マイノリティで強者(皇族、王族、超上級支配階級)がいるんだから、その逆もいておかしくないね。
世界最多の弱者は女性で、二番手はムスリム、中国人、黒人あたりかな。
もうみんな平気で使ってるイメージあったわ
コロナ前までは会社のランチは外食ばかりだったが、今は席が混みあっている中で食べるのがなんとなく不安なのでコンビニで買って休憩室で食べている。
休憩室はスマホ持ち込み禁止で、常に新聞が複数置かれているので自然と読むようになった。
ネットのニュースは自分が読みたいと思ったものだけ取捨選択するけれど、新聞はぱらぱらめくると色々な記事が自然と目に入ってくる。おかげで普段興味がない分野の記事も読めてなかなか良い。
作品素敵でした!って感想マシュマロに、作者が返答してくれているツイートいいねするのって匿名の意味がないと思いますが作者としてはどんな気持ちですか。
感想というのは本来自己満足のようなものですが、浅ましいのでどんな返答があるか気になってついつい覗いてしまいます。
その方はすごくご丁寧に返答してくださってこちらまで嬉しかったのでいいねを押したかったのですが、それ送ったのわいやでwとうっかりバレてしまうのは無粋ではと思ってしまいます。
バレることの気恥ずかしさや、フォローされたいみたいなことでもないので(恐れ多いから)、いいねはしたいけど出来ないといつも悩んでしまいます。
創作されてる方は感想マシュマロにいいねされてたらどう思いますか?(複数いいねではなく、おそらくこの人が感想送ってくれたんだなと分かるようなやつ)
読書感想文の季節なので、学生時代に読んだ記憶を頼りに感想文を書いてみる。
マドンナが出てくるという事前情報だけで読み始めたが、結局マドンナは端役に過ぎなくてがっかりした。
坊っちゃんは住んでる土地をボロクソ言うし、やたらと人を嫌う。赤シャツは何の先生か忘れたが高圧的な体育教師のイメージで好きになれない。とは言っても、坊っちゃんみたいに嫌って見下すのは理解できない。うらなりのことも坊っちゃんは見下している。自分は見下されるのが嫌いだから、人を見下す描写がストレスだ。
坊っちゃんは自分はこんなド田舎で埋もれる人間じゃない、周りはバカばかりというのを隠さない。それが痛快なんだろうか、坊っちゃん好きの読者は?
学生時代から自分はどうしてこんなにダメなんだろう、どうしたらいいんだろう、また失敗した、うまくやれない…と思っていたので、坊っちゃんの自ら恃むところ頗るあついのが共感できなかった。むしろ「友が皆われより偉く見える日よ」に共感していた。
いや、坊っちゃんだって表向きは強がりだけど内心は不安だらけなんだとか、自分は自己卑下してるつもりかもしれないが突き詰めると自分だって人を見下してやしないか?等と考えれば、坊っちゃんと自分は実は相似形で同族嫌悪という説も成り立つかもしれない。だが、それにしても、実際描写されているような「あからさまな」見下しはどうにも不快だった。
やめてくれ、辛い、その見下し描写は子供の頃いじめられたのを思い出す、という気持ち。
今でも自分の中の坊っちゃんは、人気者で人をイジってゲラゲラ笑い、ちょっといけ好かないやつには面白おかしいいたずらを仕掛け、それがやり過ぎになっても気にしない、自分以外に心があるとは思ってない人だ。
漱石はそういう人物として描いたんだろうか?それとも痛快なお話を書いたらそういう人物になっちゃっただけなんだろうか?漱石は坊っちゃんに好感を持ってるのか、批判的なのか?
再読してみたいようでもあり、読んだらまたしんどくなってしまいそうで読みたくないようでもある。
「坊っちゃん」好きの人はどのように読んでいるのだろうか。また、「坊っちゃん」嫌いな人は自分と同じポイントが嫌なのか、また別の引っ掛かりがあるのだろうか。
じゃあ、女は男のように働け。
グレタさんはどうでもいいんだけど、このまま毎年気温上昇して2045年8月10日多治見53℃、熊谷51℃、公園の池の水消失とかどんどん進んで
ギャラ問題についてだが、もちろんノーギャラだ。
こちらも内容を承諾して望んでいるのだから、かかる費用は折半もしくは一部を負担している。