はてなキーワード: ミステリーとは
置き場所が無かったので、ここに置いておきます。
何の参考にもならないし、読んでもらいたいということではありません。
こんなこと別に書かなくても良いんだろうけど、
去年の夏、恋してました。====
記憶をもとに書いているので、多少違うところもあるかもしれません。
脚色している部分もあるかもしれません。
通信ってやっぱ、大人の大学生ばっかじゃん。
平均年齢30歳くらい。
だから、同い年の人なんていないと思ってて、いたとしても、
会わないだろうと思ってました。
何となく監視されているというか、窮屈に感じて、自分で非公式の交流サイト作ったのよ。
まあ、掲示板とかがあるだけのようなものだったけど。
それが結構ヒットと言うか、学生が集まってきて、まあ自分から見れば、
おばちゃん・おじちゃんだけでワイワイ楽しくやってました。
そしたらあるとき、僕と同い年という女の子の書き込みがあったわけ。
同い年の人がくるなんて予想してなかったから、すごくうれしかった。
女の子ということより、同い年ということの方がうれしかった。
それから掲示板で交流することはもちろんのこと、何がきっかけか個人的なやりとりもし始めました。
チャットが多かったです。
Yahoo!メッセンジャーのチャットとか、その頃の癖で未だに、
パソコン起動すると、ヤフーメッセを立ち上げてたりします。もう長いこと誰ともチャットしてないけど。。。
ほんと、チャットではめちゃくちゃ話がはずみました。
今思えば、あの、はずみようは何だったんだろう。と思うこともあります。
次第に、直接会いたいね。みたいな感じになっていました。
向こうは関西で、こちらは東海で少し距離があって、なかなか会う機会がなかったのですが、
学校のイベント(スクーリングだったかな)で、来ることになっていました。
当日は、学校で介助というかサポートしてくれるようなことにもなっていたのですが、
当日、体調が悪くなって来れなくなったと携帯に電話(この日のために一応、番号を教え合っていた)がありました。
この日、初めて彼女の声を聞いたのですが、
第一印象は、「おばちゃんみたいな声だな」という印象でした。
今思えば、ひどいですが。。。風邪とかかもしれないし。
結局、自分と送り迎えしてくれた知人と一緒に行きました。
その日のことは、話が外れるので詳細には書きませんが、あまり面白くはありませんでした。
帰ってきたら、親父の同乗する車が子どもを引いたとかで親父が切れてたし。(幸い子どもは、ケガをしたかしていないかのレベルでしたが)
それからというもの、若干、彼女との連絡も疎遠になっていました。
あとから聞くと、仕事を始めたから。ということでした。
実家から引っ越しもして、ネット回線を引くまで時間がかかったようです。
主にチャットだったので、時間が合わなくなったというのも一因です。
メールもしたかしてないかくらいでした。
やけにテンションが高かったので、自分で自分のこと引きました。
それで、ついにはプッツリと縁が切れました。
まあいいや。と自分でも思っていました。
1年半くらいたった頃でしょうか。
「また前みたいに連絡を取り合いたい」と。
ぶっちゃけた話、うれしかったです。
(以下、第2部のようなもの)
それから、やっぱ直接会いたいみたいなことになって、
海の近くの某所で会いました。
そこは、障害を持つ子が楽しく遊べるように知人がボランティアで始めた場所です。
一目、彼女を見た時は、「あ、この容姿なら大丈夫。恋愛的に好きにはならない」という失礼な思いでした。ブサイクとかではないです。
自分は少し、人の顔を芸能人レベルで見てしまう癖があるようです。
学校のこととかです。
しばらく経って、部屋の中に入って、お茶を飲みながら二人っきりでお話ししました。
不思議と緊張しなかったです。
そして今でもどうしてか思い出せないのですが、
このときの話の中で僕の言ったことに対して、彼女は爆笑していました。
肩も軽く叩かれました。
僕はそんなに笑うとは予想外だったので、何で笑ったのか今でも思い出せません。
笑いのツボが明らかに違います。
その後、何の話をしたのかも忘れましたが、場の空気がちょっと悪くなってきました。
ようするに、ネタが尽きてきたわけです。
そしたら彼女は、「うん」とニコッと笑って言ってくれました。
そのとき、ちょっとかわいいかも。と思いました。
海の方へと二人で歩きました。
外をバリバリ走るタイプのものではないので、速度も外だと遅いし、手が疲れてきたら彼女に頼んで押してもらおうと思っていました。
小川の橋を渡って、海まであと少しというところで疲れてきました。
頼もうとしたとき、
何、この絶妙なタイミング。とドキッとしました。優しくされることに弱いのです。
彼女は別に、福祉関係の人とかいうわけでもなく、ボランティアとかもしたことないし、車イスとかもあんまり押したことないと言っていました。
そんな人が、「車イス、押そうか」と自分から言ってくれたことに、ものすごい好感を覚えました。
今思えば、これが好きになったきっかけかもしれません。
車イスを押してくれて、海に向かう途中、
僕がちょっとした自虐的な冗談を言ったのですが、彼女は反応しませんでした。
少し笑うはずのところなのですが……
海に着いて、二人で並んでお話をしました。海に浮かぶ空港があるので行ったことあるかとか、こんないいところ1日中本とか読んで過ごしたい。みたいなちょっとした話です。
そして、彼女はあることを言いました。
突然のことだったので、返答に困りました。その時の僕は、将来への不安は抱いていたものの、人に話せるような明確な目標は持っていなかったのです。
「うーん。無いな。」と正直に言いました。
「大学卒業したら、何か仕事しなきゃいけないとは思ってるけど、いろんな人に相談してもなかなかね……説教されてばっかり(苦笑)」と言いました。
彼女の海を見る横顔は、少し残念そうでした。
今思えば、ここで海を見ながら熱く夢を語る男というのは好感度上がるんだろうな。と思いました。
逆に聞いてみました。
「彼女さんは、夢とかあるの?」
「うん。先生になりたい。あ、普通の学校の先生とかじゃなくて、今、寮母として働いているところの。」
別に宗教的とか怪しいとかいうのではないです。
生徒同士が協力してログハウスを建てる。とかそういった感じのです。
職業的に学校の先生というのはあまり好きではなかったからです。
適当に相づちを打って、海から離れることにしました。
古い民家が立ち並ぶところを歩きました。会社の保養所とか古い別荘のようなものもあります。
僕は、そろそろ帰ればいいかなと思い、帰り道を選択しました。
でも彼女は、逆の別の道を言っていました。
僕は、これ以上、遠くに行くのは危険かなと思ったので帰り道を言いました。
理由は言いませんでした。
ちょっとした押し問答みたいになりましたが、彼女は景色を見て、
「うん。こっちでもいいや。」と折れてくれました。
今思えば、彼女の方の道を選択していれば、もっといろんな話ができたのかな。とは思います。
元の場所に帰ってきました。いたのは知人のスタッフの人(おばちゃん)だけで、あとはもうみんな子どもたちも帰っていました。
そこへもう一人のスタッフの人(おじちゃん)が帰ってきました。
その人は、そこを住居にして暮らしているのです。
おばちゃんに、ここの場所の説明をしてもらうとして、いろいろと中の見学となりました。
僕は、おじちゃんと部屋(管理人室)の中に入って、疲れたので横に寝かせてもらいました。
ほどなくして、彼女とおばちゃんが入ってきました。
おばちゃん、おじちゃん、彼女でいろいろと話していました。
彼女の職場の話もしていました。おばちゃん・おじちゃんは共感していたようです。
今度、七夕祭りで、某有名交響楽団のコンサートがあるから来て下さい。というような話になっていて、
本当におばちゃんとおじちゃんが行ったのにはびっくりしました。
僕は、行きたくても遠くて行けませんでした。
僕の体力も回復してきたので、起きました。
それから、部屋にあるパソコンを立ち上げて、僕が運営しているその場所のサイトを見たり、彼女が働いている職場のサイトを見たりしながら、
みんなでお話しました。
その中で、僕があるつまらない冗談を言ったのですが、
彼女の顔が真顔。能面みたいで、あれ?と思ったのが印象的でした。
笑いどころが明らかに違うのです。
夕方になり、晩飯をどうするかみたいな話になって、
4人で近くに食べに行くことにしました。
海鮮料理が食べられるところです。僕は、昔に一度家族で行ったことがありました。
僕は、おじちゃんとおばちゃんのと彼女が話すのを聞いていました。
複数人で話すのはどうも苦手なのです。
その中で、
「お父さんとは、別々で暮らしている」というのが印象的でした。
家族の話をしても、父親の話とかは出てこなくて、mixiのバトンとかにも、
父親 いない
とか書いてあったので、何となく複雑なんだと思ってはいましたが。
食べ終わったら、おじちゃんが俺が払うよ。と言って、おごってもらいました。
店を出るとき、彼女が、のれんをさりげなく、手でどけてくれました。
僕の言う冗談に対しては無視(?)しているのに、ちゃんと気遣ってくれていることに好感を覚えました。
外は、もう真っ暗でした。元の場所に戻って、解散することにしました。
別れ際、ちょっと二人っきりになったところで僕は、
「今度は、僕の家で会おうよ」と、とっさに言っていました。(別に、やましい意味ではないです。)
彼女は、「うん。いいよ」と言っていました。
それから彼女に対して、笑いどころが違うというもどかしい思いと、さりげない優しさへの好感という複雑な気持ちを持ちました。
笑いどころが違うというか、僕が言う冗談に対して無反応という人に初めて会いました。
別に自分に笑いのセンスがあるとは思っていませんが、笑わせようとしている空気を読み取って、愛想で笑うこともできるはずです。
そういうのはありませんでした。
ラブレターとかではないですが、近況と、いつ自分の家で会うかの提案です。
それと手紙を書くということで、予想外の僕への好感を持ってもらいたかったからです。(たぶん、下心です。阿呆です。)
彼女から返事はありませんでした。
しかし、こんなこと自分でもよく覚えているなと思う。
ストーカー的気質があるのか、女の子と二人っきりで長時間話すことなんて無かったので印象的な出来事として脳が記録しているのか。
続き。
返事はありませんでした。別件でメールを送ってみることにしました。
この前はありがとうみたいなことと、七夕祭りに、おじちゃんとおばちゃんが行ったんだって。的なことです。
すぐに返事が来ました。
その中で、
手紙ありがとう。読んだよ。私も手紙書くの結構好きなんだ。はてな匿名くんもよく書くの?とメールにありました。
僕は、たまーーに書いたりします。なので、手紙を書くことが特別なことではありません。
しかし、手紙書くの好きなのにメールで返されたのは少し残念な出来事ではありました。
そこで夏に会う件について、触れられていました。
OKということでした。嫌々という印象は受けませんでした。
そのまま、日程を決めて自宅で会うことになりました。
その日程の月は、嫌なことがありました。
そのことがずっと頭にあったのがいけなかったのかもしれません。
正直、彼女と何を話したのか覚えていません。
ただ言えることは、彼女に良い印象は与えていないということ。
ここで僕のイメージは下がったかもしれません。
・途中、アクビをしていた。
・やっぱり、笑いどころが違う。
あまり効果は無さそうでした。
正直、頭の中が真っ白のまま終わりました。
人と話すことでこんなにストレスを覚えたのは初めてでした。
このときのことは、思い出すたびに、ため息が出ます。
ただ、初めて会ったときより、かわいいな。と思いました。
そういうことを知人に話したのですが、恋しただけだろ。みたいなことを言われました。
客観的に見るため、初めて会ったときに一緒に撮った写真を見たのですが、
やっぱり顔は変わっていました。痩せたのかな。と感じました。
そして後日、彼女から、うちの母と話せて良かったとメールがありました……
それっきりメールの交流は続きませんでした。送信しても彼女から返事が無いのです。
神様のいたずらか(あまり好きではない言葉だけど)、のちに途中で止まっていることに気がつきました。(携帯)
年が明けて3月。卒業式。
彼女は、受付をしているとのことでした。
会って話せると意気込んでいたものの、受付がめっちゃ混んでて、
あっ、どうも。と目くばせをしたくらいでした。
あとで、「話せなくて、ごめん」とメールが来ました。
ただ、メガネをかけていたせいか顔が全然違った感じがしました。
いまいちというか。ちょっと太ったような。
会うたびに、顔の印象が変わっているという人も珍しいなと思ってて、
実は彼女は複数いるんじゃないか。と思ったりもしています。(ミステリー?)
しかし、僕が風邪を引いて体調を崩しました。
会うのは中止になり、
自分の中で、もう会っちゃいけないんだという変な納得感が生まれました。
それっきり、会っていません。
来月、彼女から年賀状は来るのでしょうか。僕は年賀状自体、止めることにしたので送りません。
来た人へは返す予定でいますが。
今、会いたいか?って言われれば、会いたくないことはないですが、
学校も卒業して関係性が変わったことを考えると、自分から求めてはいけないような気がします。
マイミクは解消されてなくて、彼女の日記が更新されると必ず読んでますが、
でもやっぱ、会いたい・・・・・・・・。orz
このまま何もなければ、時間が経って思い出になるだろうけど。たぶん。
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だけど、笑いどころが違うためか僕は全然面白くなかった。こんなに笑えない映画と言うのも初めて観た。
シュールというか。
でも、アマゾンでの評価は高い。。。
映画好きに受けるのかな。
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ちりとてちん 完全版 DVD-BOX I 苦あれば落語あり(4枚組)
これは面白かった。
てか、好きな人の好きな作品を観てるのって、
いかがなものか。ですよね。
自分のブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。
僕の知り合いに天才がいます。今日、ばったりとその人に会ったので、その人の話しをします。
頭がいいな、賢いな、と思う人はたくさん知っていますし、とても性格が良い人は少し数が減りますが知りあいに何人かいます。ですが「この人は天才なんだ」と思わせる人はその人だけです。彼だけは他の誰とも違うのです。
彼は大学の先輩で、3年生の春休みに出会いました。そのとき彼は5メートルくらい離れたところに立って、とても難しそうな話しをしていました。連続体仮説がどうの、とか、そういう話し。話しの内容はよく聞きとれませんでしたが、ぎょろっとした大きな目と、視線がまっすぐ前を向いたまま微動だにしなかったことがやけに印象に残っています。
僕は4年生から研究室の後輩として彼の指導を受けました。彼が天才であることと、教育者に全く向いていないことは指導を受けるようになって3日でわかりました。彼は、研究室の誰もが答えの糸口すら見いだせない問題に、ものの10分足らずで解を与えることができました。10分のうち、8分は問題がなんであるかを彼に説明することに費やされました。それを聞いた彼は、20秒ほど黙り、そして解を述べました。そして、1分ほどまた黙り、なぜその解が正しいのかを30秒で説明しました。問題によって10分が5分だったり、たまに数日かかったりしましたが、おおよそこんなものでした。
要するに、問題を理解した瞬間、彼には答えがわかってしまうのです。彼によると「答えが降ってくる」のだそうです。
彼は修士課程の2年生でした。4月中旬ごろに、システム開発をやっている会社の内定を取ったということを彼から聞いたとき、「よく○○さんに内定をだす企業がありましたね」と軽口をいいました。てっきり彼が冷やかしで就職活動をしているのだと思っていたのです。彼が博士課程に行くのだと決めつけていたのです。しかし彼は真面目な顔で「本当だな。なんとか死なずにすんだよ。」と答えました。彼はよく真顔で冗談を言うので、そのときの僕は笑って受け流したのですが、後から助手の先生に「彼は××社にいくらしいね。」という話しを聞いたときには、少し混乱しました。本当に就職するということを理解するのにおそらく10秒ほどかかりました。そのあと、彼でも混乱することがあるのだろうか、という疑問が浮かび、きっと無いだろうな、という結論を1秒もかからずに出しました。
彼はとても順調に研究成果を出し、最後の数ヶ月に同級生たちが苦しむのを尻目にあっという間に論文を書いて卒業していきました。その年は、学部の卒業式と大学院の卒業式が合同で行われましたが、彼の姿はありませんでした。風邪をひいて休んだのだと彼の同級生は言っていました。
その年の初冬、僕は彼に再会しました。彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼の顔から表情は失われ、頬が少しこけ、彼が天才であるというただ一点のために発せられていた存在感がすっかり消え失せていました。僕は驚きました。人が10ヶ月もしないうちにこうも変わるのかと。
彼と僕は、明治通りから少し奥に入ったところにある喫茶店で30分ばかり話しをしました。日曜日の原宿だったので喫茶店は人でいっぱいだったのですが、僕たちが入っていったときに、たまたま学生とおぼしきカップルが席を立ったので僕たちは運良く座ることができました。なぜかBGMにモーツァルト作曲のオペラがかかっていて、それがひどく間の抜けた空気をあたりにまき散らしていました。
はじめの10分間、彼は黙ってコーヒーを飲んでいました。僕は本当に彼が彼なのか、まだ信じられずにいました。学生時代の彼はとにかくよく喋りました。話題の90%が研究の話しで、残りの10%が最近寝た女の子の話しでした。その90%の部分で僕は彼に嫉妬を感じ、残りの10%でもっと嫉妬を感じました。
一度僕は「なぜそんなに色々な女の子と寝られるのか」と彼に聞いたことがあります。そのとき彼は「女のほうが数が多いからじゃないか。」と真顔で答えました。ぶん殴ってやろうかと思いました。
・・・きっかり10分して彼は深いため息をつき、そして口を開きました。
ーーーーーーーーーー
彼はやっと絞り出すといった風で口を開いた。
「とてもシンボリックな話しがあるんだ。」
間の抜けたモーツァルトを聞きながら、僕は何も言わずに次の言葉を待った。
「俺の会社は昼寝をしたら怒られるんだ。」
僕の言うことを無視して彼は続けた。間の抜けたことや間違ったことを僕が言ったと感じると、学生時代から彼はいつもそれを無視した。
「自慢じゃないが、俺は生まれてから大学を卒業するまでの22年間毎日欠かさずに昼寝をしてきた。それも、毎日午後4時ぴったりに寝て、15分後に目が覚めるんだ。まあ、たまに3時45分に寝て4時10分に目覚めることもあれば、4時30分に寝て4時40分に起きることもあるんだが、それでも昼寝していることには変わりない。とにかく俺がいいたいことは22年間毎日昼寝をしてきたということだ。」
壮大なんだか、アホらしいのかよくわからない前フリだと僕は感じていた。たぶん両方だろう。
「俺が一番他人に誇れるのは集中力なんだ。俺はその集中力を6時間完璧に維持することができる。逆に考えると、6時間しかもたないんだよ。きっかり6時間たつと、俺は猛烈に眠くなるんだ。そこで、15分間だけ眠るんだ。すると、また頭が冴えて6時間集中できるんだ。集中している間は、食事をとろうが、テレビがついていようが、100%の能力を発揮できているんだ。それは俺にとってとても幸せな時間だし、親も教師も研究室の助手だって悪い気はしなかったと思う。俺は1日に2回あるその6時間で、テストで良い点をとり、研究成果をあげ、そして女を口説いていた。」
彼が集中力の途切れる夜10時までにセックスを済ますのか、それともセックスにはその集中力が必要ないのかを考えながら僕はうなずいた。
「そして、その22年間の幸福な習慣が終わりを迎えたんですね。」
「そう。そうなんだ。この話しを聞くとたいていの理系の男はこういうんだ。半分の時間が失われたんだねって。昼寝した後の6時間が集中できなくなったと考えるわけだ。でもそれは違う。習慣が崩れるというのはそういう簡単な話しじゃないんだ。1たす1が2という計算ばかりやってきた連中がそういう発想しかできないことには憐憫の情を感じないわけではないが、違うものは違う。答えはな、ゼロなんだよ。全てが失われてしまうんだ。」
彼は淡々とそう言って、言い終わると小さくため息をついた。学生時代、彼は最もため息から遠いところに存在していた。だが今は違っていた。ため息で作った洋服があったら、今の彼にはとても似合うだろうなと僕は考えた。
「昼寝をしなくなってから、何かが狂い始めたんだ。俺が言うことに誰も耳を貸さないんだ。集中力が失われてしまっていても、いままでと同じように正しい答えを出しているはずなんだ。問題が何なのかを理解し、そして解が閃く。解が正しいことを確認するためにしばらく考えて、解が正しい理由を言う。何も変えちゃいない。自分で言うのもなんだが、解が間違ってるわけじゃないはずなんだ。周りの連中が俺の言うことを無視するもんだから、さすがに不安になって後で何度も考えたよ。間違えてるんじゃないかって時間をかけてとても慎重に考えた。でも、やっぱり正しいんだ。俺は混乱した。」
そのときの僕は、彼の話しが安っぽいミステリー小説のようになってきたとだけ感じた。そうじゃない。今の僕にはわかる。彼が言っていたことはとても本質的なことだったんだ。
「俺はイライラしたよ。俺を無視して1時間、ときには3時間もかけて無駄なおしゃべりをして、そのあげくに出す答えがなんとも唾棄すべきものなんだから。そして、俺はその唾棄すべき答えに従って仕事をし、唾棄すべきものを世の中に排泄するんだ。」
話している彼も、とてもイライラしていた。とても無表情だったし、異常なほど淡々と話していたが僕にはわかった。彼のイライラの原因は、間の抜けたBGMのせいでも僕のせいでもなかった。たぶん。
ーーーーーーーーーー
そして、今日、彼にまたしても原宿駅のそばでばったりと出会いました。前回出会ったときは昼下がりでしたが、今日は夜の10時をまわっていたと思います。
彼に声をかけられたとき、僕は彼が彼だと確信を持てませんでした。彼は宗教家のようなとても穏やかな表情をしており、すこし肉付きがよくなっていました。
「筋トレを始めたんだ。」
「この間会ったときはすまなかったな。俺の愚痴ばかり聞かせてしまったな。」
「いえ。」
「本当にあのときの俺は幼かったよ。まあ、あの状況は遅れてきた五月病だったんだな。」
彼は頭を掻きながらそう言いました。
五月病が結局のところなんなのか、いまだによくわからない僕は曖昧にうなずきました。
「久しぶりに会ったんだ。お前さえよかったらちょっと飲んでいかないか?」
あまり気乗りしなかったので、とても丁寧にお断りをしました。ちょっと疲れて胃の調子が悪かったことと、次の日の仕事の量を無意識に計算したんだと思います。
「なんで、○○さんは就職されたんですか?てっきり僕は研究の道に進むんだと思ってました。」
別れ際に、ずっと疑問だったことを思わず聞いてしまいました。聞いてから自分のデリカシーの無さに少し辟易しましたが。でも彼は特に嫌そうなそぶりは見せず、思慮深くしばらく考えてから、
「うん。まあ、そうすべきだったんだよ。いま振り返れば正しい選択だったと思ってるよ。」
と答えてくれました。彼は薬指に指輪をしていました。
彼と別れてから、花粉症対策でいつも着けているマスクを外して僕は深呼吸をしました。もう3月も中旬。春の匂いがとても濃密だったことに驚きました。いつもそうであるように、とても間の抜けた春の匂いでした。
今年で東大(文系)を卒業する。いまさらだが、東大の受験勉強について語ろうと思う。受験勉強にもいろんなやり方があるんだということを、これから東大を受験するであろう後輩に送りたくて書く。
誰でもそうだと思うが、僕は「受験勉強」が嫌いだった。暗記科目といわれる「日本史」と「世界史」が特に嫌いだった。教科書を声に出して暗記しよう!としたこともあったが10ページで挫折した(頑張ったほうだと思う)し、買ったはいいけれど結局1ページやって終わった問題集が何冊もある。
受験が迫ってきた秋ごろになってようやく気付いたことは、受験勉強用の本はつまらないという当たり前のことだった。そこでたてた戦略は、できる限り一般書を読んで勉強しようというものだった。
考えるのは好きだが、覚えるのは得意ではない。
参考書と問題集とにらめっこしながら机に向かうのが好きではない。
東大の日本史は、センター試験の日本史よりも断然にやさしい。それは、細かい人物名や出来事を覚えている必要がないためだ。
東大の日本史は、「古代」「中世」「近世」「近代」について、それぞれ論述式の回答が求められる。いろいろな資料や図表が示され、「当時の将軍家と皇室家の関係を論ぜよ」とか「だれだれが行った施策はどのような狙いをもったものか」といったことが問われる。
要するに歴史の流れを理解していて、基本的な知識さえあれば、あとは資料を読み込んでその場で考えれば正答を導くことができる。
さて、このような知識を覚えるための方法だが、「受験対策教材」では無駄な枝葉の情報がそぎ落とされていために、教材の「丸暗記」をすればよい(これが僕は苦手だ)。
しかし、受験を意識していない一般書は(受験にとって関係無い)無駄な情報の塊だ。それらを全て丸暗記するというのは効率が悪いし、暗記したところで役に立つかどうかわからない。こうして、「とにかく沢山の本を読む」という結論になった。結局自分が読んだ本は三種類に分けられる。受験のために最低限必要な知識を得る受験基礎本、歴史の大きな流れを理解するために読むコア本、雑多な知識を身につける豆知識本だ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4875685572
http://www.amazon.co.jp/dp/4875685580
http://www.amazon.co.jp/dp/4875685599
http://www.amazon.co.jp/dp/4875685602
http://www.amazon.co.jp/dp/4875685947
最初はおなじみ実況中継シリーズから。これで一通り網羅しておけば、他の受験生が知っていることを「はじめて聞いた」ということはなくなるはずだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4877257454
自分の文章化能力に問題がない限り、まじめに解く必要はない。いろいろなテーマをとにかく覚えるのだという心意気で、片っ端から解答を読むべし。
http://www.amazon.co.jp/dp/4004305004
http://www.amazon.co.jp/dp/4004305012
http://www.amazon.co.jp/dp/4004305020
古代・中世の大きなうねりを理解することができる。古代・中世を、公家や武士の時代だったと思っている人は読むべし。特に、神社・寺院や海洋ネットワーク、芸能・文化を政治や社会と絡めながら覚えられる点が非常に役に立つ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4634543605
江戸時代のメインテーマは「幕府の政治システム」と「民衆の経済システム」なのだが、その前者を網羅的に抑えることができる。
http://www.amazon.co.jp/dp/4130421131
近現代の歴史を理解するためには、経済を軸にして考える必要がある。江戸時代中期からゆっくりと、社会体制が封建制から資本主義へと転換したからだ。経済史を理解すれば、ほとんどの問題を解くことができる。
コアとなる本の他にも、いろいろな細かい事象を覚えるために本を読む必要がある。受験後に数えた限りでは、日本史関係で30冊前後だったが売ってしまって手元にないので思い出せたものを記述する。とにかく、本屋でみかけた日本史と関係ありそうな新書は片っ端から買っていた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061497766
http://www.amazon.co.jp/dp/4061493795
http://www.amazon.co.jp/dp/4121016815
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古代は歴史ミステリー的に「~といわれているけれど実は・・・」「近年の調査によると・・・」「私の見解では・・・」といった周辺知識が頭にこびりつくようになり、結果として(教科書的な)本筋をしっかりと覚えることができる。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061496905
中世のテーマは一言でいえば「武家の起こり」なので、源氏とか平家とかに関連するものを読めばよい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480058702
http://www.amazon.co.jp/dp/4121016297
江戸時代は将軍や町人を中心に把握しがちだが、(補集合としての)百姓にも注目しておくとこの時代の理解が深まる。
http://www.amazon.co.jp/dp/4061494147
http://www.amazon.co.jp/dp/4061495992
近現代は「イベント」か「人」で把握する方法がある。大枠はすでに理解しているはずなので、イベントや人物のトリビア的なものを読んでいればおのずと知識が定着するはずだ。
受験対策に一般書を使う、という試みで最も大変だったのは「網羅性」を確保することだった。「邪馬台国」や「戦国大名」のように人気があるテーマの本はたくさん出版されている一方、地味なテーマである「土地制度」や「社会制度」について触れている本の数は激減する。新潮新書や岩波新書などメジャーな新書シリーズであれば、出版社が出している目録が大きな本屋においてあるで、必要なトピックの本を取り寄せも活用して買いそろえる必要がある。
正直、これが「効率がよい方法」だったかと問われると疑問だ。ただ問題集を解いて覚えていくというスタイルがどうしても性に合わなかった自分に、最適な方法だったといえる。高校時代ずっと地歴科目が苦手だったが、最終的に本番の試験の日本史では47点/60点をとることができたことが、この方法論もあながち悪くないものではないという証左になればと思う。
正確な単語や年号の暗記を要求される予備校の模試では20点を超えることはなかったし、センター模試でも50点を超えることはなかった。
ちなみに、暗記が要求される世界史は30点だった。世界史については自信がなかったので論述における「必死ポイント」(単語とか正確に知らなくても必死に書いたらもらえる点、造語だけど。)があったのだと信じている。
飯島愛の死体が発見されたクリスマスイブに浜崎あゆみが貧血でかなり
高い所から落下し、全治3週間の右手に負ったみたいだな。最近自称歌手
のやしきたかじんも右手を15針縫うけがをしたみたいだが、もしかしたら
<飯島愛の死+右手のけが>に意味を持たした芸能人死傷攻撃が行われた
かもしれないな。
浜崎あゆみは貧血と思っているが、強烈な波動拳+薬物攻撃を受け、一時的に
頭の中が真っ白になった可能性がある。気になるのは「たかじん」が番組の
中で怪我の理由を自分で説明したのではなく、辛坊治郎解説委員が「ワイン
グラスを握りつぶしたんでしょ」と推測したのを、たかじんが「なんで知っ
てんの」と答えただけで、怪我の理由の説明をはぐらかした感じがしたこ
とだ。もしそうだとしたら、<やしきたかじん>から飯島愛怪死の真相に
迫れるかもしれない。
あとサンジャポファミリーの川田亜子?、三浦和義、飯島愛がこの7ヶ月の
間に怪死している。最近テリー伊藤も腰椎の一部を骨折したが、もしこれも
闇組織が意図して骨折させたとしたら、その方法はどういったものなの
だろう?本当は骨折してないのにテリー伊藤が骨折したと言い張っていたら
笑うな。かなづちで自分の腰を自ら骨折させてたらそれこそ爆笑問題だよ。
・自称歌手、やしきたかじんが、最近右手を15針縫うけがをした。
えっと、事件性があってもそうなの?
例えば、指紋が判明しないような処理を施してあったり、頭部が持ち去られていたり。
殺人事件と明らかにわかる場合は、話は違うんじゃないの?
そんなに分かりやすくなってた?
で、ちなみにいえば、普通殺人事件が起これば、家人が帰ってこないと失踪届が出てるもんだよ。
会社なり家族なり、マンションの管理人なりが警察に届けるわけです。
身元不明人との照合を行えば出てくる。で、ちゃんと捜査されるわけで。
異常性のある死体で身元不明のまんまってのが、ものすごいレアケース。
いや、意外としないよ。
身元不明者との照合と治療痕の照合するかくらいじゃないかな。
現実で身元不明(法的には行旅死亡人)の死体って結構出るもんだよ。浮浪者がのたれ死んだら、それだけで身元不明だし。
ミステリー本で身元不明の死体が出たら、まず確実にトリックに関係あるけど、
現実で身元不明の死体が出たところで、要は親族なんかから探されていない死体だからねえ…。
そっちを全力入れて探しても、特に事件性がない限りは意味がない。つまり、増田が思ってることは思いこみ。
参考:
http://news.livedoor.com/article/detail/1227934/
実際にこんな風に官報に掲載される
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。
トルネコの大冒険1もっと不思議でいつもの用に負けに行ったわけだが、今回はなんと分裂の杖持ってるときにはぐれメタルに遭遇! ザキの杖も回数増やしてて、はぐれメタル倒しまくり! 幸せの種ムシャムシャ食ってレベルが23に! 経験値45000!!! 武器防具バイキルトスカラにも恵まれはぐれメタルの剣+3みかがみの盾+9! 余裕でガッスガッス倒すも20階過ぎてギガンテスに苦戦し始める。 シャドーの指輪、毒消しの指輪があったのでシャドーとミステリードールには苦戦せず。ところがラストスパートがうまく行かずドラゴンとシルバーデビルに挟まれ焼死。
もうこれでダメだったんだから無理だよ。なんで? なんでクリアできる人はこれを9割の率でクリアできるの? クリアレベルとか見るとはぐれメタル使わずに23とかになってるじゃん。どうやって? 経験値45000て普通にやればドラゴン15匹分だよ? アークデーモン55匹分だよ。ありえない。なんなの? おれはどうすればいいの? もーっ! キーッ!