確かに財界にはメリットはあるが国と一般庶民には治安悪化、社会保障費の増加、失業率の増加、税収減少などデメリットしかない。
国が破綻するよ。どこが右翼なんだか、国のためを思う右翼だったら反対だよ。
企業が儲かる=国が栄えると言う図式は成立しない。
さすが次世代の○キチですね
ある程度馴染むまでの労力がなあ…。
趣味でGUIなwindowsアプリケーション作りたいけどとりあえずなウインドウつくるだけでどんだけ学習がいるんだろ。
10 PRINT "Hello the world" 20 END
で済んだ時代が懐かしい。
いじめられてた奴が人間変わって成功したとか言うなら分かるんだけど、
そうやって見下して
負け組に対して結果が出ない努力は全て「努力が足りなかった」で済むんだから
勝ち組は楽だよな
もしくは精神論者か?
もしくは努力教徒か?
実体験よりも聞きかじりのものが多いから的はずれのことを書くかも知れない。
最初このニュースを聞いた時、感情的に言って、「仕方がないな」と感じた。
だから科研費を減らしてその分を復興に回すのも妥当な判断だと思う。
「研究は何のためにするのか」という問の答えは人それぞれだろう。
経済的だけでなく、思想や、知的好奇心、教育など、いろいろな側面がありうる。
今後、社会はどう進むべきか。
両親を亡くした子どもの心のケアをするにはどうするのがよいか。
そもそも原発事故はなぜ起こったのか、防ぐにはどうすればよいのか。
放射線の影響はどの程度あるのか。
やるべきことはたくさんあるはず。
通常科研費と呼ばれているものは、研究者の自由な発想に基づく研究を支援するためのものである。
今回のことで、反原発派の研究者たちが虐げられてきたことがよく知られるようになった。
もしこのことを反省するならば、自由な発想に基づく研究こそ支援されるべきではないのか。
科研費の正式名称は「科学研究費補助金」であり、補助金である。
しかし大学からもらえる研究費はわずかで、科研費なしでは研究が全く出来ないという分野もある。
すなわち国(および多数派の研究者)がどういう研究をするかをある程度操作できる。
補助金なのに補助ではなく、自由な発想と言いながら操作ができるという、
「一個人の研究者として今後どうあるべきだと思うか?」という意見募集ではないのか。
国は研究者に期待をせず、
研究者は自分の成果をあげることに一生懸命で、国がどうなろうとお構いなし、
という状況は異常としか思えない。
僕、個人が今回の震災について妥当な意見が言えるとは思えない。
全く専門外だから。
しかし、この震災に対して適切な調査をして妥当な判断を下す責任があるのは誰なのだろか?
それが求められているのはやはり大学ではないだろうか?
一体他に誰ができるというのだろう?
facebookで中高の時にいじめていた奴をたまたま見つけたんだけど、
いじめられっ子って本当に変わらねーな。
facebookだけでなくて、はてなでもブログ書いてたけど負け犬根性丸出しで。
誰かが言ってたよな「だめなやつはなにをやってもだめ」って。
能力とか
才能とか
努力とか
なんだかんだ言って、分相応って何だよ
それ以上望んだらダメなのかよ
「望んでもいいけど努力が必要」ってなんだよ、努力するにはそれなりの才能がないとダメだろ
幸せが欲しいんだよ
分不相応でも
夢物語でも
間違ってても
頭がおかしくても
狂ってても
分相応ってなんだよ
世の中で成功している人はみんな自分の力を見せつけて就職などして「働いて」いるというのに
俺のやっていることはまるでどんぐりの背比べであって、
いまさらに「働かせて」もらうための努力をしている
自分を認めてもらいたいっていう自己顕示欲はいっぱしのくせして、努力することはせずにのうのうと暮らしていて、現在の状況が過去になにも努力してこなかった結果ということを認められない感がある。
クズであるといいつつも、自分は人並み以下ではない、人並み以下の境遇であるべきではない、というような思いがにじみ出てる。
肉体労働や汚いモノに触る仕事は嫌で、人に指図する仕事が楽そうでいいなと思いつつ責任を取るのも嫌だと思ってそう。
と、ここまで書いて自分のことだと気づいて欝になった。
新公式問題集買ってきてやりこむだけでも点数伸ばせる。
簿記についても、いきなり2級に手をつけた?
3級からでも良かったんじゃないかと。まあ2級くらいはないと付加価値にはならないか。
付加価値を高めて何をしたいのか考え直す、ということも必要かもね。
やっぱり目標がないと。
ここには書きづらいから書いていないだけかもしれないけど。
小学生までの頃の話。食事中に突然、まったくランダムなタイミングで、かなり強い吐き気に襲われるのが大方の日常だった。家では食事の量を調整するチャンスが多いのでよかったが、それが難しい学校給食では、およそ一週間に一度の頻度で吐き気に堪えられなかった(そして胃の中はキレイになるのだ orz)。
それが満腹というものなんだ、と理解していた。だから人は「腹八分目」を目指すのだ、食事って大変だよなあ、などと思ったもんだ。
中学に上がるか上がらないかの頃だったっけな、吐き気にはわりと慣れた。風邪を引いてばかりで体の弱かった自分も、ようやく普通の元気な人と同じように、平気な顔で吐き気を我慢できるようになったぜ、と思った。
いつだったか定かじゃないけども、ある日突然、(おそらく)本当の満腹感を知った。満腹感のクオリアの言語化なんて真似はできないが、確かに吐き気とは違う充足感だった。
高校・大学を経て大人になった今では、吐き気と満腹は明らかに別物だと理解した。吐き気を伴わずに食事を完了するコツもある程度把握した。
ポイントはなるべく高速に飯をかっ込む事。ゆっくり食べていると、やはり突然吐き気がやってくるようだ。大人になってからの数多くの研究により、ようやくここまで突き止めた。
ただしこれでは料理の味があまりよく分からない。健康にもよろしくない。唾液の分泌が少ないと歯にも悪影響だ。今後、ゆっくり食事をしつつ満腹感を得る方法を研究する必要がある。
研究にはセブンイレブンの塩カルビ弁当が便利だ。量も値段も手頃だし、研究には再現性が重要だから、今さら他の弁当に乗り換えたくないのだ。