既婚者が自分の内情を整理するために匿名のこの場を選んで書いています。
不倫を叩きたいだけの方はご遠慮いただけますとありがたいです。
勝てない勝負はしないというか、単に打たれ弱くて自分を守りたいだけなんだけど、好きになっても思いが叶いそうにないとわかっている相手には最後まで告白をしてきませんでした。
悶々と募る思いを抱え込み、ちょっとでも紛らわすために仕事や趣味に打ち込んだりしながら、ただひたすらに時間の過ぎるのを待ちました。自然と気持ちが収まるのを待っていました。
そういうことを何度か繰り返すうちに、今の旦那と出会いました。
一方で、かつて好きだった人達とは「告白する→気まずくなって疎遠になる」ということがないのでSNSなどでたまーに旧友として連絡を取り合うぐらいの仲を保っています。未練がどこかに残るんじゃないか、やはり結婚の前にきっぱりと気持ちの整理をつけたほうがよいのだろうか、と思ったりもしたけれど、そんな必要はありませんでした。女は上書き保存と言うが本当にそうだな、と自分を顧みて思います。今の私は旦那一筋、のはずでした。
少し前から同窓会でしょっちゅう顔を合わせている男性に対して、いくつかのきっかけを経て、恋をしている、と自覚せざるを得ない状態になりました。
でも一度「何もしない」と決めたのなら、わたしはどんなに条件が揃っても、彼もわたしのことを好きなのだと確信できたとしても、お互い離婚して一緒になろうと言ってきたとしても、平然としてそれを断り、何もせずにいる自信があります。今まであんなに好きになった人達への想いを自分の中だけでいつも処理してきたのだから。気の迷いだと自分に思い込ませるのもそれほど難しいことではありません。ダチョウ倶楽部的な自分への前振りではなく、本当にそう思います。さすがにそこまでバカじゃない。気持ちはいずれ必ず収まる。取り返しのつかないことをしでかすことはない。大丈夫。
のだけれども、今まで何度もやってきたこの「気持ちを押し殺す」という作業が、回数を重ねるごとにわたしの感受性とか人への気配りとか目配りとか優しさとか純粋に人を思いやる気持ちとかそういう大切なものを損ねていることもまた、自覚しています。
ひとりひとりの男性に対する未練とか執着はない。同窓会の彼に対する気持ちも、もう少ししたら収まるのはわかっています。特定の誰かとの関係ではなく「自分の強い気持ちと反する選択をする」ことの積み重ねが自分にどのような影響を及ぼすのかが、少し怖くなっています。旦那からこんなにあっさりと気持ちが離れてしまったのも、もしかしたら、今までの「恋心を押し殺す」選択の積み重ねの結果なのではないか、と思っています。わたしは本当に旦那のことが「好き」で結婚したのだろうか。たまたまタイミングよく近くにいた人だから結婚しただけではないのか。そもそも、人を好きになるとはどのような感覚だったか、どうにもわからない。
別に恋愛しなくても人間は生きていけますし、わからないならわからないで日常生活に決定的な支障が出るようなことはありません。でも大切なパートナーであるはずの旦那との信頼関係は、わたしがこんな体たらくでは、もうだめなのではないか。わたしは旦那を愛しているのだろうか。必要としているのだろうか。旦那の方はどうなのだろうか。
若いころは、好きな人には叶わないとわかっていても好きだと伝えました。それをやめてから、わたしは自分のことがどんどんわからなくなっている気がします。自分と向き合うことから逃げているのだと思います。
もちろん、浮ついた熱っぽい激情だけが愛ではない。しかしそういう次元ではなくもっと奥深いところで、人との付き合い方が何かいびつになっているのを感じます。
ここまで書いたのを読み直すと、冒頭でことわったけれどもやはり昼ドラのテンプレみたいな文言がずらりと並んでいます。本当に嫌になる。とりあえず同窓会に参加するのは当分の間控えますが、根本的に精神構造を変えない限りまたどこかで同じようなことになるんだろうなと思います。行動に移すことはないけれども、気持ちの上ではもう同じことをやってるんだから、それで旦那には何食わぬ顔をして接しているわけだから。死ねばいいのに。
女性が着るものは戦闘服だ、メイクは迷彩ペイント、バッグは小銃だ
という訳で、家賃や光熱費、車の維持費はオイラが払っていた、家事もこなした、ピースキーパーならぬハウスキーパーだ
そう、過去形
現在はてな匿名ダイアリーにおいて、多人数による個人への執拗な誹謗中傷が行われています。
彼?の、中傷はスルーするという信条があだとなり、弱いものいじめが好きなはてなブックマーカーのおもちゃにされてしまっています。
出たよまたこういうの。
経済の大前提として、「回る金の量は最大化されるべき」というのがある。
いろいろ考えなければいけないことはあるけど
とりあえず、そのスーパーの目安箱にそれを書いて入れてくれ。それで増田がよく行くスーパーに関しては対応されるはずだ。
もし、スーパーに目安箱がなければ、おばちゃん捕まえて直接お願いしてくれ。
結局、トートバッグ写真盗用、コンセプト拝借とが明確に問題で、メガネ写真とパン氏への連絡に関する件が未解決なのか?
僕の住んでるとこのスーパーのローカル事情とかだったらあれなんだけど、お惣菜とかお弁当の原材料表示がパッケージの裏に書いてある。
僕自身が重度とは言わないレベルではあるものの食物アレルギー(エビ・カニ)を持つので、当然それらの摂取は避けたい。幸いなことに、エビ・カニ系は惣菜類で出てくるパターンがだいたい決まっているので、特別な見分けをしなくても簡単にそれらを避けることができる。(たとえば端から見えるように調理されている、料理名にエビ・カニと書いてあるなど)
ただ、困ったことに弁当のおかず一つに関して、追加の表記なしにそれらが使用されているか判断することは不可能である。おかずに餃子が入っていたとして、それが肉餃子なのか海老餃子なのかりんごクリームチーズ餃子なのか判断しろと言われても困難を極めるだろう。
そこで原材料表示を見るわけだが、弁当というのは綺麗に盛られてそこにあるわけで、裏側の表示を見ようと思ったら持ち上げて覗きこむか、中身がミックスされ隙間から液体がこぼれることを承知でひっくり返すかする必要がある。
なぜ、僕がこのような不便を強いられねばならんのだ。
…という言い方は独善に過ぎるが、せめてアレルギー20品目、いや7品目でもなんとか表側に書いてはもらえんものか。ひっくり返しづらいものだけでいいから。
あれ、そうだっけわかんない