はてなキーワード: ネロとは
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配送便確認
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最近、ヤマト運輸とご勘違いされるお客様がまれにいらっしゃいます。
あたかも、クロネコメール便と混同され宅配便等のお荷物と勘違いされお問合わせ頂く事が御座いますが、当方は運輸業では御座いませんし、ヤマト運輸とは何ら一切関係御座いませんのでご注意下さいませ。
「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。
『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。
もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。
イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことをずらずらと書いているのだ。
その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。
結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。
もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。
日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。
ところが、1982年、大きな転機がやってくる。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。
日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。
生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。
「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」
というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。
街の誰に尋ねても、何もわからなかった。
しかし彼はあきらめない。
「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」
図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。
欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。
……だが、読み終えた彼はがっかりした。
実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。
ただただ暗いだけの作品なのだ。
原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。
(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)
もしかしたら、それがヒントになるのかも?
彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
情熱は、いよいよ膨らむ。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。
当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。
だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。
ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。
そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。
ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。
ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。
その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。
ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。
その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。
研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。
彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。
……はずだった。
なぜなのか?
コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。
ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。
英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。
仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。
その結果、驚くべきことがわかった。
コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。
だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。
異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。
彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。
だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。
二人の間はギクシャクし始める。
その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。
「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」
秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。
「彼は変わり者だからね。我慢さ」
愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。
ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。
二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。
口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。
だが、そのときヨシエは豹変した。
日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。
「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」
彼女の口は、悪かった。
その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。
何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。
彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。
しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。
それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。
二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。
……これ、男にありがち。
男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」
他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。
日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。
それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。
それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。
そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。
彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。
……こと、ここにいたっては、どうしようもない。
その時の衝撃は、彼の行動が示している。
コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。
最近、あちこちで、「正反対」という意味で「真逆」という言葉を目にする。仕事柄かもしれないが、主にライトノベル周りで、よく目にする気がする。
手元の辞書を引く限り「真逆」は、「まさか」と読み、「まさか、そんなことはないだろう」などの、否定的な推測を意味する。
どこから正反対の意味が出てきたのかと用法を追ってゆくと、どうやら「月姫」のネロ教授のセリフに由来するようだ。抜粋するとこう。
ここでは、多分、作者は「正反対」の意味では使っていない。「まさか」と読んでも十分に意味は通じる。
ただし、「まさか」という読みを知らなければ、文脈的、あと字の意味から「その正反対だ」という意味にも取れる。「月姫」では、独特の造語が多く用いられるので、読者が「真逆」を、そうした造語と取り、今に至った可能性がある。
新しい言葉が生まれるのは、世の常なので、「真逆」の広がりについては、面白いなぁと思っています。
それはそれとして──「真逆」を使う皆さん、なんて読んでます?
「しんぎゃく」?「まぎゃく」?「まさか」?
ジェットモグラだと地上に出てきた瞬間を目撃された時なんか恥ずかしいww
もう一回もぐりたくなっちゃうしww
男にはせめて番号のついたやつ乗って欲しい・・・
駅とかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww
せめて普通にサンダーバード1号やサンダーバード2号ぐらいは乗って欲しい。
常識的に考えて欲しいだけなんです!
ジェットモグラで迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる?
あのね?たとえば週末10〓20人ぐらいで災害救助とか行くでしょ?
それぞれ彼氏の乗り物とかで来るわけじゃない?
みんな普通にサンダーバード4号やサンダーバード3号やベネロープ号やFAB 2で来るわけでしょ?
ジェットモグラでぐりぐり地下に潜っていったら大恥かくでしょうがww
お店側にとってのメリットってなんだろうね……。
チャンスロストしないってことかな??
例えばネットショップで品揃えが同じで5%安い店よりも、
5%高くてもクレカがついているお店の方が売れる。
これはためしにやってみたことがあるので確実にいえる。
そういうところでいらぬ心配をしなくていいのがポイントかもしれない。
お店側も注文されたはいいが、いつ振り込みがされるかわからない他の方法より俄然らくちんだ。
返金も請求かえればいいだけだしね。
入金まで相当またなきゃいけないのは辛いけど…。
でも路面店はクレカ取り扱い店と取り扱わない店とでそこまで差が開くとは思えない。
お客がリボを組んででも買ってくれれば消費者金融からかりるようなもんで、
カード会社も金利分もうかるし、お店もチャンスロスしないですむ。
維持手数料とかはかからないので顧客便利のために!という営業トークなわけだけど、
そこらへんの売り上げにたいしてチャージが発生する仕組みを知らなかったりしたまま、
で、一度はじめると利用するひとがでてきてしまうのでやめるにやめられなくなる。
そんなところじゃないかな。。。
現金と同等に扱える電子マネーがなんで普及しないのか…。
ハッ、(´0ω0`)だからか!?
両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。
ただの悲惨な話だよ。
ルーベンスの聖体降架で満足して昇天て! レンブラントもフェルメールも見ないなんて!
冤罪にしてもいくらでも身の潔白は証明できるし、司法は何やってたんやっちゅう話ですよ。
ネロもネロで借金でも物乞いでも盗みでもなんでもやってサバイブしろよ。
自尊心で凝り固まったイヤなガキにしか見えん。
まぁ、そもそも原作から世界名作劇場への変換時点で大量の翻案があったわけで。
欧米で支持されないのも当然の話。
「フランダースの犬」というのは私が認識しているあらすじでいうと、誤解され続けた少年が最後の最後で誤解も解け、絵の才能も認められるんだけど、でもその時には彼はもう死んでました、というところが泣かせる話だと思ってた。ちょっと「ごんぎつね」に通じるものがあるというか。死んでなかったら幸せな結末が待っていたのに、死んでしまった、というところが泣かせるというか。このあたりの方向性がこの二つは似ているような気がしていた。両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。
ただ「フランダースの犬」については、「天に召されるというのはキリスト教的価値観で言うと、「至上の幸福」なんじゃないか」という考えを聞いて、半分納得していた。個人的な感覚としては泣かせる話なんだけど、わりと西欧諸国ではあの話は「めでたしめでたし」なのかな、と。
ところがこの記事(http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm)を見るとどうも違うらしい。
(略)欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。
なんだそら!でもそうか!やっぱり向こうでも決してあの結末はハッピーエンドじゃなかったのだな!
やっぱあれは最後ネロが助からないと悲劇過ぎるよな!
ところでプロデューサー言うところの
日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの
ってのはちょっと分るような分らないような。
ガキの頃は下らない事にこだわったり、逆にありえないほど自信過剰だったりするよね。
つまり子どもっぽいくだらないこだわりで、
死ななくてもいいのにパトラッシュを道連れに死んだ、ってことでいいのかな?
死にそうなほどに腹が減ってるのに、薦められた食事を断る、
途中経過はともかく、ラスト前には町中のみんながネロのことを助けようとしてた。
誤解もとけ、アロアの両親もネロに温かい声をかけていた。
しかし終盤のネロはまるで鬱病のように塞ぎ込んでいた。生きることに絶望していた。
そのまま、助かる命を自ら捨てるように死んでいった。
極論だとは思うが、人々の手を振り払って自ら死ぬのは、
自分が死ぬことによって、それらの人々に罪悪感を植え付けるための。
要するにフィクションってことでしょ。だったらドラマやアニメなんかで「死なないでネロ…」とかいいつつ号泣するのと同じなんじゃないのかね。
あとは、内容が本当だろうが嘘だろうが、反応があるっていうのは書き手に対する支持と素直に受け取っておけばいいんじゃないの?良心の呵責に堪えられないんだったら、あなたは最初からそんなことをする器じゃないんだよ。
もうひとつ、本当だろうが嘘だろうが、「安全側」で反応しておけばいいっていうことかもね。あなたは恐らく社会人じゃないんだろうけど、社会に出るとこういう思考を身につけるようになるんだよ。覚えておくといいかもね。(そのときが来ればまあわかるだろうけど)
追記