はてなキーワード: 茶器とは
有名な観光地である豫園(よえん)近くを歩いていると、後ろを歩く友達が誰かに話しかけれれたようで、立ち止まっている。
横には20代と思しき中国人の女性。スマホを渡しながら「写真を撮ってくれ」と頼んでいるようだった。
話しかけられた友達のことを「若い女性に頼まれたんだから撮ってやれよ(笑」とからかいながら様子を見ていると、写真を撮られ終わった女性が「あなたたちの写真も取りましょうか?」と聞いてきた。それも英語で。
シャイな友達は「いいです、いいです。ノーサンキュー」と断ってしまったが、自分は(まぁこういうときはお互い様だ)と思いながら、自分のスマホを渡して写真を撮ってもらった。
あとになって考えれば、これがすべての始まりだった。
「写真撮って」をきっかけにして、相手の中国人女性が英語で色々話しかけてくる。
聞けば職業は幼稚園の先生で、2年前から上海に住んでいるという。日本語はちょっとだけ勉強したことがあり、この前の夏にはクルーズ船で福岡に行ってきたとか。
今度はこちらに質問してきて、いつから上海にいるのか、何日間いるのか、今日はどこに行くのか、どこどこ(上海の有名スポット)には行ったのか、などなど色々聞いてくる。
私のほうが英語が得意なので(そう、中国人女性との会話は英語で行われている)、相手の質問に答えつつ、友達との間に入って通訳っぽいこともしながら、5分ぐらいは路上で立ち止まって話していただろうか、さり気なく女性が「お茶は好きですか」と聞いてきた。
「ええ、お茶は好きです」
そう、私は中国茶&台湾茶が好きだ。大学生のころには、毎月のように横浜中華街の馴染みの台湾系茶屋に通っては、いろいろなお茶を買いつつお店のご主人の講義(?)を聞いたりもした。今でも台湾に行けば、台湾茶を大量に買ってしまう。そんなお茶好きと知ってか知らずか、相手がお茶の話を振ってきたので、私はすっかり警戒心が薄れてしまった。
「この近くで、年に一度の茶道(ティー・セレモニー)をやっているのですが、一緒に見に行きませんか?」
うん、見てみたい。それが、その時の正直な気持ち&答えだった。
ティー・セレモニーとは、なんだか仰々しい動きをしながら中国茶を淹れるパフォーマンスで、いわゆる「ザ・観光客向け」のショーなのだが、実は一度も見たことがなかった。それは、私自身がひねくれた性格(あんなもんは観光客向けの見世物だ!)だからわざわざ見ようとは思わなかったし、今までに日本や台湾で行ったお茶屋さんが本気の真面目な(?)お店でそういうショーをやっていなかったこともある。
しかし、この時ばかりは、どういうわけか、暇つぶしというか見世物として、そういうのを見てみるのも悪くないなと思ってしまったのだった。
「じゃぁ、一緒に行きましょう」というわけで、女性に連れられて(今思えば”釣られて”だ)上海の街中を歩いて行く。
歩きながらも女性は、こちらの年齢やら職業やらホテルの場所やら、なんやらいろいろと聞いてくる。私は他人からプライベートなことを根掘り葉掘り聞かれるのが嫌な性格なので、多少は誤魔化しながら適当に答えていると、今度は干支やら星座なんか聞いてくる。てか、干支はともかく星座の英語名なんて知らんがな!このお姉さん、英語力はかなりのものだった。
まぁそんな訳で、移動中もずっとしゃべりながら5分ほど歩いただろか、着いたのは(連れてこられたのは)裏通りにある間口の狭い古道具屋?お茶屋?のようなお店。
お姉さんは、店頭に立っていた赤い民族衣装を着た老女に「ティー・セレモニーはやっていますか」と話しかけ(いま思い出したが、英語で話しかけていた。老女は英語はチンプンカンプンのはずなのに)、そのまま我々を店内へと導く。
店の奥には、壁にやいかにも中国っぽい書や絵が飾ってあり、一通りの茶道の道具(茶葉やらお椀やら急須やら薬缶やら)が小さめのテーブルの上に置かれ、その周りを囲むように椅子が5脚ほど並んでいる。
ここでもまた世間話のようなものが交わされ、茶屋の赤い民族衣装を着た老女は「ティー・マスターの先生」だと紹介される。
ティーマスターの老女が中国語で話し、それをお姉さんが英語に訳し、我々がそれを拝聴するという翻訳リレーのティーセレモニーが始まった。
最初は茶道の歴史やらウンチクやらを語っていたのだが、おもむろに老女が”メニュー表”を出してきた。
内心で「あーやっぱり金とるのか」と思った。ここまで一切お金の話は出ていないが、こちらはなんとなくタダで見れるものだと思い込んでいた節がある。
しかしまぁ向こうも商売なわけだし、中国人がタダでわざわざショーを見せてくれるとも思えない。まぁそれ相応の金額であれば払っても仕方ないかと気を取り直して、メニュー表を見てみる。
メニュー表といっても、白黒印刷のちゃっちいものではない。それなりの厚紙にカラー印刷され、製本されている。背景には、茶器や茶葉の写真が印刷されており、まるでどこか高級料理店のメニューのようだ。おまけに、すべて英語表記。
老女がメニューの1&2ページ目を開き、お姉さんがメニューの一部を指して話しかけてくる。「この料金だけどいいですか?」
お姉さんの指の先、2ページ目の中ほどには「RMB48 / kind / person」とある。(RMBは人民元の英語表記)
一人48元。日本円だと約1,000円だ。高いとも言えず、かといって納得もできない、絶妙な値段だ。
普段はお金にうるさい私も、この時ばかりは、納得はしていないけどこの値段なら仕方ないという感じで「ああ、構いません。OK」と受けてしまった。
しかし、はて、見開きページの左下には”ルームチャージが20元”やら”テーブルチャージが30元”やら、なんやら書いてあるのだが、この説明はなし。
すっかり警戒心が薄れていた私は、(取り立てて説明しないということは、きっとこの表記は関係ないのだろう)と思い込んでしまった。
また、2ページ目のタイトルが「1.高麗人参茶」で、2番以降の続きがあることを思わせる表記だったが、メニュー表は老女が持ったままページをめくるでもなく閉じてしまったので、その先は見ていない。
そんなこんなで、ティーセレモニーが始まった。が、茶道の詳細は割愛する。
パフォーマンス自体は面白かった。合計で6種類のお茶を飲んで、それぞれの茶葉の解説。その間に、金運を呼び寄せる(?)ガマガエルの置物を撫でたり、お茶の淹れ方を教わったり、内容自体は悪くなかったともう。
パフォーマンスが終わると、老女が、先ほどとは別のメニュー表を出してきて、茶葉のお土産はいかが?と売り込んできた。
値段を見て、私は「むむむ、、、これはボッタクリやな」と思った。
ジャスミン茶やら鉄観音やら10種類ほどの茶葉が載っており、それぞれ大・中・小と3種類のサイズが有るようだが、小サイズの一番安いやつでも380元、なんと7,600円もする!
普段から飲む中国茶は100g 1000円もあれば十分、と思っている私の味覚&金銭感覚からすれば、これは完全に予算オーバーだ。
いや、もちろん超一級品の茶葉には驚くほどの高値がつくこともあるだろうが、私の感覚ではナシだ。それに、いま飲んだやつにそこまでの価値があるとも思えない。
「わー、美味しいお茶だった。私はお土産に少し買っていくわ」というお姉さんに影響されたのか、財布を取り出して買おうかどうか迷っている友達に小声て「買うのやめとけ、高すぎ」と耳打ちする。
お姉さん、こちらの戸惑う様子に気づいたのか「ああ、いいのよ、買う買わないは自由だから。私は買うわ。んで、あなたはどうする?」とあくまで買う雰囲気を作り出そうとする。
なんか嫌な流れになってきなたなぁーと思いつつ、「悪いけど、やめとくよ。最近は紅茶にハマっててねぇ、まだまだ在庫がいっぱいあるから」と半分本当・半分ハッタリの話をしてお土産購入は断った。
なんか早く帰りたいなぁと思っていると、店の老女、もといババアが勘定書を持ってきた。
おい、1,280元って、日本円でざっくり2万5千円だぞ。本気か、こいつら。
一瞬にして頭に血が上った私は、思わず「これちょっと高すぎない?」と文句を垂れる。
いわく、お茶1種類1人あたり48元で、3人で6種類飲んだから
48元 × 3人 × 6種類 = 900元 だという。(実際には48元より高いお茶もあったので、大雑把な計算で)
そこに、客引き女のお土産代が加算されて、締めて1,280元だという。
金額にピンときていないのか、財布を取り出して札を数えようとしている友達の動きを慌てて止めて、スマホの電卓アプリで日本円に換算した結果を見せて「高すぎだろ、こりゃ」とキレ気味にいう俺。
敵に向き直って「最初のメニュー表をもう一度見せてくれ」という俺。
奥から取り出されたメニューには、確かに”それぞれの茶葉のページに”「RMB48 / kind / person」、つまり「茶葉1種類当たり お一人様48元」とある。
あーそういうことね、このおちょこ口一杯にも満たないお茶一つに約1,000円を課金し、それが6種類だから6,000円だと。
あーそうですか、確かに書いてありますね、はい、そうですか、って納得できる訳がない。
「こんなの高すぎだろ」
「いや、ティーマスターの先生がこれだけやってくれたんだから、決して高くはない」
「日本でもこんな高くねぇぞ」
「茶道のパフォーマンスを受けたのは認めるが、この価格には納得できん」
「お茶一杯の値段は高いかもしれないが、ここ上海では、急須にお湯を継ぎ足しながら何倍もお茶を飲んで、何時間もおしゃべりできるシステムなのです。ほら、メニュー表のここにも書いてあるでしょ」(確かに英語でそう書いてある)
「そんなこと言ったって、こちとら、メニュー表の1&2ページ目しか見せられてないし、そこにある『一人48元』だけ払えばいいのかと思っていた」
とかなんとか、英語で喚き散らして少し興奮が収まった俺は、勘定書を手に取って冷静に考えてみる。
合計金額は2万5千円だが、そこには客引き女のお茶代とお土産代も含まれている。純粋に我々が払うべきは、相手の言い値では1万2千円、一人あたり6千円だ。
さて、この茶道パフォーマンスにそれだけの価値があるだろうか?いや、ない。払いたくない。だからといって、払わなくて済むわけでもない。
俺は手を顎に当て、少し考えながら、黙り込む。
客引き女が何か話しかけてきたようだが、怒りのあまり全然気づかなかった。
しばらくすると、敵も「面倒くせえ客だな」と思ったのか「じゃあ、いくなら払うのか」と態度を軟化させた。
なーんだ、やっぱりボッタクってる意識があるんじゃねぇか(笑
ここはあくまで、当初の理解どおり「一人48元」で押し通そうと、「3人分で150元なら払う」と言ったつもりが、相手は「1人あたり150元」と誤解したようで、「ならそれで構わない」ということになった。
横でポカーンとしていた友達に、小声で「悪いけど100元払ってくんない?」と言って、財布から100元札を取り出してもらう。
この時、財布の中に、100元札が2〜3枚と、日本円で1万円札が2枚、さらにパスポートまで入っているのが丸見えだったので、財布をさっさと仕舞わせる。
「んじゃ2人分で100元ね」
「え、いや、1人150元でしょ」
「いやいや、だから、最初から言っているとおり、1人48元だと思っていたの。だから、細かい端数は無視して、2人で100元!」
これには、さすがの店のババアも客引き女も怒ったらしく「そんなの少なすぎよ!」とかなんとか言っている。
「そんなのってあり?もう、まったく。せめて部屋代としてもう100元出しなさいよ」
(あーあ、面倒くせえなぁ。でも、あと100元でケリがつくなら)と思ってもう100元を出した。締めて200元のお支払だ。
この期に及んでも、客引き女は演技(?)を止めないらしく、
「あなた達が200元しか払わないなら、残りの分は私が全部払うわ」といって、本当に財布から100元札を取り出して払っている。
疑い深い私は、この光景を黙ってボーっと見ながら、頭の中は「なんだ見せ金か。払うふりして、あとで取り戻すんだろうな。わざわざこんな演技しなくても。」と冷めていた。
でも、この見せ金に釣られて、やっぱりお金を払ってしまう人もいるんだろうなと思った。
まぁ、兎にも角にも、支払いを終えて、そそくさと店を後にする。
客引き女は相変わらず話しかけてきたが、もう俺は怒りと情けなさとで、会話する気力もなかった。
「この後はどうするの?豫園を観光?」とかうるさいので、とにかく客引き女と離れたかった俺は「いや、ホテルに戻るよ。だから地下鉄の駅まで。」と言った。
本当は歩いて帰れる距離のホテルだったのだが、一緒に歩く友達に「余計なこと言うなよ!」と目配せしながら、「地下鉄でホテルまで戻る」と言い、客引き女とは駅前で別れた。
さて、結果的に2人で200元。1人あたり2000円弱の被害額(?)で済みましたが、百歩譲っても適正価値は半分の1000円ぐらいだろうと思っています。
ネットで検索すると、同様の被害例がこれでもかと出てきます。引っ掛けのパターンとしては、典型的な手口なのでしょう。
それは、相手が片言の日本語ではなく、英語でベラベラ話しかけてきたことも大きく影響していると思います。
ネイティブ日本人の私達にとって、片言の日本語にはとても違和感や警戒心を覚えることでしょう。しかし、相手が流暢な英語を話すとなると、日頃の英語コンプレックスも相まって、相手が対等もしくは上等の立場にすら覚えてしまいます。
もしかしたら、このボッタクリ集団の元締めは、そういった日本人の英語コンプレックスを付け入るために、あえて日本語を使わず、英語で商売をしているのかもしれません。
・英語が完全に理解できなくても、とりあえず「OK」と言ってしまう日本人(なまじっか少しは分かる言葉だけに、タチが悪い)
・英語で書かれたメニュー表をよくよく見てみれば確かにそう書いてあるので、仕方ないかと思ってしまう
・もし不満があったとしても、英語では言いたいことも言えずに、泣き寝入りするしかない
日本の振り込め詐欺のように、ある程度マニュアル化&パッケージ化されているのかも。
写真を撮ってくれと頼まれること、また旅行者同士で世間話や情報交換をする、それ自体はとても楽しいことです。
また、善意の現地民がおすすめの観光地に連れて行ってくれることも、本当にあるのかもしれません。(滅多にないからこそ、メディアが美談として取り上げる?)
・お茶屋に連れてこられた時点で「このお店は大丈夫なのか?」と、自分で立ち止まって考えなかったこと
・メニュー表を見せられた時点で、「総額はいくらなのか?」と相手に確認しなかったこと
要するに、自分自身でよく考えて、納得してから行動する、という基本原則を疎かにしてしまったことが、今回の失敗につながってしまったのでしょう。
がとっさにできなかったことです。
私の場合、スマートフォンをネックストラップで首からぶら下げていたのに、いざパニックになっていまうとスマホのことなどすっかり忘れてしましました。
今回の場合は、まぁしょうがねぇかーという感じで、いい勉強になったと思っています。
これが下手にマッサージ店とかに連れていかれたら、それこそ身ぐるみ剥がされていたかもしれませんし、被害額も少なく済んだと思って諦めつつあります。
同様に被害にあう方が一人でも減ることを願うばかりです。
そこから、「いつかは〇〇も心変わりして俺からいなくなるかも」と恋人が弱音を吐いたりした。恋人の猫は恋人を好きなまま死んだのに、なぜ私が恋人を好きなまま死ぬとは思わないのかはよくわからないけど、恋人は命の儚さを悲しんでいるようだった。とりあえず、恋人が死んだら私も死ぬということで落ち着いた。あとから「死んじゃだめだよ」と言われたけどそれは知らない。
「お前にだったら殺されてもいい」と言ってきた片思いしていた友達と、「どっか行くなら死ねばいいのに」って言って首を締めてきた元恋人を経由して、「死んだら死んでね」と言う恋人に辿り着いた。
長かったのかなあと思う。やっとだなあと思う。
机の上に、恋人がくれたものがたくさん並んでいて、その中で一番にきらきらしているものが、わざとひびを入れているガラスの器だ。
ひび割れてしまった茶器に漆を入れた、その美しさを、火傷の痕を気にする友人に見せてあげたい。みたいなことを、梶井基次郎が書いていた。わたしはその文章が好きだった。ひびを美しいものだとする人はどの時代にも一定数いて、恋人はそのひび割れの美しさをプレゼントしてくれた。
恋人がこれをくれなければ、わたしは梶井基次郎好きーとか呑気に言っているだけで、ひびの美しさを実際に目にすることはできなかった。ヒモじゃん。と思う。恋人がいなければ結局何の文学もわからない。智恵子抄を恋人に勧めた行為が文学で、正直に読んでくれる恋人はもっと文学で、わたしが高村光太郎の詩を読むことは全く文学ではない。恋人がいないと、恋人に与えられないと、文学にならない。
どんなことも、恋人が教えてくれた。たとえば、スーパーに繋がれている犬も、桜も、最初に恋人が可愛いねえと言って撫でて、そのあとわたしに大丈夫だから触ってごらんと言ってくれる。恋人を経由して何もかも知りたい。わたしは目をつぶって、恋人はわたしの手に火を当てて、これが火だと教えて欲しい。
2
2日目 午前
ホテルの朝食の後、午前のおやつの蛋餅を食い、猫の村 猴硐→九份に向かうことにした。
まず地下鉄での行き先は台北車站(セントラルステーション)だ。
着いたら、駅周辺を散策する事にした。
すぐ近くに市場があり、その中ではここでも屋台的なものがあった。
台北では其処彼処で料理をして、其処彼処で誰かが何かを食っている。
市場を出ると小雨が降って来たので、近くにあった美術館に入ることにした。
美術館はひんやりして心地いい。
照明を落とした展示室では、赤と青の幻想的な浜辺で艶めかしく肌をさすり合う男2人と、それを覗く小太りな水兵の映像作品が放映されていて、よくわからないけど南国を感じた。
勝手な印象だけど、中華圏の現代アートは男の性を描いたものが多い気がする。
美術館をでたら、むしろ雨は強くなっていたが、3分もしないうちに止んで、強い日差しが古式ゆかしい建築様式の美術館を照らしてきた。
きっと今日もまだまだ暑くなるんだろう。
2日目 午後
台北車站に戻り、台鐵で猫の村として名高い猴硐に向かう。
この途上でも旅の目的の一つがあった。
台鐵弁当だ。
台湾鉄道には日本統治時代からの伝統で駅弁があるそうで、これは蚵仔煎と並んで是非食べなくてはいけないものだった。
どこで売っているのかわからず、改札を通ると、改札のすぐ脇に売店があり、そのまえの待合所で、老若男女が弁当をガツガツ食っていた。
きっと、現地人も食うために生きているし、旅行者もここに何かしら食いにきているに違いない。
排骨(スペアリブ)弁当がイチオシのようだったが、暑さにやられたのか、少し重い気がして、なんだかわからない別の弁当を頼んだ。
でてきたのは、角煮弁当だった。
温かく、蕩けるように柔らかい角煮を口に含んだ瞬間、思わず「うまい」と呟いた。
台北の食い物は、不味いものこそなく、むしろ多分ずっと食べても嫌になる事は無いだろうと思うくらいには美味いが、「びっくりするほど」とまではいかなかった。
しかし、別に飯屋でも屋台でもなんでもない、駅の待合所で、遂に美味くてびっくりするものに出会った。
台鐵を乗り継ぎやがて猴硐に着くと、ホームには猫ならぬ、猫耳のついた麦わら帽子を被ったお嬢さんがいた。
ここに来る人は、自らも猫になって来るらしい。
改札を出たらさぞかし猫だらけなのだろうと思ったら、改札を潜る前にすでに1匹、窓際で寝息を立てている。
一枚写真に収めて改札を通ると、其処彼処に猫が。
観光客にすっかり慣れているのか、どいつもこいつも写真を取られようが撫でられようがどこふく風。南国は猫も呑気なもんだ。
カフェに入って一息つく事にした。
大きなテーブルでアイスコーヒーを飲んでいると、4人客が入ってきて、マスターが「席をかわってくれないか?」
いいよ、と窓際席に行くと、椅子の上に寝息を立てた白猫が。
と、少しすると、不意に便意をもよおしてきた。「やっぱエリーさんの言った通りだったかな?」とも思ったが、一昨日の飛行機から寝不足気味ではあったし、正直台北の食に関しては衛生的に完璧といったものは少なかったので、何が原因か特定が難しい。
そんなに深刻な不調でもなかったので、トイレを借りて用を足し、「もっとまずくなったらその時は台北に引き返そう」位で、旅程を続ける事にした。
お土産の猫型パイナップルケーキを買うため、また筆談メモを描いていると、ブレスレットが何処かに行ってしまった事に気付いた。
頻繁にカバンに手を突っ込んでいるうちに外れてしまったのだろう。
少し探したが見つからない。
そうこうしているうちに雨が降ってきたこともあって、諦めて駅舎に向かう事にした。
「山の天気は変わりやすい!」
猫型パイナップルケーキを売っているお土産屋さんのおばさんは日本語が堪能で、結果としてメモは無駄だった。
目当ての品も手に入ったので、駅前を散策していると、「ブーーーーン」という音。
猫の写真を撮りきにて、実に珍しいものをカメラに収めることができた。
まだ日は高い。エリーさんのオススメに従って、猴硐から遠く無い、十分の瀑布を見る事にした。
十分駅に着いたは良いが、急に決めて下調べがないので、滝までの行き方が分からない。
とりあえず人並みに従って歩くと、沢山の人がいろんな国の言葉で天燈を空に飛ばしていた。
十分は、色々な願いが書かれた天燈が宙を舞う事でも有名な村だ。
天燈の翔ぶ界隈を過ぎれば、川沿いの通りに出た。
さあどうしよう。
これに乗れば確実だ。
メモに滝の絵と「十分瀑布」と書いて、運転手のオッチャンに見せる。
すると、呆れたような顔で「歩いた方が早いよ」
そうなのか。
ワンメーターでも乗せて、良い加減な値段でもふっかけりゃ稼げるだろうに、正直というか商売っ気が無いというか。
でもよくよく考えれば、そんな客を乗せるより、ここから直接九份や台北に行く客を待った方が良いのかもしれない。
オッチャンが指差す方向にしばらく歩くと、「十分瀑布公園」に到達した。
渓谷にかかる吊り橋を2つ渡ると、遂に大瀑布が見えてきた。
滝の飛沫と折から降ってきた小雨であたりはビショビショ。
傘をさしてカメラを構える訳にもいかないが、幸い雨ガッパを持ってきていた。
用意周到。エリーさん、そんなに迂闊な男でも無いんだぜ。
飛沫と小雨に濡れながら、十分の瀑布をカメラに収めることが出来た。
さあ九份だ。
2日目 夕方
十分から九份最寄り駅の瑞芳に向かう車内、向かいに座っていた女性2人の親子連れ、娘さんの方が騒ぎ出した。
言葉を聞くと韓国からきたようで、どうもこの列車が瑞芳に留まるかどうかがどうしても気になるらしい。
手元にスマホがあるので調べれば一発なのだが、なぜか地図アプリなどを見ていて要領をえない。
英語でお互い話そうとするも伝わらない。
お姉さんが先程の女の子に聞いた。「あなたは何処から来たの?」「I'm chainese.」大陸の人だろうか?
「ここに日本人もいますよ」シャイな日本人らしく、心の中だけで言った。
2日目 夜
瑞芳に着く頃にはすっかり日も落ちて、九份観光には絶好の時間帯だ。
駅前で張っていた兄ちゃんに「九份」伝えると、すぐに車を紹介してくれる。
タクシーのオッチャンに行き先を伝えると、出発進行。
しばらくすると九份老街に到着した。
中国語は発音がダメ、英語も中学生レベル、日本語だって怪しい。
台湾は人気の観光地だから日本人が沢山いると思ったら、これが意外と会わないもので、むしろ白人の方がよく見かける位だったが、ここ九份ではちょっと歩くとすぐ日本語が聞こえる。
しかし、良い加減、歩き通しで疲れてきて、少し具合も悪くなってきた。
脱水症状かな。
九份ではお茶でも飲もうかと思っていたのだが、人ですごいし、都合よく茶藝館も見つからない。
写真も撮ったし、もう切り上げようか。
ふと茶器の店が目に入ったので入ってみると、幸運な事に、茶藝館が併設だった。
茶藝館では店員さんがお茶の淹れ方を流暢な日本語で説明してくれる。
赤く光る街を見下ろして、ゆっくり金萱茶を飲んでいると、果たして大学生か若手社会人と思しき兄ちゃん3人連れが、賑やかにやって来て、日本語で高山烏龍茶とお茶菓子を頼んでいた。
諦めかけていた目的が果たせたので、会計の際に店員さんに伝えようと思い、「旅行の目的の一つが九份でお茶を飲む事だったんです。」と言ったが、さすがに日本語で複雑な言葉は伝わらないようだった。
説明の日本語が余りに流暢だったので油断したが、あれは決まり文句なのかも知れない。
「最高だ。」
「謝謝!」