エロ投稿雑誌の常連で、投稿されてたのは女子大生やフリーターで18歳以上だと思うけど「中年が少女と恋愛するには」みたいなインタビューにも登場してた。
投稿の賞金で数百万の利益が出ていたと言われる一方で、消費者金融で1000万を超える借金があったらしい。
雑誌ではナンパした少女をセックス調教する変態中年紳士みたいなキャラだったけど、真相は出会いカフェや出会い系サイトで金で釣ってただけだった。
この10年、老人どもに復讐するために、思考に思考を重ね、2ちゃんや増田で必死で悪口の書き込みを実行してきたのに、あいつの事件のせいでその成果が全部吹っ飛んだ。これにつぎこんだ俺の人生とエネルギーは全部無駄になった。くそがあああああああああああああああああああああああああ。悔しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。あああああああああああああああああああああああああああ。チッキショウおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああ。
僕らが福祉だとか貧者を助けるだとかいう時に考えているのは、とにかく全員を助ける、ということだ。
むかし似たようなこと考えていた。
ヴォネガットJr.やフランク・マコートの小説に一応の帰結を見て、「あ、たぶん今はこれが精一杯だ」と思ってとりあえず考えるのはやめた。
今は少しずつ、本当にほんの少しずつ実践しながら、考える方は別のことを考えている。
やってることはブーメランだな。
相手が誰をリムーブしても自由なのに、自分がリムーブされたことは(理由は関係なく)
書いちゃうのね。
おんなじレベルだと思うけど。
安月給だからみんなテキトーでいいじゃん。テキトーにやろうぜ。
って意識じゃダメで、常にあの人は使える、あの人は使えないとバイトレベルでも言い合うもんだから
それはそうで、現場でも「教える側」に回ったとき、その人の「教える能力」ってあんまり問われないんだよなあ。
そのせいで新人が辞めても「根性がなかった」とか「見て覚えろ」って言われるだけで。
下っ端で動くのは優秀だが教えるのが下手糞って人は、現場で使えない人に比べて淘汰されないし
上司が使えないからって社員が大量離脱したり大規模な離反が起こったりしないから(海外に比べて明らかに少ない)
http://anond.hatelabo.jp/20111015030545
さよく
そんな事言うなら、具体的に助けてほしい
それは知らなかったけど
日本やアメリカの公的な文書では、自閉症とは言わなくなってるというのは、wikipediaで読んだ
でも、元々は器質的な問題、機能的な問題として、発見されたものが、いつの間にか、範囲を広げてるのは、なぜ?
いつの間にかではなく、論文発表などで、認められてるのかもしれないが
機能的なもの、では無いものは、そもそも別のものだったのではないかと。
なぜ、混ぜてるのかわからない。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1669161.html
心酔している建築家に自分の家を設計してもらう事が夢で、そしてそれが叶い、図面を見せてもらって、
「思ってたのと違う…つーか全然良くない!」って思った時、「ノー」と言うのは難しいだろう。
「ああ、でも自分のセンスが悪いだけで、先生が正しいんだから従おう」と、どうしても考えてしまう。
段々と「そう言えば、何か良い家のような気がしてきたぞ…」と、意見がひっくり返っていってしまう。
でも、いつか必ず冷静になる時は来るのだ。
これが人生で最も重要な、そして正解のある決断を試されている瞬間だと、彼等は気づくべきだった。
自分の判断を信じて「ノー」と言えるかどうか。言い続けられるかどうか。
(彼らは最初ちゃんと「ノー」と言っている)
この夫婦はダサい。いくらオサレなブランド物の服や食器や寝具を使ってても、
全然似合ってないし、家具はメタルラックで妥協できてしまってるし、
誰かのセンスを無理して真似しようとしているような、
圧倒的なダサさが全身からにじみ出てる。
「この人なら、強引に説得できる」って簡単に思われてしまう。
冷静になれば「これは人の住まう家じゃない」って簡単に判断できるのに。
正解はこんなにも一目瞭然なのに。
それが出来ないのは、今までの人生で確固たる自分というものを作って来なかったからではないだろうか。
僕は、この夫婦を笑えなかった。
殺風景な牢獄で本を読む岩窟王のような嫁の姿を見ても、笑えなかった。
僕が信頼する、例えば映画評論家が絶賛した映画をイマイチに思えた時、
「でも僕がニブイだけで実は良いのか?…うーん、何か良い映画のような気がしてきたぞ…」と
でも世間でボロクソだと知ったら「やっぱそうかー!」と冷静になる。
この夫婦と同じなのだ。
いずれ同じような過ちを起こしてしまうかもしれない。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」
今までの人生を振り返ると、そこに答えはあるのだ。
あーあ、ヲタが自分たちのことを豚に例えて守りに入っちゃったよ。
これに限った話じゃないけど、自分で自分のことをマイナスの評価すると防御力がグッと上がるんだよね。
バカが「俺はバカだからフヒヒ」って開き直ったらもう手がつけられないだろ?それと同じ。
馬鹿にされても「豚でーすブヒイイイイイイ」って言えばはね除けられるし、擁護されたらされたで素直に受けられる。
まあ、一言で言えば汚い。
知人で元パイロット(早慶理工卒)からの転職組で千葉医に入り直した奴がいるが、
http://hamusoku.com/archives/6186250.html
こーゆーニュースが出ると決まって「こんなダメなやつを助ける必要ない」という人が出てきて(2chでの多数派)、それに対して「そんなにダメな人ばかりじゃない」「叩きやすい例を引っ張ってきて叩いてるだけ」「頑張ってる人もいる」みたいな反論が出てくるんだけども。いずれにしても前提として「助けられる資格のある人/ない人」という分断があるわけだ。頑張ってるなら助けてあげるけど、怠け者を助ける必要はない、みたいな。
僕(さよく)は、そもそも、その前提が間違っておると思っていて。僕らが福祉だとか貧者を助けるだとかいう時に考えているのは、とにかく全員を助ける、ということだ。そもそも、倫理が僕らに命じているのは、全員助けろ、ということである。「ほら、こんないい加減な怠惰なくだらない人間ばかりなんだから、助けてやる必要なんてないんだ」? いやいや、そんなこと気にしてない。助けるんだよ全員。「こんなに努力しても貧困から抜け出せないんです」アピールなどしない、僕は。
なにも、どんどんパチンコやりなさい、と言っているのではなくて。貧困に陥る、というのは、そういうことなのだ、と言いたい。カネがなければ、カネをパチンコのような無駄なことに費やさずに、社会復帰する努力をする「合理的」「自律的」な「人間」であることが当然だとでも? 人間はなぜか追い詰められると酒飲んだりタバコすったり、実に無駄なことをする。しちゃうんだよ。で、じゃあ、不合理なものを除去したほうがいい? そんなんいうたら人間消えたほうがいいって話で。
この種の貧困、というか、うん、堕落、といってしまおう。堕落から人を救う、ということには特殊な社会的な力がいる。堕落は好ましくない状態だが、病気じゃない。それは直せばいいという類のものではなくて、包摂するというか対話するというか、折り合いを付けたい。そういう力は、ナショナリズムから来るのか、宗教から来るのか、どこから供給すればいいんだろうか、と悩んでいる。(さよくなのでどっちもNGです)