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2015-04-16

晒し者にされて

もう安息の地が数えるほどしかなくなった。deviantARTくらいしか安息の地が無くなりそう。

2014-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20140710001012

それwebサービスでよくねえ?って思ったが、リアル媒体頒布したい人もいるか

原価以下のロイヤリティだとさすがに承認欲求を満たす以上に敷居が高すぎるし、頒布数に合わせて原価分くらいは還元されないと製作者が金持ちしかいなくなってしま

印刷所の発注明細と領収書を提出させて頒布数*一冊分を通過購入費から返還するとか?(同人誌作ったこと無いから印刷所とどういう風にやりとりするのかわからんけど)

金が出るなら原価を安くしようっていう感覚もなくなるだろうし、相場を調べてコピー本なら○円、オフセット本なら○円みたいに一律の値段にしたほうがいいか

でもそうすると今度は会場の運営に回すお金が無くなりそうだなあ


pixivの雇われさん

じゃあその文言消すよ tinamiでもdeviantARTでもなんでもいい

過剰にステマ疑うやつもうぜーな

2014-03-24

クリミア検事総長萌えキャラにしてるのは外国人ばっかり

pixivでポクロンスカヤで検索してみろ、イラストを描いてるは外国人ばっかりだぞ。

pixivだけじゃない、deviantartでも外国人萌えイラストを描きまくってる。

もちろん日本人でも萌えイラストにしてる人もいるけど、圧倒的に少数派だ

それなのになんで日本人議長萌えキャラにして描いてクールジャパン、only in japan みたいな話になってるんだ。

2013-11-23

僕がFacebookをできないしやらない理由

ネット上のサービスで何らかのコミュニティを形作るものは、大きくわけて二種類ある。

前者はぼっちでも参加することができるが、後者はできない。この単純な違いがわかっていない開発者が多すぎる。

コミュニティを作ることも視野に入れたサービス

普通に使っていればその中で0からコミュニティが作られるようなサービスTwitterdeviantARTpixivネトゲなどがこれにあたる。

Twitterpixivには、フォローに相手の承認必要としない文化が浸透している。言い換えると一方向な段階から双方向な関係に至るステップ自然に踏める。

ネトゲ場合は少し違う。ネトゲには一方向な段階というのは殆ど存在しないし、無理に行動すれば現実世界ストーカーと同じように迷惑になるだろう。ネトゲ現実世界と違いTwitterなどと似ているのは、低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある点だ。マッチングや共闘や敵対が前提となっている場や大規模なグループでは、常識的な挨拶ができるかどうか程度で他者との接点を持つことができる。

このような場は現実世界では少ない。子供のうちはクラス部活が似た役割を担っているが、友人ゼロのまま一度社会人になってしまうと余程の行動力がなければチャンスがないし、友人ゼロのまま社会人になってしまう奴にそんな行動力があるわけがないので死ぬまで友人ゼロ確定になる。

しかしそんなぼっちでも始められるのが、"一方向な段階から双方向な関係に至るステップ自然に踏める" "低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある" "コミュニティを作ることも視野に入れたサービス" なんだ。

コミュニティがあることを前提としたサービス

コミュニティがあることを前提としたサービスは、登録すると最初にお友達を探してくださいとなったり、そもそもFacebookしかログインできず友達リスト利用が前提になっているようなサービスだ。Facebook自身もこれにあたる。

"コミュニティを作ることも視野に入れたサービス"には参加できても、"コミュニティがあることを前提としたサービス"には参加しないという人々はぼっち以外にもいる。例えば、Twitterの知り合い同士でネトゲを始めてみたり、その逆はあっても、ネトゲの知り合い同士でFacebookを始めたり教えあうというケースは殆ど聞いたことがない。たとえオフ会をやるような人々でもこの傾向は強い。

サービスを作っている側の多くはFacebookヘビーユーザーなので、ここに大きな壁があることに気づいていないと感じることが度々ある。

この壁には"ぼっち属性から"や"リア充クラスタではないから"で済ませてしまうよりも深い問題があると思う。

Facebook現実世界コミュニティ機能を追加するようなものだ。Facebook友達リストを前提とするようなサービスも同じだ。それをとてもありがたがっている人たちがマジョリティだろうとも思う。それに、似たコミュニティがいくつもあっても仕方ないから、オンリーワンFacebookを下敷きとして機能追加していったほうが理にかなっているという理由もわかりやすい。開発側にとってもFacebookコミュニティをそのまま持ち込めることのメリットは計り知れないだろう。

しかしその一方で、Facebookとそれを下敷きとするサービス現実世界コミュニティを持ち込めない人々にとっては分厚い壁でしかないし、既存コミュニティ拡張しかないサービスには面倒臭さしか感じなくなっている人々にとっては重荷になる。

その辺が、僕がFacebookをできないしやらないし、ずいぶん昔にネトゲの知り合い同士で始めたmixiもすぐに見なくなった理由だ。

せっかく魅力的な機能を持ったサービスがあっても、Facebook友達リストを使いますとなっているともうそこで脱落してしまう。Facebookで捨てアカウント取って、友達0で始めてもその中で軽いフォロー関係が広がるように作られているのかもしれないが、そうとわかるような配慮があることは殆ど無い。

最近だと、ビートロボというサービスがとても面白そうだったので始めてみようと思ったのだが、ビートロボの中で0から近い音楽趣味の人と繋がりそうな説明なのにFacebook前提だったので登録以前でドロップアウトしてしまった。本末転倒だと思う。好きな音楽が近い人が好きな音楽を見つけるのに、どうして現実世界の友人関係依存しなければならないんだろう。リア充開発者はこれが本気でわかってない。現実世界関係を持ち込めることがメリットしか見えていない。

2012-01-08

英語が身につくとき

中学高校と英語赤点だった。もう本当に簡単な文でもわからないレベル。英文法はパズルしか思えなかった。

MtG をやって、少し英文を覚えた。ネットで調べ物してたらなんとなく何を書いてるか見当つけられるくらいにはなった。MtG でわかった事は、必要性に追われ、情報経験と結びつけばアホでも覚えるということだった。小学生ポケモンを覚えるようなものだ。

そのあと、ネトゲ外人チャットしてたらまた少し英語が(チャットで)通じるようになった。この通じるってのは、正しい英文を書けるって意味じゃない。ネトゲでは、その場で共有している話の流れや時間場所やそういったコンテキストがある。これが学校で暗記としてやった英語とは大きな違いだった。でも、よく考えたら僕らが使っている言葉というのは、共有されたコンテキスト下に無い方が珍しい。FPSMMORPG でわかった事は、共有されたコンテキスト下でやりとりする分には、正しさよりも返せるかどうかの方が重要だし、文としてあまり正しくない言葉でも、しゃべる必要がある時に何もしゃべらないよりは役をなすということだった。

通じるということのありがたみ、楽しさを知れたのが大きかった。学校時代は、英語が通じるかどうかは 0 or 1 で、間違ってるくらいなら話さない方がいいと思っていた。言葉は間違わないためにあるのではなく、少しでも通じるためにあるのだと当たり前のことに始めて気づいた。この 0 が 0.1 になる経験はとてつもなく大きかった。

そのあと、Flickr 等のコミュニティで沢山の人から英語コメントをもらうようになった。自分の作品について言われてるわけだから当然理解したいし、僕の作品についてのそれぞれの人から感想というコンテキストがはっきりしていて、ここでも必要に追われることと、共有されたコンテキストという条件にうまく当てはまっていた。

どう思ったか何を感じたかという文章が沢山書き込まれ、知らない表現も多く必死に調べながら読んだ。不思議と、感情のこもった言葉記憶に残りやすかった。難しい言い回しでも、その意味がわかった時、「僕にこんなことを言っていてくれてたんだ!」と思うと、それが頭に残る。当然逆に「ばかやろう!こんちくしょう!んなことわかってんだよ!」でも頭に残るのだけど。

こうした作品に対するやりとりで学んだのは言葉の方向性のようなものだ。気持ちの方向性というか意思の方向性というのかな。言葉の一つ一つには今の自分の気持ちはこっち向きでこのくらい、とかこのくらい離れてる気持ちとか、このくらい近づきたい気持ち、という何かベースになるものがあると思う。日本語翻訳してしまうと沢山の関係ない意味があるように思いがちだけど、それは表面的なもので・・・うまく言えないな。新しい言葉を覚える時に日本語訳を覚えるんじゃなくて、その気持ちの向きと強さを感じるようにするというのかな。気持ちのある言葉を投げかけられると、それが結びついて記憶に残るから、引き出しが増えるのかもしれない。

そうすると、自分の言いたい事を英語にするときも、日本語にしてからその通りに英語にするんじゃなくて、自分の中にある気持ちの向きと強さを直接英語にできる時があってびっくりする。多分これは英語力とはあまり関係ないと思う。語彙がなくても、そういう感覚がわかれば、そういう風になってくる気がする。

(追記: 僕がそう強く思い始めたのは、FlickrdeviantArtコメントをもらうようになってからだ。おそらく、写真や絵といった言葉ではないものについて言葉をもらうことで、その作品が与えた事――これは日本語でも英語でもないもっと原始的もの――につながる言葉という視点を得られたのだと思う。当然、小説でも一般の会話でも言葉は他者の内面で理解されてそれぞれに意味を発するので、本質的には絵や写真となんら変わらない。ただ、言葉を使ったコミュニケーションがあまりにも一般化されていることが、言葉表現しかないことを人に忘れさせ、自分の思う通りに伝わって当然の魔法のようなものだと慢心させてしまうのだと思う。)

僕は学校英語教育を否定したいわけじゃない。正しい英語を学ぶ事は必要だし。僕が言いたいのはそういうことではなくて。

学生時代の時は英語が使い物になるには "正しい英語を覚える→英語でやりとりできるようになる→英語で考えられるようになる" という順序をふまないといけなくて、前の段階がうまくいってなければ、到底次の段階にいくわけがないと思い込んでいた。

でも実際はそうではなくて、その三つは全て平行してるんじゃないかなって。学生時代に、英語必要性に追われたり、もしくはすごく英語が役にたったり、ちょっとでも伝わって 0 が 0.1 になる経験英語で気持ちが直接伝わってくる経験をしていれば、英語に対する印象も取り組み方も、当然正しい英語を学ぶことについてのやる気も、違ったんじゃないかなって。

そうしたものは、学校ではカバーできないから、あなた努力向上心がたりなかっただけですよ、勉強の出来る人はみな当然それもやってるのですよ、と言われると反論できないのだけど。僕が中学生だった時には、FPSMMORPG はまだ一部の人の遊びだったし、スカイプなんてなかった。今ならもっと敷居は低いのかな、とは思う。

2010-08-25

初めてコミケに行った、その後

http://anond.hatelabo.jp/20100823054247

勢いが付いた。

 

今週末のコミティアへも行こうと思い、とらのあなへ行ってみてカタログを買ってみた。

店頭ポスターイラストがものすごく気になった。

色気がちょう出ていた。

「「redjuice」が描いた」と書いてあった。

 

ポスターは、これだった。 

【Vocaloanthems】

http://vocaloanthems.com/ )

 

帰宅して検索した。

redjuiceさんの公式サイトで絵をみて、びっくりした。凄かった。

ロックがかかっている絵もみたくて、deviantartサイトメンバー登録もしてしまった。

【redjuice】

http://redjuice999.deviantart.com/gallery/

 

そして、redjuiceさんの名前検索していたら、別の情報に行きあたった。

 

【redjuiceさんが描く「星野しずる」ってどんな娘!? ――自動生成から生まれる新しい“歌”】

http://p2.pixiv.net/2010/06/15/23696.html

自動生成!

私は昔、小さくプログラムを書いていたり、ぼつぼつ企画書をつくってみたりしていた。

SFとかミステリ

すっかり忘れていた熱が戻った。

 

星野しずる

http://www17.atpages.jp/sasakiarara/sizzle/

星野しずるサイトを読んだり、雑誌"界遊"を手配したりジュンク堂に問い合わせるメモを書いたりしている。いまここ。

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