2011-10-15

ドリームハウス」の土の家を見て、僕は戦慄した。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1669161.html

心酔している建築家自分の家を設計してもらう事が夢で、そしてそれが叶い、図面を見せてもらって、

「思ってたのと違う…つーか全然良くない!」って思った時、「ノー」と言うのは難しいだろう。

「ああ、でも自分のセンスが悪いだけで、先生が正しいんだから従おう」と、どうしても考えてしまう。

段々と「そう言えば、何か良い家のような気がしてきたぞ…」と、意見がひっくり返っていってしまう。

でも、いつか必ず冷静になる時は来るのだ。

これが人生で最も重要な、そして正解のある決断を試されている瞬間だと、彼等は気づくべきだった。

自分の判断を信じて「ノー」と言えるかどうか。言い続けられるかどうか。

(彼らは最初ちゃんと「ノー」と言っている)

この夫婦ダサい。いくらオサレブランド物の服や食器や寝具を使ってても、

全然似合ってないし、家具メタルラック妥協できてしまってるし、

誰かのセンスを無理して真似しようとしているような、

圧倒的なダサさが全身からにじみ出てる。

それがバレバレから建築家実験に利用されてしまう。

「この人なら、強引に説得できる」って簡単に思われてしまう。

冷静になれば「これは人の住まう家じゃない」って簡単に判断できるのに。

正解はこんなにも一目瞭然なのに。

それが出来ないのは、今までの人生で確固たる自分というものを作って来なかったからではないだろうか。

僕は、この夫婦を笑えなかった。

風景牢獄で本を読む岩窟王のような嫁の姿を見ても、笑えなかった。

この映像は恐怖でしか無かった。

僕が信頼する、例えば映画評論家が絶賛した映画イマイチに思えた時、

「でも僕がニブイだけで実は良いのか?…うーん、何か良い映画のような気がしてきたぞ…」と

つの間にか意見が変わってしまったりする。

でも世間でボロクソだと知ったら「やっぱそうかー!」と冷静になる。

この夫婦と同じなのだ。

いずれ同じような過ちを起こしてしまうかもしれない。

「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」

今までの人生を振り返ると、そこに答えはあるのだ。

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