はてなキーワード: 串カツ田中とは
禁煙にしたら客が増えた店もあるわけだし
串カツ田中の売上減で、また「喫煙者」対「禁煙者」の対立が再燃してるが、
つくづく、世の中を「喫煙者」と「禁煙者」に二分する見方は、誤ってると言わざるを得ない。
正しくは、
「喫煙者」
そして
「自身は喫煙しないが、別に他人の喫煙には寛容な、喫煙許容者」
に3分されると思う。
「喫煙者」の声と「禁煙原理主義者」の声ばかり大きいから、「禁煙だが喫煙許容者」の声は殆ど存在しない。
が、タバコ吸わない人の中では、「禁煙原理主義者」よりも「喫煙許容者」の方が、数では多数派だと思うのだが。
喫煙許容者にとっては、禁煙原理主義者と喫煙者の間の区分分けで、余分な非効率が生じる方が、よほどメーワクである。
例えば「禁煙車と喫煙車」「禁煙席と喫煙席」、そんなのどっちでもいい、空いてる方で構わないのに、わざわざ聞かれるのがウザい。
更に言えば、「喫煙許容者」と「禁煙原理主義者」の間には、実は大きな溝があり、コンフリクトを起こしてることは、あまり気付かれない。
自分は喫煙許容者だが、妻が「禁煙原理主義者」なので、つくづく疲れる。
ファミレスで、「禁煙席は満席です。喫煙席は空いてますが、どうします?」と聞かれたら、自分は「喫煙席にします」と答えるところを、妻は「禁煙席を待ちます!(キリッ)」となるので、疲れる。
こういう「自分は喫煙しないが、禁煙原理主義者に辟易してる人」って、少なくないと思うのだが、そういう人のホンネを書けるところは、無いのか?
串カツ田中の売上が下がったというのは、実は「タバコを吸わないが、喫煙者に寛容な人」が、案外多かったからじゃないのか?
「タバコ吸わないが、喫煙者に寛容な人」は、グループ内に喫煙者がいたら、その人に合わせて、タバコ吸える店に行く。
串カツ田中側は、「禁煙者がグループ内にいたら、そのグループは禁煙店を選ぶ」と思ってたのかも知れないが、実際は、その禁煙者が「禁煙原理主義者」でない限り、「禁煙者側が、喫煙者に歩み寄って、タバコ吸える店で妥協してる」のである
https://anond.hatelabo.jp/20190604005659
とても分かる。
選択肢を奪うなと言われても選択肢を奪っているのは貴方達なのだ。
飲む打つ買う吸うの昭和のオッサンでも個人居酒屋の常連感とは離れて、同類の空気で一人ゆっくりとばくだん焼きを摘みながら安いビールやチューハイ片手に新聞やらダラダラ、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われて、独りで静かで豊かで・・・そんな感じで過ごしたい日もあるのさ。
そんな店が全部消毒されて無くなっているんだ。
喫煙者に厳しい世の中、パリピやファミリーのリア充の騒がしさから離れられるオッサンの楽園を残しておいてくれませんかねぇ。
ヴィーガンの屠殺デモには反対するはてブ諸賢ならオッサンの自由にも理解してくれるだろう?わざわざオッサンゾーンにきて譲れと言わないでくれよ。
クリスマスの3連休が迫った花金の夜、増田諸氏におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
私は帰宅してから増田を開き、昨晩にそれぞれ2,3割の本音と好奇心と後ろめたさにいくぶんかノリと煽りを混ぜた投稿がまさかの大量の反響をいただいていることに大変びっくりしているところです。すげえ。
蛇足ではありますがあのまま投げっぱなしで終わってもなんなので、少し追記することにします。
まずはじめに、口汚い言葉で特定の業種や福祉施設、並びに善意を以て眩い生き方をしている皆さんのことを乏したことを深くお詫びします。
ブコメならびに反応でも多くの意見がありましたが、2つを並列にしたり暗部と表現したのは全くの悪手でした。大いに反省しています。
普段はどちらかというと私はおおらかな社会を好み、従業員の満足度を上げることを第一目標とするなど多様性や皆の幸福を尊重するような振る舞いをしているのですが、
なかなか心の中の蛇は隠せず、こういうところで吐き出させてもらいました。
ざっと反応を見て驚いたのは、ほとんどの反応した方が「別に構わないんじゃない?」と放言していることです。
なるほどこれは自由を求めるような生き方が世間のトレンドになるのも頷けるところで、私が住んでいる片田舎からは想像もつかないような意識の変革はここまで広がっていたのかとびっくりしました。勉強になりました。
反対に、ありがたいことにいくつかのコメントでは「これはいわゆるNIMBY問題のひとつではないか。それにしても程度が低いが」と指摘とセットで理解も示していただきました。ですが、私の中ではこの感情はそんな理屈で割り切れるものではなく
もっと名状しがたいなにか、保守的な本音と自分が目指したい高潔な理想の矛盾を短い人生の中で学んだリスク管理と自分の世界の外に対する無関心で煮詰めたようなどす黒い産物です。どういう例えが良いでしょうか。
別に私は家の周辺に串カツ田中ができても家系ラーメンができてもデブなので喜んで愛用し、保育園ができても通報されないような距離感で子どもたちが楽しそうに過ごしているのを見守るでしょう。
でも、小学生の頃に初めてある同級生の家に遊びに行ったらお家のマイカーがゾロ目ナンバーでエンブレムが金色のシャコタン車だったので、その家とは関わりを避けようとしてきました。
エビデンスが明らかで問題ないのは理解していても、会社の商品の原料に福島県由来のものを使うことはあれ以来止めるようにしました。その代わり家では福島県産のお米を食べています。とても美味しいです。
なんと言えばいいのか、いわゆる自分や自分の周囲にとって「ケ」に属すると思われるものを避ける方が長いスパンで見てトラブルに巻き込まれる確率が低くなるという本能のようなものをその選択基準にしているのです。
児相というのは窓口ひとつポツンとあって別に仰々しいものでなくても、私にとってこの属性が強いように思えるのです。なぜならそこには家庭にトラブルを持つ人が多く訪れることになるだろうとイメージできるから。
職業に貴賎なし、ノブレスオブリージュを大切にしてどんどん門戸を開いていくと、いつか(どちらかというと悪い意味で)自分とか縁遠いと思っていた世界がぐっと近くになることが私にはとても怖く、だからこそ
自称青山住民の人たちが言葉の取捨選択はあれそういったものを避ける気持ちに一定の理解を示し、果たして増田はどういう考えが多いのだろうと興味を持ちあのような煽り投稿をした次第です。
近くのコンビニに実話ナックルズや実話BUNKAタブーが多く並ぶようになったり、その逆で物凄く意識高いヴィーガンカフェができたり、もっと言うと私の何代か先の子孫の子供が鬢髪を伸ばすようになることは避けて、
なるべく平穏無事に過ごせることが私の願いです。ありがたいことに現状その願いは概ね叶っていますが、最近世間で持て囃されている多様性を尊重するような生き方はいつか自分の関わる世界に大きなリスクを連れてくるような気がしてとても不安です。
とりあえず今晩のところは、皆さんから幸いにも多くの批判をいただいたことで「そうだよな、やっぱこんな閉じた考えじゃダメだよな」と自分自身のどす黒いものを説得するきっかけになりました。
そうやって価値観をアップデートしても変なリスクが生まれず皆にとって過ごしやすい社会になることを願い、まずは私にできることとして周囲の人に経済的社会的な満足を与えることができるよう、引き続き本業に邁進したいと思います。
ご意見ご指摘ご批判大変勉強になりました。ありがとうございます。どうぞ皆様良いクリスマス連休をお過ごしください。
…と言うと、サービス業を蔑ろにしているとか、キリスト教圏以外を考えていないとか言われるのかな。お後がよろしいようで。ちゃんちゃん。
全店舗禁煙を打ち出した串カツ田中に、久しぶりに飲みに行ってきた。
俺もタバコ嫌いだから、臭くないところで飲めてラッキーくらいに思ってた。
3割くらいしか席埋まっていないのよ。売り上げは減ったけど、
大学生(新社会人?)っぽいグループが2組。4~6人の家族連れが1組。
ぞろ目を出してもなんかさみしい感じ。
ちょうどいい音量なんだろうけど、串カツ田中だと寂しすぎる。
店員さんも手持ち無沙汰で暇そうだし。
よくよく見ると隣の家族のお父さん、ノンアルコールビール。
そりゃお酒も入らないから声も必要以上に大きくしなくて良いよね。
いや、いいことなんだろうけど。
そうこうしてるうちに、8人くらいの子連れファミリー(たぶん3世帯)が入ってきた。
まあ当然、子供たち騒ぐよね。
男の子がやんちゃっぽくて、妹のおもちゃ取り上げただかなんだかで妹大泣き。
親は親で軽くあやしたりはしてるんだけど、
いや、いいのよ。子育て疲れるのもわかるし、
外で気晴らしもしたいだろうし、飲んだって良いと思う。
でも、この店は次は利用しないだろうなって思った。
(世のお父さん、お母さんは立派だと思うよ。本当に。)