろうけれど、基本的にピタゴラ装置って再現性が無いと意味が無いのに
その辺を理解してない人が凄く多い
例えばボールを宙に放り投げてドンピシャでドミノに当てる、みたいなのは割と運の要素がいるから何回もやらないとダメかもしれないけど
ボールを転がしたりガードでコースを矯正したりして再現率を高めてるっていう点に気付いてない人が多いみたい
「たまたまグーになっただけ」
とか思ってるんだろうか
出勤前の時間とちょうど噛み合うので、毎日NHKのピタゴラスイッチを観ている。
番組の最初と最後にピタゴラ装置のコーナーがあって、知らない人のために説明すると、スタート地点でエネルギーを受けた物体①(例えば球体)が転がっていって物体②に触り、そこから③、④と進行していき、最後には小っちゃい旗が立ったり、回転してるプレートの上にマーカーが落ちて、円運動によって「ピ」の○の部分が現れたり、という感じに完結する。
すげーな、と思いながら毎日パンとか食いながら観ているのだが、少し物足りなく感じるところがある。
というのは、ピタゴラ装置の進行が①→②→③…と進んでいく中、役目を果たしたギミックはそこでお役御免になり、①が④のスイッチにもう一度役立ったり、最後の締めにひと役買ったりはしないところだ。
俺がピタゴラ装置を一種の「ストーリー」として見過ぎなのかな、とは思う。
あのとき役目を終えて落下したボールとかヒモとかが、いったんカメラからフェードアウトした後も実は運動していて、最後のギミックのスイッチとして再活躍、というのがあったら面白いよな、と思うのだが、いまのところそういう装置は観たことがない(たぶん)。
ただ、今朝またパンを食いながら観ていて思ったのだが、アルゴリズムというものがそもそもそういう概念だったりするのだろうか(このあたり、俺はまったく、ミリの知識もない)。
途中で分岐するにしても、分岐したらしっぱなしというか、工程④から⑤と⑤'が分岐し、ダッシュ側のルートが最後にもう一方のルートに合流して収束する、みたいな考え方はしないのか…
ってそんなことないか、っていうのは現実の仕事に当ててみて思ったことだが、よくわからない。よくわからないが、落下した玉とかが「おお、こういう風に最後またからんでくるのか」というのをいつか観たいと思ってる。
デレマスって、やっぱりお行儀がいいよね。
なんだかんだで育ちがいいというか、お嬢様な感じ。
泣き方にしたって、どこか品がいい。
ぐちゃぐちゃな崩れ方はしてかい感じ。
SHIROBAKO で言えば「私知ってた」の顔の修正前みたいな、綺麗さ。
まだまだ心の奥底のドロドロ下部分までは見えてない。
「心が叫びたがってるんだ。」はさすがの岡田マリー脚本。
心情の吐露が二重三重に仕掛けられていて、巧いなあとうならされた。
あの積み重ねが絡み合って連動するピタゴラ装置になってるのは見事だと思う。
「ガールズ・ステップ」は、高校生のドラマでそこまでやるのか、と思ったけど
実写だとわりとあるような気もする。
アニメでもあるんだろうけど、俺はそこまでのは知らない気がする。
ギスギス、ゴタゴタ。
他の4人の重さに比べると主人公格の一人だけちょっとぬるい感じだったけど、
でもまあ、あんなもんかもしれない。
「私たちのハァハァ」は、仲良し4人組の崩壊の過程がたまらない。
グループ内での美醜の格差だったり、バンドに対する思い入れの温度差だったりというところから亀裂が入って、バラバラになっていく。
わりとガチンコなぶつかり合いに見えた。
ドロドロした汚い部分はあまり表に出さずに綺麗なところだけ掬い上げていたような気がする。
お行儀のいい優等生がすこしばかり内心を吐露しました、みたいなような。
ええと、言いたいことがまとまってなかったけど、
最新話のしぶりんとちゃんみおの説得だけで島村さんが立ち直ってしまえたのだとしたら、
ちゃんちゃらおかしいわ。
おちんちん気持ちいい!とか、あらゆる思考は脳が作り出している。
だって脳っていってもCとH2Oの塊だもん。
物理学的には意識現象はリンゴの落下やピタゴラスイッチと同じことだ。
ここでふと疑問が起こる。でも俺ってピダゴラスイッチと違って意識あるじゃん。
誰の意識も介せずにピダゴラスイッチのアルゴリズムは『淡々と』進行してゆく。
こうして見渡してみると、宇宙の現象の99.99999999%以上は『淡々と』進行している。
太陽内部の核融合、蛇口から流れる水、宇宙の膨張。振ってくるオタマジャクシ。
ほとんどが誰の意思でもなしに『淡々と』進行する。ここでひとつの考えが浮かぶ。
人間(場合によってはイルカ、イヌ、カラスなども)だけが『淡々と』動かないのはなぜだろうか?
突き詰めれば人間の活動なんて化学エネルギー→運動エネルギーという変換プロセスにすぎない
(コメのデンプンを分解したエネルギーで指が動いて増田を書く)。
それを踏まえると、すべての人間が意識を持たない生化学ロボットである方が自然に思える。
炭素系ロボットがあたかも意識を持っているように二足歩行する世界。
だらだら書いたけど、結局上手い締めが思いつかなかったので終わる。
会社のファイルサーバにはExcelファイルがいっぱい保存されていて
ところが、そのマクロのほとんどはマクロの記録機能を使って登録しただけのものでコード読んでも読み解くのに一苦労。
中には別のExcelファイルを5つや6つ開いてデータを取り込んだり
ワークエリアみたいなシートを用意してExcelの通常の式参照など駆使して
複雑な集計処理をアクロバティックにこなしていたりして、その様子はまるでピタゴラ装置のよう。
お前、よくこんな複雑な処理を操作して記憶させたな、と感心してしまう。
問題は手に負えなくなってうちの部署にそういうマクロが担がれてくることがたまにある事だ。
そして、今まさに目の前にあるExcelファイル群がまさにそれで、
頭の中で「悲しくてやりきれない」がループしている。