はてなキーワード: モデラーとは
みんなもパークにインしたときに少し気にしてみるととても楽しいよ。
とても凝った作りになっているものが多い。ワールドバザールの建物一つ一つを見ているだけで飽きない。実際は壮大な看板建築なわけですが、あれだけの建物を美しく維持するのは並大抵ではできない。城や現実にない建物なども同じものを注文しようと考えるととても困難なミッションであることがわかる。開園当初からあるものほど、異常なほどお金をかけている印象がある。
プラモデルなどのモデラーの人は、細部の塗装やウェザリングなどが参考になるというか、巨大な実物大見本だ。近づいてテクニックを確認するもよし、離れてその効果を堪能するもよし。
いつ行っても、花が咲き乱れ、枯れたものなどない。千葉?のどこかに巨大な温室があり、パーク中の花卉をものすごい計画性に基づいて栽培しているところがあるはず。
こんな壮大な植栽の演出のバックは途方もないプロジェクトに違いない。
昔買ったガイドによるとセントラルキッチンと呼ばれる大きな調理室があると書かれている。
1日に5万人以上が訪れるパーク内で、常に温かい食べ物をそれなり以上のクオリティで安定して出し続けることは、かなりの技術を要する。食材の手配、中間調理の方法、現場での短時間でのオペレーティングと品質の維持。興味は尽きない。
パーク内ではどこからともなくBGMが聞こえてくる。それぞれのテーマに合わせて選曲されている。どこにスピーカーがあるのか。これが一つ目のポイントだ。巧妙に隠されてるのと、複数のスピーカーから音を出してもズレがない。普段、このようなセッティングをすることは普通の人は一生ないので、何がすごいのか伝え難いが、ビックリする。これが80年代から行われている。
パレードのフロートからの音と沿道のスピーカーからの音の同期も別の音が出ているにもかかわらず取られている。固定のスピーカーと移動スピーカーの音をどうやって同期しているんだよ。気になって今夜も眠れないよ。
時代時代の最新最高のものが見れる。本当にマジック。9つのカメラで撮影したパノラマシアターが好きだった。映像と舞台を同期させた演出も先駆的だった。
3D映像もキャプテンEOの時代にあたりまえだった。最近だとリニューアルされたスターツアーズと、トゥーンタウンの子供向け射的アトラクションが映像技術的に見所だと思った。
あれだけの人間を採用、教育、オペレーションさせるという一連の流れ。近所のホールで行われる面接会はすごい規模。物議を醸し出すこともある教育マニュアル。一日も停まることのないオペレーション。それらと各種安全管理を日本の法律に適合させていること。
あれを最初から考えろといわれた時点で、卒倒してしまうだろう。
暇そうにポップコーンを売っているおねいさんすら、笑顔で手を振ってくる。近所のコンビニでそんなことできるか。そういうすさまじさは感じる。
さらにアレだけの忙しさがあっても対応を落とさない接客術はすごい。どう教育しているのか、企業の現場担当者は気にしておくべきだと思う。
コミケがー、コミケがーという人がいるだろうが、通年で混雑対応をしているここの対応術は一見の価値がある。駅、駐車場から人のコントロールは始まっていて、綿密な計画の下、混雑対応が図られている。訓練されていない普通の人を不満なく誘導する。企業のイベント担当者は必見だと思う。
混雑の中、仕方なくインする人は、上のポイントについて考えなら、パークを見るととても楽しいよ。普段の仕事をマネージメントするヒントが隠されているかもしれない。
ほかにも見所はあるけれどもこんなところで。
ははっ! そんじゃーねー
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俺はスケールモデル専門ショップの店員なのだが客がガルパンの戦車を買いにきたので
「お前それでいいのか?」と聞くと「すいまえんでした」と兵身低頭してきたので
ガルパン厨は雑魚だということが確定的に明らかになった
と教えてやったのだがポルシェティーガーが欲しいと言いだしたので在庫を見せてやると
「もう出たのか!」「はやい!」「きた!長い!」「メインウエポンきた!」「これで勝つる!」
とか言い出した
しかし蓋を開けると何か細かいエッチングがキモいとか言いだしたので
「おぃイ?今何か言ったか?」と聞くと「聞こえてない」
おれの怒りが有頂天になった
「ヘッツァー改造キットください;」と理解不能の発言を繰り返す客だったが時すでに時間切れ
俺が閉店時間を告げるとカカッ4と閉店したら泣きながら客は帰っていった
やはりAFVは格が違った
ちなみにカステン履帯っぽいのはAFVモデラーが使うとせんnスと再現性が両方そなわり最強に見える
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『ガールズ&パンツァーを軍事板的に語るスレ・13糞目』
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1360019542/
よりコピペ
http://blogs.yahoo.co.jp/odyy8924
技術と熱意はすごいと思うけどね。
人間としては問題あるかもしれないが、モデラーとしてはいいんじゃないか。
こういう人が殺されちゃう世界ってどうなんだ。
映画『ブリスター』で、山崎裕太*4演じるモデラー・ハサモトが
「フィギュアは美しくて当然なんだ。人間が理想と思う記号を集めた塊だからな!」
と言うシーンがありますが、言いえて妙。「萌え」るキャラクタというのは、まさにその記号の塊ですし最も最適化された作品だと思います。レースという目的だけに特化したF1マシンとか、人間に勝つという目的だけのためにスーパーコンピュータを40台くらい接続したチェスマシン*5のように組み上げられたのがああいうキャラなんだろうなと。
で、「萌え」キャラの出てくる作品というのは、その理想と思う記号が映えるように、そしてその映えた記号の集合体に想いをはせるために(これが「萌え」という感情ですか?)設計されるわけですよね。これがまた曲者なんですよ。もしかしたら、記号より、こっちのほうが本質ではないかと。「萌え」の。
まぁ、どこにも存在しない思春期なんですよね、選ばれるのが。ああ、こういうのあったなぁって感じるノスタルジーではないんですよね、そこに見出せるのは。実際の自分たちの経験してきた思春期は、はっきりいうと灰色だったんですから。どうでもいい日常だったはずです。さっさと終われ!みたいな(苦笑)自分とは違う連中は青春を謳歌してるに違いない!女の子とも遊んでどっか行って・・・みたいなルサンチマンを抱えていたはずです。たしかに一部の学生はそういう日常を送っていたのかもしれませんが、ほとんどの学生は似たり寄ったりの青春だったはずですよ。どんよりとした灰色の。『ナポレオン・ダイナマイト』みたいな感じの(笑)私も例外はありませんでしたしいまとかもあんまり変わりませんから(苦笑)
「萌え」作品を何本か観たら、キャラよりもこっちが気になりましたね。なんだか、あの灰色の日々だった頃にこうだったら最高だったのにな、という要素をすべて描いてるな~と。ボケ~っと授業中に窓の外眺めてるようなときに妄想したような。視線の先が女子の体育の授業だったりするんですけどね(笑)ぶっちゃけて言うと、彼女作ったり、Hしたり、女の子とバカみたいに遊びたかった、ってところでしょ?その妄想を元に再現したらこうなった、みたいな感じですかね。リュック・ベッソンがその思春期の妄想を元に作った『フィフス・エレメント』みたいなもんというか。ちなみにフツーの思春期男子の妄想なんかそのまま再現したら確実に『学園ソドム』になるか『ホテル・ルワンダ』みたいになるかのどっちかでしょうからね。確実に捕まります(苦笑)
ただでさえ服は高いのに、外用と中用と買うんかいな。
ていうかな。下にもあったけど基本的にモデラー的心理やねん。
うまくプラモデルできたら、人に見せたくもなるやろ。
ここの細かい塗りがうまくできてなとかいいたくなるやろ。
それと同じで「見てみこのネイルアート」「うわっ!凄!細かっ!でも可愛いじゃん!」とか友達に言われたいやろ。そういう気持ちもあるねんな。どーじゃ凝っとるやろ、ってな感じやな。見てみこのアイテム。みたいなな。どの道異性なんか関係ないねん。どうせ男はこのロマンわからへんやろからな。プラモに換算すりゃ分かるんやろが
まあ基本的には最初に言った「外用と中用とわざわざ買うかセレブでもあるまいに」ってなとこが大きいけどな。ああすまんな、外に出ない奴には分からん発想なのかもわからんな。
あの絵柄を模倣できた人がほぼいないっていう事実はどうだ。
大友克洋はメチャメチャ絵がうまいけど、大友風の絵柄のマンガはたくさんある。トニーたけざきという鬼っ子も出た。
原哲夫もそうだよね。模倣者をたくさん生んだ。
でも、鳥山風の絵を描くマンガ家ってほとんどいないでしょ。パプワ君はわざとだし。
あとこれはまた抽象的な話になっちゃうけど、鳥山明は空間や立体をとらえて絵にするのがうまい。
モデラーとしての腕前が相当だから(タミヤの模型コンテストに一般人に混じって応募して入賞してる)、三次元をとらえるのがうまいんだと思う。
そうやってとらえた空間を、あのポワポワした絵柄で絵にするんだから、そりゃオリジナリティが出るよ。
そういうのはまず違うから安心して欲しい。アーキテクトもインタラクション設計もUI設計もマークアップもコーディングもデザインじゃない。
そう、designには設計という意味もある。だから辞書を引いて自分がその定義に当てはまる気がするならそう自称してもいいんじゃないかと思うわけだ。
しかしちょっと待って欲しいのだが、これが「デザイナー」でなく「ナード」という名前でWebに従事してマークアップからレイアウトからスクリプトの人をまとめてdesignする者と同じ意味で呼んだとしてそれを望むだろうか?
デザイナーへの憧憬はまずファッションデザイナーにある。ファッションは上流階級、富裕層、芸能界の注目する華やかな世界での主役の一つだ。そしてスーパーカーでスターダムにのし上がったカーデザイナー。
彼らはその卓抜したセンスで社会を見つめ無限の可能性の中から最良の一つを選び出す。それは手書きのラフスケッチ一枚であったり、手で握りつぶしただけの粘土であったりする。
それを現実の形に直すのはパタンナーであり針子であり、クレイモデラーであり、プロダクトになるまで、配送の配達員に至るまで無数の人間がかしずき従うヒエラルキーがある。
「デザイナー」とは政治経済と異なる第三の社会における現代のシャーマン、神の宣託を受けた選ばれたカースト最頂点なのだ。誰もが敬意を覚え憧れずには居られないとしても当然のことだろう。
それが現代社会の構造下で適切なものかどうかは置いておくとして、だ。
高校野球で有名な教団、戦後に急進した宗教団体がある。今はかつての勢いがないそうだが最も影響力を発揮したと思われるコンセプトがある。
20世紀初頭、現代芸術がコンセプチュアルアートに傾倒する中で素人目にそれはアートと自称さえすればアートに見えるという提案にしか見えなかった。その団体はそのギミックに注目し信者たちに自分たちはアートだと言ってみせたのだ。
もちろんアートとは数千年間権力者の下にあって富と権力の象徴であり権威の象徴である。それが自称すれば手に入るのだから悪い気がしない。誰もが自分の行為すべてがアートだと称し始めた。
世間で通用する意味と辞書に並ぶ解釈可能な一覧との差を利用して僭称してみせるのがハックだというのだろうか。愚者とは何かと問われれば分をわきまえない者だと答えることができるだろう。
とりあえずキットを確保しておくだけで安心層ってのは?積んどくモデラー