狂ってたというかぎりぎりなんとかやれてたけど崩壊したみたいな人は多そう
生きる意味を感じない。独身・28歳で地方出身、大学で東京に出てきてサラリーマンを数年している。独り身で毎日淡々と生きてはいるが、生きる意味は本当にないなと感じる。それを求めてネットをさまよっても、生きることが正解で死ぬことが不正解という前提に立った議論しか見当たらない。何か病気や貧困で困ってしまって、ネガティブな意味で自殺するのではなくて、ポジティブな意味で自殺することがあってもいいのではないか。生きる意味がないから自殺するというのは、ポジティブとは言えないのだろうか。ただ、悲しいわけでも苦しいわけでもなく、やりたいことがあるわけでもないし、やらないといけないことがあるわけでもない。それなのに生きることは続けないといけない。生きるためには毎日したくない仕事をして、話したくない人と話をして、義理と人情を立てて気を遣っていかなければならないのが負担。支えるべき家族もいないし、いわゆる替えの効かない人材でもない自分がいなくなっても、社会の側は全然困りはしないだろう。
中学生くらいのときからぼんやりと死にたいと考えてきたが、ここ数年その気持がより先鋭化してきたのを明確に感じる。きっとこれは、社会人になって、日々、論理的に考えることが求められる場面が増えたことも一因だろう。自分の頭で論理的に考えると、自分に生きる必要はないという結論に至るから、死にたいと思うのだろう。生きる意味もないし生きる必要もないし生きる意志もない人生を抱えて、自分はここからどうやっていけばいいのだろうか。
え!そうなの????
これまでの10年以上に及ぶ地道なブクマが評価され、上級はてな民として増田資格を有すると公式に認められたってことか…
二重にうれしいじゃあないか!!
人生無理バーの件、発達障害者の男は厄介が多いからしょうが無いみたいな結論になってて可哀想。
発達障害者当事者でさえ「まあ俺らは俺らだから、この扱いはしょうがないね……」みたいに諦めてて笑っ……いやいや非常に気の毒。
「四肢障害者男性は出禁にします。手や足の不自由な男性参加者がルールを守らず女性客をナンパしたり主催の私に依存してくるのがあまりに多くてもう無理だからです」
ってアナウンスしたとして、まあしょうが無い、障害者出禁は妥当みたいな反応になるかな?
アイツらは他人にGiveせずTakeばかりする、自分でも相手してくれるかもと弱い女に近寄ってくる、典型的なDV気質、みたいに障害者の方が悪い主催は個人でよく頑張った許すって扱いになるかな?
個々の厄介客を出禁にするのは良いとして、「障害者」という属性でくくって排除したら差別だろ、ポリコレウォーズの開戦だろ、となって主催は徹底的に叩かれて自己批判を求められるのではないかな?
どうしてこうも「身体」障害者と「発達」障害者で扱いが変わるのかというと、これは僕の偏見でもあるんだけど、
発達障害者は身体障害者のような「真の障害者」ではない。単に性格が悪く怠惰な人間。「本人の心の持ちよう」のようなもので「空気が読めて他人への思いやりに溢れた」定型発達と同じ振る舞いができるはずなのに、やらないのはただアイツらが怠惰で邪悪だからだ。
こういう偏見が一般的だから、差別主義者の主催が辛かったねヨシヨシされて、厄介客と同一視されるという差別を受けた発達障害者の方が欠点を数え上げられ批判されるという倒錯した状況が起きている。
ぽ!
あれほど奇抜なレシピを見て料理はするなと言ったつもりだったのに、多分『クックパッドを見るな』としか言って無くて、クックパッド以外なら何でもOKって解釈されて、変なレシピでフライを作って失敗してわーわー騒いでマジムリー
そうなんだ。勉強になった。
だってそういう人じゃないとやろうと思わない
ハンクラってなんだよMTかよ