2007-12-25

フランダースの犬の話

フランダースの犬」というのは私が認識しているあらすじでいうと、誤解され続けた少年が最後の最後で誤解も解け、絵の才能も認められるんだけど、でもその時には彼はもう死んでました、というところが泣かせる話だと思ってた。ちょっと「ごんぎつね」に通じるものがあるというか。死んでなかったら幸せな結末が待っていたのに、死んでしまった、というところが泣かせるというか。このあたりの方向性がこの二つは似ているような気がしていた。両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。

ただ「フランダースの犬」については、「天に召されるというのはキリスト教価値観で言うと、「至上の幸福」なんじゃないか」という考えを聞いて、半分納得していた。個人的な感覚としては泣かせる話なんだけど、わりと西欧諸国ではあの話は「めでたしめでたし」なのかな、と。

ところがこの記事(http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm)を見るとどうも違うらしい。

(略)欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。

なんだそら!でもそうか!やっぱり向こうでも決してあの結末はハッピーエンドじゃなかったのだな!

やっぱあれは最後ネロが助からないと悲劇過ぎるよな!

ところでプロデューサー言うところの

日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人価値観を体現するもの

ってのはちょっと分るような分らないような。

  • 両者とも最後の持ち直しがなければただ単に悲惨な話になってしまうのだけど(読み返さずに書いてます)。 ただの悲惨な話だよ。 つうか最終シスター四方木田の「無知な!」の一言に...

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