はてなキーワード: まろんとは
藤井みほな先生がGALS!の続編を今連載してて、ファンレターに他の過去の漫画の続きを描いてほしいというリクエストがあったらしく「検討してみるね」と優しいことをおっしゃっていたのだが
それをみて種村有菜にKYOKOの漫画をまた描いてほしいって訴えたらKYOKOをまた描いてもらえるのかなって想像した
時空異邦人KYOKOの連載が短期で終わった理由は複数あるが、
そのうちの一つがジャンヌファンたちがKYOKOの連載中に手紙で「あんな主人公は嫌だ。またまろんちゃんみたいな主人公の話を描いて」と主人公をバッシングしまくったこと
ふざけんなよ
同じ性格の主人公ばっかり描いてるような、芸のないワンパターン漫画家なんかそれはそれで嫌だろ
種村有菜にKYOKOバッシングの手紙を送ったまろんファンども一生許さないからな
種村有菜があのとき自由に時空異邦人KYOKO連載してたらふしぎ遊戯レベルの名作がりぼんに生まれてたんだからなマジふざけんなよ
というわけで、自分はずっと種村有菜が本来描きたかった形で描いた時空異邦人KYOKOが読みたくてしょうがないのである
種村有菜、同人誌ではまたいつかKYOKOを描きたいって描いてたし、ファンレターで要望出したらKYOKO描いてくれないかな
FANZAで同人CG集買って抜くのが日課なんだけど、たまーに「あれ?サンプルは妙にエロい雰囲気だったのに中身がぜんぜん実用性ないぞ?」という同人CG集に当たる時がある。
それでも700円~1000円ぐらい払っているので抜かなきゃ損だと思って、なんとかエロいフィールを感じ取って抜く。
たまーに同人CGでも枚数が多いからか1500円ぐらいするのがある。サンプルみてかなり抜けそうだと感じて買おうと思うんだけど1500円となると考え込んでしまう。
なぜなら1500円あれば700円の同人CG集を2つ買えるわけで、つまり1500円というのは2回分の値段なわけだが、1500円1回はどうしても割高である。
性欲旺盛の20歳前半ぐらいの時なら、失敗を恐れないガッツある絶頂でボリュームがあればそれだけ楽しむことが出来たものの、今はとにかく失敗をしたくないので、同人CG集を買ったら先ず一通り眺めて「このシーンで抜くからここで一気に力を上げる」と予定を立てて楽しむので、1作品1回が基本になる。
人物・シチュエーションがころころ変わり複数抜ける作品がある大当たりなら2~3回もあり得るが、経験上、これは作家の画力に比例する。画力が高い作家は複数の人物をかき分ける。これはまろんまろんがすごい。基本まろんまろんの作品はすべて大当たりである。割高でもコスパが断然良い。
しかし、1500円とかでもキャラが三人以内だと一回しか使えない場合が多い。
だから、1500円の作品を見た時、「これはコスパが最悪」と酸っぱい葡萄の理論で避ける。(なお、セールで50%OFFとかになると買うもよう)
話を戻すが、一番最悪なのは700円払っても抜けなかったときだ。
ロケハンでざっと内容をみて、思ってたのと違うとなると大変である。
サンプルでノーマルな奴だと思っていたら製品版でおもらしが入るだとか、サンプルで催眠モノだと思っていたら製品版で常識改変で露出ハード痴女プレイ(見るに堪えない)しだすとか、サンプルでごっくんシーンがエロかったけど製品版でそのあと下品なゲップをするとか、そういう不意打ちを食らった時、怒りがふつふつと湧いてくる。
でも700円払っているのでなんとしても抜かなければならない。
そこで自分が持ってる作品は「甘い葡萄」だと思いこんで、目を瞑って抜くということをやってしまいがちである。
サンプルで感じたフィールを、目を瞑って頭の中で反響させ、サンプルの製品版画像だけを表示して、たまに目を開いて抜くのである。
例えば、本当に許せなかった例の最後のやつだが、ごっくんシーンだけを表示して目を瞑って「上品、人妻、がっつりフェラ」と頭の中で反響させ興奮を高めていって「これはいい作品だ。これはいい作品だ。抜けるいい作品だ。」と声に出しながら抜くのである。
ただし、これをすると賢者と化した時の後悔がすごい。
先ず一通り眺めて「このシーンで抜くからここで一気に力を上げる」と予定を立てて楽しむ方法だと、絶頂というのは「至ってしまう」のである。意識に逆らえきれない。ヘリコプターから飛び降りるスカイダイビングのような抗えない力に身を任せるので満足感も高い。
しかし、頭の中で反響させてシーンを切り出して抜く方法は、まるで泥の中を潜るような苦心しかない。それでも人間不思議なもので絞り出したかのように「至る」。
これを避けるためにはどうすればいいのか。
それはきっと、手が届かない葡萄を見つけた時に酸っぱいと思わないこと。そして、酸っぱい葡萄を甘いと思い込まない素直さが必要なのだろう。
ここまではいいよね。
で、その理由は2つ。
1. 中国語は方言が激しくて、「まろん」では北京周辺しか通用しない。
2. 日本語と中国語は言語体系が違いすぎて、中国語発音をカタカナで表しきれない。多くの日本人は発音できない。だから日本語読みする。
ここまではいいですか?
Walt Disney の喩えはちょっと違うんじゃないかな。
Michael Jackson を日本で通用している「マイケル・ジャクソン」と読むか、原音に忠実に「マイコーゥ・ジャークスン」と読むのか、が喩えにいい気がする。
>マオツートン→猫沢東
は、現地語読みする弊害について書いたつもりなのだが。
>日本人が毛沢東の毛をちゃんと発音できないのも日本語の発音の問題
ピンイン(Mao)でもカタカナ発音(マオ)でも、四声が脱落して「毛」と「猫」の、どっちの漢字のことかが分からなくなるのが問題。
>昔、中国との協定で「自国の読み方をする」って決めましたから。
ここまでは言いたいことはわかる
でもその後に出てくる
マオツートン→猫沢東
の例、これはまったく論点が違う
フランス人がアライロシと言ってしまうのはHを発音できないのが問題
日本人が毛沢東の毛をちゃんと発音できないのも日本語の発音の問題
だが、最初に議題としてあげているのは、馬龍をまりゅうと読むか、まろんと読むかの話
現地語に近い読みをしようとして、でもちゃんと発音ができない、という話ではない
現地語で読みたい、でもそうするとうまく発音ができなくて向こうの人に誤解を与えてしまったり失礼になってしまう、だから日本語読みでいこう、というのなら理解できる
しかしそういう話はしていない
馬龍とまりゅうと読むのは、例えるならWalt Disneyを英語読みに近いウォルト・ディズニーと読むか、ローマ字読みでワルト・ディスネイと読むか、くらいの差だろう
言いたいことはわかるが、ちゃんと筋を通した話をしないと議論にはならない
「馬龍」「王皓」「張継科」ってテロップ出るから、「まりゅう」「おうこう」「ちょうけいか」って読まれた方がしっくりする。
そしたら「まりゅう」でなくて「まろん」と書かれているサイトがいくつか見つかりました。
ていうか、「なぜ現地語発音の『まろん』て書かないのか?」てサイト。
昔、中国との協定で「自国の読み方をする」って決めましたから。
で、もう一度「中国語」「現地語発音」でググってみると、質問サイトとかで質問者が吠えてますね。「なぜ現地語発音しないのか」と。
例えば
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6570812.html
いや、それ無理ですから。
理由は2つ。
中国語は方言が多すぎて(というか、全く別の言語と思えるほど方言がきつくて)、「まろん」だけでは北京周辺しか通用しないのです。
例えば、日本人は th の発音ができないし、フランス人は h の発音ができない。中国人は日本語のバとパの区別ができない。
原啓さんがフランスに行って、「アライロシ」と呼ばれて、「いや、アライロシじゃない、ハラヒロシだ。もう一度言ってみて。」なんて言うのが正しいのか、てこと。日本語読みをフランス人に強制するのが正しいのか、てこと。
以前ドイツに行ったとき、ホストファミリーの名前に o ウムラウトがあって、どうしても発音できず(大学では第二外国語ドイツ語だったのにね)「メヒトヒルデ」と呼ばせてね、といったこともある。私の名前も外国人には発音しづらくて、妥協案の「アッキー」って呼んでもらった。