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はてなキーワード: ギリシャとは

2009-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20090409233034

聖書キリスト教ってのは間違いだってのは解るか?

ドストエフスキーローマキリストよりギリシャ正教に近いのは想像できるか?

町山智浩さんが最近発言している、アメリカキリスト教日本人感性からかけ離れていたり

堕胎に理解ある産婦人科医を殺せっつー連中とか)

黒人社会では「キリスト黒人だった」とか。

キリスト教勉強したってヨーロッパ文化はわかりゃしねーよ!

2009-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20090209001638

そりゃ、とらドラ!がただの群像劇であるからじゃないの?

もちろん、大河と竜児というヒロインヒーローを中心としたストーリーであることに異存はないけれど、ライトノベルありがちな主人公が何もしないでもギリシャ悲劇のデウス=エクス=マキナのような存在ライトノベルだと作者による強引なストーリー展開だけど)を避けた結果じゃないの?

2009-01-08

ネットでわかることだけがその人の全てじゃないだろうに

例えばこれ

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090108/1231372002

mstil blog, はてな村 欧米圏の新聞ネットで流し読みしてるだけで、「欧米圏のインテリ日常」って分かるんだなあ。さすがfinalventさんだ。すごい、ご立派、真似できない。・・・・あ、ちなみに「批判とかでは全然ない」ですよ。 2009/01/08

弁当爺はたしか大学先生やってたとかギリシャに住んでたとかちょろっと書いてたと思うが、もしかしたらそのルートで知ってるのかもしれないし、現在進行形リアルで知りうる環境にいるのかもしれない。たまに本の紹介とかで「著者と話したことがある」とか書いてるときもある。

mstilが知ってる弁当爺は「欧米圏の新聞ネットで流し読みしてるだけ」なのかも知れないけど、ネット上のことなんてその人のほんの一部分だろうに。なんでそれを全てであるかのように勘違いしてしまうんだろう?

mstilが「欧米圏の新聞ネットで流し読みしてるだけで、「欧米圏のインテリ日常」って分かるんだなあ」と言うためにはリアル弁当爺と相当知り合いで、その上で弁当爺が欧米圏のインテリ日常を知る機会がネット上にしかないと判断した場合でないとオカシイと思うんだが、実際知り合いなのだろうか?

もちろんその可能性はゼロではないとは思う。

実際、医学都市伝説の中の医師リアルで知り合いだとちょろっと書いていたし。

もしそうでないとしたら、mstilのような人は何なんだとも思う。

2008-12-28

カンパニー松尾AV世界(後編)

http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。

カンパニー松尾AV世界

ヨハネス・シェーンヘル

<インタビュー>

シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?

松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュース手作り弁当クラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像キャリアを通して使ってます。

シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?

松:ハメ撮りスタイル作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。

シ:V&Rプランニングが最初のAV会社ですか?

松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。

シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?

松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。

シ:V&Rプランニング安達かおるが始めたんですよね?

松:はい、そうです。

シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルAVに力をいれていたのですか?

松:はい。安達テレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。

彼は撮影については知りませんでした。自分会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣作品を作ろうとしました。

シ:V&Rの意味は?

松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)

シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年自分作品制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?

松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。

シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…

松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリロンドン旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品監督関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。

シ:それはたぶん宮崎レイコとの例じゃないですか?

松:ええ。彼女素人としてこの仕事を始めました。彼女デビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。

シ:V&Rで活躍する一方、マンガ職業AV監督」の原作も手がけられています。

松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。

シ:V&Rは現在ではどちらかというと大会社ですか?

松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社ビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。

シ:V&Rが制作した「ジャンクシリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリー南米で撮影されたものですか?

(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクタイトルでデス・ドキュメンタリー制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)

訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"

松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオ海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。

新聞カメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場直行しました。ブラジル警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。

シ:事故殺人現場にご自身行ったと?

松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。

シ:ジャンクシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?

松:6番です。

シ:どこで撮影しましたか?

松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャングホームレス麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。

シ:リオでハメ撮りは?

松:いや、まったく。アメリカヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。

シ:他のアジア諸国だと?

松:アメリカヨーロッパポルノに関して長い歴史があります。スクリーンセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。

シ:V&Rにはいつまでいましたか?

松:2004年までです。それからハマジム現在会社を仲間と始めました。

シ:ハマジム意味は?

松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマン浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。

シ:現在、何人が働いていますか?

松:7人です。

シ:ハマジム作品の平均的予算は?

松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。

シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。

松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。

シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?

松:ええ、基本的にそうしたくて。

シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?

松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常ストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。

シ:でも撮ったんですよね?

松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。

シ:これからの予定は?

松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビ映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジム大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081110235852

あんまり気にしなくて大丈夫

むしろその韓国人キリスト教観の方が心配。

(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公ジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。

手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw

フランス人レビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、

創世記にある神のありがたい言葉wを採用してる。

なのでイスラームはぜーんぜん関係ない。

以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。

(旧約聖書)>

Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬連想させるものがあってアウト。

いやいや、そもそも聖書記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。

ここでまた創世記第3章7節のありがたいお言葉

(旧約聖書)>

Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。

(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。

(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。

まあ確かに魂の継承輪廻という概念キリスト教からみれば「異端」だけど

(少なくともプロテスタントカトリックロシア正教ギリシャ正教はそうだろう)、

reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?

グノーシス思想ならばむしろ連中のほうが詳しい)

そもそも輪廻仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想

種村輪廻ヒンドゥー的でも仏教的でもないけどさw

(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?

イブが食したのが「リンゴ」であるという記述聖書のどこにも書いてないw

確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、

創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。

ヨーロッパ醸造された幻想のひとつだ。

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」

Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

ココはむしろ神自身がウソツキだったことを糾弾したくなる。

蛇の言ったことの方が事実だったんだから。

下の引用に至っては神の狂いっぷりがキモいくらいでw

神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!

これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。

神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、

うん、こじつけ

スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。

キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。

ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。

(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人女の子ジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、

(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。

日本人韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw

これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。

名前を無視されること、名前を尊重されないこと」を侮辱と感じただけジャマイカ

宗教概念すら「小道具」にして遊び倒せる下地が日本にあることはむしろ誇るべきことだと思うがね。

2008-10-21

[][][][]意志の力でどうにもならない物事

他人や出来事の犠牲者にならないための「思考のフィルター」 | 考えるための書評集

君のものだけを君のものであると思う

[自他境界線]

[権内][権外][分限自覚]他人の評価は他人のもの自分の行動は自分のもの

自分は自分、他人は他人。

大衆がする尊敬と侮辱

「自分がコントロールできないことを心配しても仕方ない。自分にコントロールできること、自分にできることをやればいいんだ」宇宙飛行士・医師 古川聡

「自分がコントロールできることとできないことを分けて考えなければいけません」元プロ野球選手 松井秀喜

王さんとヒデキ・マツイと『7つの習慣』

「7つの習慣」セルフ・スタディ・ブック 第一の習慣:あなたが変えられるものを考えてみる――「関心の輪」と「影響の輪」 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

7つの習慣 - Wikipedia

google:東大家庭教師が教える 頭が良くなる思考法 コントロール内 コントロール外

「コントロール外の事を変えようとしない」東大家庭教師が教える 頭が良くなる思考法

「人の事を変えよう」と思わない。「見抜く」「決める」「やる」の3ステップ

コントロール内 コントロール外 - Twitter検索

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots

最近、他人を説得したり、意見することにエネルギーを使うことをやめました。それよりも、自分を変えることが大切。

カウンセラーのつぶやき 相手を変えようとする生き方(外的コントロール心理学)

カウンセラーのつぶやき 自分を変える生き方(内的コントロール)

Amazon.co.jp: 幸福論 (第1部): 本: ヒルティ,草間 平作

幸福論/ヒルティ著/岩波文庫

「ラインホルド・ニーバーの祈り」について

自己の「分限の自覚」(自由になるものとならないものとを区別すること)

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。


哲学は人間の外側のものを与えない。エピクテートス

人間の幸福は外部より受けて生ずるものにあらず ソクラテス - 名言から学ぶ幸せのヒント

エピクテートス | 幸福・不幸 道 意志 物事 | 幸せを呼ぶ名言‐偉人たちの言葉‐

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである

エピクテートス

ギリシャ哲学者

『D・カーネギー名言集』 64頁

権内と権外|terraのブログ

人は生きる上で何よりも、自分の権内にあって自由になるものと、

自分の力の権外にあって自由にならないものとを、

きびしく区別しなければならぬ。

エピクテトスからマルクスへ - 哲劇メモ

意見や意欲や欲望忌避一言でいえばおよそわれわれの活動であるものはわれわれの権内にあるが、

肉体や財産や評判や官職一言でいえばおよそわれわれの活動でないものはわれわれの権内にない。



エピクテートス 提要

The Enchiridion by Epictetus (Audio Book) - YouTube

The Internet Classics Archive | The Enchiridion by Epictetus

提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス

諸々の存在のうち
ある物はわれわれの権内にあるが
ある物はわれわれの権内にない
意見や意欲や欲望忌避
一言でいえばおよそ
われわれの活動であるものは
われわれの権内にあるが
肉体や財産や評判や官職
一言でいえばおよそ
われわれの活動でないものは
われわれの権内にない
そして
われわれの権内にあるものは
本性上自由であり
妨げられず
邪魔されないものであるが
われわれの権内にないものは
脆い隷属的な
妨げられる
自分のものでないものである

そこで次のことを記憶しておくがいい
もし本性上隷属的なもの自由ものと思い
自分のものでないもの自分のものと思うならば
君は邪魔され
悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう
だがもし君のものだけを
君のものであると思い
君のものでないもの事実そうであるように
自分のものでないものと思うならば
誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう
君は誰をも非難せず
誰をもとがめ立てしないだろう
君は何一ついやいやながら
することはなく
誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう
けだし君は何も害を受けないだろうから

エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus

エピクテートス 提要

[語録][エピクテトス][エピクテートス][Enchiridion][Epictetus]

エピクテトスと『The Enchiridion』について

[人間関係は腹六分]

こころの時代 中村元 ブッダの人と思想セレクション(4)「一切にわがものなし」 - NHK

ブッダの人と思想④一切にわがものなし

google:愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。

google:悪から遠ざかる味わい、寂[しず]けさの味わい、教えの喜びの味わい、この味わいを味わう者には恐れがない。

本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは

人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン

鶏口牛後 - はてな匿名ダイアリー

影で「きもい、最悪、勘違いすんな」って言われてても気付かなくてシアワセなんだろうな。

ラベンダー畑の向こう側

・・・ 毎日のように夜遅く電話してくる

友達

いて非常に迷惑だった。

☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)

私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。

言いたいのに、いえない。

私へのメール日記じゃないのです。

うざいからやめてくれない?

泣きながら電話するのやめてくれない?


[心][粗野][人間]心が粗野にできている人間

あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので

腹を立てていると、彼は言った、

「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、

心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」

クセノフォーン ソークラテースの思い出

「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。

だが君は君自身の心を出会う人に、

--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」

エピクテートス提要 28

岩波文庫人生談義・下』(鹿野治助)



あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない

自分を大切にすることだ。

自分を大切な人間だと思えば、自分感情他人の意のままにされることなど決してありえない。

から他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである

エイン・W. ダイアー

【人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。

結局ものすごい憎しみがあると、自分いちばん辛いんで。そっから脱出するには、相手を許すしかない。敵を許すしかないんだという結論に彼は達して。それで救われるんですね。

町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る

許しとは強者の態度である。ガンジー

Amazon.co.jp:ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない

『本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である

たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである

打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである

怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。

怒っている人は動かされているのだ。』

セネカ 怒りについて

堅い岩が風に揺るがないように、

賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。

おのれに勝つのは、戦場千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である

BUDDHA



ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。





[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方 (マイナビ新書) : 古川 聡 : 本 : Amazon

信念を貫く (新潮新書) : 松井 秀喜 : 本 : Amazon

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

http://anond.hatelabo.jp/20131030005950

http://anond.hatelabo.jp/20150716215301

http://anond.hatelabo.jp/20151118234024

2008-10-10

Depeche Mode:Tour Of The Universe 2009

■TOUR OF THE UNIVERSE 2009/ヨーロッパツアー全日

May/5月

Sun 10th テルアビブ, Ramat Gan Stadium / イスラエル

Tue 12th アテネ, Terra Vibe Park / ギリシャ

Thu 14th イスタンブール, Santral Istanbul / トルコ

Sat 16th ブカレスト, Park Izvor / ルーマニア

Mon 18th ソフィア, Vasil Levski Stadium, Tuborg Greenfest / ブルガリア

Wed 20th ベオグラード, USCE Parc, Tuborg Greenfest / セルビア

Thu 21st ザグレブ, Arena, Tuborg Greenfest / クロアチア

Sat 23rd ワルシャワ, Gwardia Stadium / ポーランド

Mon 25th リガ, Skonto Stadium / ラトビア

Wed 27th ヴィルニアス, Zalgirio Stadionas / リトアニア

Sat 30th ロンドン, O2 Arena / イギリス

June/6月

Tue 2nd ハンブルグ, HSH Nordbank Arena / ドイツ

Thu 4th デュッセルドルフ, LTU Arena / ドイツ

Sun 7th LEIPZIG, Zentralstadion / ドイツ

Wed 10th ベルリン, Olympiastadion / ドイツ

Fri 12th フランクフルト, Commerzbank Arena / ドイツ

Sat 13th ミュンヘン, Olympiastadion / ドイツ

Tue 16th ローマ, Stadio Olimpico / イタリア

Thu 18th ミラノ, Stadio San Siro / イタリア

Sat 20th WERCHTER, TW Classic Festival / ベルギー

Mon 22nd ブラティスラバ, Inter Stadium / スロバキア

Tue 23rd ブダペスト, Puskas Ferenc Stadium / ハンガリー

Thu 25th プラハ, Slavia Stadium / チェコ

Sat 27th パリ, Venue TBC / フランス

Tue 30th コペンハーゲン, Parken Stadium / デンマーク

July/7月

Thu 2nd ベルゲン, Koengen / ノルウェー

Fri 3rd アルヴィーカ, Arvika Festival / スウェーデン

Sat 11th ポルト, Superbock Super Rock Festival / ポルトガル

http://www.emimusic.jp/intl/news/?id=intl_news&no=100?rssno=941

2008-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20080817140027

OECDにみる国家ランキング

経済でみるランキング

経済軍事力に匹敵する力だ。力のない国は合併やむなし。

http://puck.sourceoecd.org/vl=3268030/cl=11/nw=1/rpsv/factbook/020101-g1.htm

アメリカ EUヨーロッパ連合

―――――威圧感がありますの壁―――――

 中国 日本

―――――しっかりした存在感がありますの壁―――――

ドイツ インド 英国 フランス イタリア ロシア ブラジル

―――――壁というほどの壁はありませんの壁―――――

スペイン メキシコ カナダ 韓国

―――――すこしのんびりしてますねの壁―――――

オーストラリア トルコ オランダ ポーランド

―――――ロングテール扱いですの壁―――――

南アフリカ ベルギー スウェーデン ギリシャ オーストリア スイス ノルウウェー チェコ ポルトガル デンマーク ハンガリー アイルランド フィンランド ニュージーランド スロベキア

―――――もはやグラフが見えませんの壁―――――

アイスランド ルクセンブルグ

経済成長率でみるランキング

出世頭にはいまのうちに投資しておくんだ。

http://titania.sourceoecd.org/vl=17916193/cl=13/nw=1/rpsv/factbook/020201-g1.htm

中国 アイルランド インド 韓国

―――――伸び盛りですの壁―――――

ルクセンブルグ ポーランド スロベキア トルコ

―――――ほぼ横並びの壁―――――

アイスランド オーストラリア ハンガリー フィンランド ニュージーランド ロシア 南アフリカ カナダ ギリシャ スペイン アメリカ ノルウェー ブラジル メキシコ 英国 チェコ スウェーデン

―――――少し息切れしていますの壁―――――

オランダ デンマーク オーストリア ポルトガル ベルギー フランス 

―――――結構離されてますの壁―――――

スイス ドイツ イタリア

―――――寝てるんじゃねぇのの壁―――――

日本

教育ランキング

人は資本だ。人間が育たない国に未来はない

http://puck.sourceoecd.org/vl=2877492/cl=23/nw=1/rpsv/factbook/090101-g1.htm

http://puck.sourceoecd.org/vl=2877492/cl=23/nw=1/rpsv/factbook/090101-g2.htm

http://puck.sourceoecd.org/vl=2877492/cl=23/nw=1/rpsv/factbook/090101-g3.htm

適当にミックスした。

フィンランド 韓国 オランダ 日本 オーストラリア ニュージーランド

―――――たいへんよくできましたの壁―――――

ドイツ イギリス チェコ スイス オーストリア

―――――よくできましたの壁―――――

アイルランド ハンガリー スウェーデン ポーランド デンマーク

―――――がんばってくださいの壁―――――

ポルトガル イタリア ギリシャ フランス アイスランド アメリカ

―――――もう少しがんばりましょうの壁―――――

ブラジル メキシコ トルコ ギリシャ スロベキア スペイン ロシア

幼児死亡率ランキング

おめぇ、いくらなんだってしんじゃぁおしめぇよ!

http://titania.sourceoecd.org/vl=17702584/cl=16/nw=1/rpsv/factbook/110102-g1.htm

ブラジル 中国 トルコ メキシコ 

―――――10歳まで育てばめっけものの壁―――――

ロシア

―――――結構やばいですの壁―――――

スロべキア アメリカ ポーランド ハンガリー

―――――ほんのすこしやばいですの壁―――――

カナダ 韓国 英国 ニュージーランド オーストラリア オランダ イタリア

―――――壁ともいえないけど壁―――――

デンマーク スイス オーストリア スペイン アイルランド ドイツ ギリシャ フランス ポルトガル チェコ

―――――ここまでくると異様な少なさの壁―――――

ノルウウェイ フィンランド 日本 ルクセンブルグ スウェーデン アイスランド



北欧は強いなー…。

これで、寒くなければ。。。

あと、シンガポールとか中東が無い。

2008-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20080624232415

いや、なんだ、その

増田の言うことはわかるんだ

広義に文学を捉えたら、そりゃ、俺にも面白さはわかる。

現代の「文学」観と言うのには興味が持てる

結局、俺は古い文学青年崩れの連中が嫌いなだけなのだとは思う

ついでに言うと「現代思想」に関しては変に権威付いたものより

ちまたのblogとかで書かれているものの方が好みだ。

変に学者が書くと机上の空論になりがちだからね。

経済学と似たような感覚だ。

しかし、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」と言うのが文学で学べるかというと、それはないんじゃないかなと思う。

学べたつもりにはなれるので娯楽としては成立するがね。

「異質な他者・異文化との出会い」に触れる経験なら実際に異文化に触れた方が早い。旅行に行ってもいいし、自分と違う階層の友達を作っても良い。

「自分を遥かに超える思想体系」がどう言ったものを指すのかは微妙だが、知りたいなら数学勉強すればよい。数学以外でも技術や物理でも良い。

芸術」と言う観点から見れば、音楽、絵画、スポーツほどのインパクト精神に与えることも難しい。

学べたつもりでいる文学屋は何人も見たことがあるが、一様に狭量で知識にひどい偏りがある。

現実経験の足り無さを言葉を装飾することでごまかすタイプばかりで、重傷のアニメオタクとの違いはせいぜい女性経験の有無くらいだ。

空想が空想だとわかっているだけにアニメオタクの方がマシとも言える。

それと話しが分散するが

「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールド

国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える

残念ながら、その全てが出来ていないのが現在国語という科目だ

知は基礎となる「論理的思考力」とそれを他人に広げる「情報伝達」に支えられているが

論理的思考力」は数学の領分で国語科に係わる人々はそれが病的なまでに欠けている。

その為に国語科で教えられる内容はその基礎を欠き、うわっつらの印象だけが空回りし、詭弁が跋扈し、授業は思考停止の場に成り下がっている。

一方、「情報伝達」に関してはまさに国語科が担うべき内容であると考えられるが、現実的にはほとんど教えられていない。

論説文を読んで理解するという所で止まっている。

だから国語の授業はもっぱら「他者に正確に情報伝達」を行う技術の習得に集中した方がよいのではないのかと思う。

これですら、多くの文学屋は他分野の専門家に大きく劣るのが現実ではある。

文学屋の論説文は論説文の体裁を為していない

論説の最中情緒に流され余情な装飾が混じり、語彙力をひけらかしたいのか用語も統一されていない。

概要、前提、議論及び証拠、結論の順で書かないといけないのに

論説文まで起承「転」結で書かれていたりもする。

また、図表記号を用いればよいのにことばのみで表現しようと迂遠な表現になっている。

結果、曖昧で冗長な文章ができあがる。

その上で増田がことばが好きなのだから

一度、BN記法法律論文の書き方を習得してみて欲しい

(すでに習得済みかも知れないし、これらも文学に含めてみても良いかもしれない)

いかに、国語が「情報伝達」が基礎的なところで躓いているかわかると思う

2008-06-24

だから「文学」という概念の捉え方が違うのだぜ

なんか色々同情するな。

星新一宮沢賢治教科書に載っているからOKだったかなw

SFにハマった季節が来たときはそんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。

文学は空想だろw

増田の言う通りだよ。文学は空想だ。だからSFも当然文学だ。別に、たとえば”SF界の抒情詩人ブラッドベリや、”哲学者フィリップ・K・ディックだけが文学だと言うんじゃなくて、ハインラインだってアシモフだってJPホーガンだって、あるいはオレが中学時代少しエロい興味で読みふけってたバロウズだって(笑)文学だ。ちなみにオレも小学校のときは推理小説が好きだったし、純文学的なものは高校に入るまでほとんど読んだことが無かったな。高校時代には教師のすすめるままに読み狂った。まあ半分も分からなかったが。

…まあ、気の毒に思うのでもう少しサービスする。

今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく

「簡単に信用しない」といったのは「批判的(critial)にとらえて理解する」ということだ。「信用しない(distrust)」だけなら子供でもできるだろ。

と言うかその「高校国語」とやらははむしろ歴史部活の役割であって文学とは関係がないのではないか?

歴史」を学ぶことに文学を学ぶことと同じような効果がありうることは理解するが、それは歴史学本来の目的とは違って、単に歴史を「文学を読むように」読んだ結果ではないのか? また、部活動のような合目的的なある程度等質な人間集団で、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」が得られるかどうかは難しいな。音楽系の部活動でなら、たとえば過去の偉大な音楽との出会いなどでいくらかそれに近い体験は可能かもしれないが、誰もが使っている「ことば」を媒介にすれば全体に対して正課の授業時間内でそれができるわけだろう。部活(のそういう効果)に意味があるのなら、より低コストにかつ誰にでも体験可能な形で、国語の授業時間内でそれを行うことにはもっと大きな意義があるんじゃないのか。

それに人を楽しませる文章は文学なのか?

時代小説ラノベ歴史書SFファンタジー推理小説は好きだが文学

少なくとも純文学とは言わないだろう

「純」文学というのは、文学の中のものすごく狭い(それも日本限定の特殊な)ジャンルに過ぎないので、その変な教師に教え込まれた変な定義正直忘れた方がいい。実は、増田の受けた教育の中でもっとも有害なのがその頑なな思いこみだと思う。俗に、教え込まれた「内容」よりも自然と学び取る「根本姿勢」こそ教育本質的価値だというが、増田の場合、まさにその「根本姿勢」の部分でバッチリその変な教師の影響を受けている(だから気の毒に感じるのだが)。

再度言うが、上で書いたとおりSFは当然文学だしラノベだって文学に決まってる(疑うなら、どこの大学文学部文学科の適当研究室電話して、気の済むまで聞いてみても良い、以下の内容も含めて)。大体「純文学」などというジャンル分け自体が、過去歴史上のある特殊な「考え方」に過ぎないというのが、現在の一般の評価。純文学新人賞という主旨のはずの芥川賞にしてからが、最近は(大衆文学新人賞という主旨の)直木賞と見分けがつかん、というより正直受賞作は逆じゃねえのか、と言われるようになって久しい今日この頃。だから、生徒に「純文学こそ文学!」とかそういう価値観押しつけてブンガクばかり論じたがる古い文学青年崩れの困った教師に教わった不幸には同情するが、とりあえずそれは忘れて、現代の「文学」観に目を向けるべき。たとえば、今や現代思想をまともに語れないようでは高等学校現代文教師というのはやってられないのだぜ。

その証拠に、昨今の大学入試の「現代文」というのがどういうものを取り扱っているか。小説(それも純文)なんてほとんど出ない。出るのは大抵現代思想関係で、ざっとキーワードを例示してみると「記号・身体・空間・言語論・メディア情報・文化論・芸術論・経済教育日本論・近代主義・心理学倫理学宗教歴史学国民国家テロ文明の衝突ポスコロ」……etcだ。大抵の国語教科書は、これらのテーマに可能な限り触れるようにしてるし、これ以外のマイナーテーマ(たとえば少数民族問題・沖縄差別風景論・都市論・スポーツ時間論・労働高齢化社会etc)を取り扱ってそれをウリにしようとしてる(さらに言えば、気の利いた会社なら、中学校教科書から生徒が自然とこれらのテーマに触れるように仕組んでいたりする)。教師はそれを意識して、生徒の理解力と相談しつつ、何をどのくらいどういうシステムで学ばせるか考えてる。このへん詳しく知りたければ「教養としての大学受験国語」(石原千秋)でも読んでくれ。さらに、小説の読解についても、「この小説テーマはなんでしょう?」なんて寝言を言って漫然と黒板の前でむにゃむにゃと自説を垂れ流してるようでは商売あがったりで、一行一言に込められた含蓄をあの手この手でどのくらい掘り起こせるか、読む作業の中にセンスオブワンダーを感じさせることができるか、たとえばわずか一つの比喩にどのくらいの意味と力が籠もっているかを解き明かせるか……それだけの文学理論の裏付けと力量が必要になる。これ全部「高校国語現代文)」の仕事なのだな。

それに、「学校国語」で扱える領域なんて、実際に大人が出会う「国語文学」の領域全体の広さに比べれば、庭の池みたいなもんだ。雑誌編集後記だってエロ小説だって新聞記事だって漫画だって、「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールドだ。その意味での「文学教育というのは、メディアリテラシー教育であり、社会学であり哲学教育であり、知的好奇心の喚起であり、ひいては大学以降のあらゆる高等教育の基礎を為す重要資質(少なくとも読み書きという点だけを取っても)の育成なわけで、これから「知の大海」に漕ぎ出す生徒にとって国語が必修科目であるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。

まあそんなわけで、困った「国語教師」との出会いには重々同情するが、「国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える、とかしてくれると、かなり楽だが、多分嫌がられるだろう。なぜなら、これらを教えるための大前提としてあらためて『膨大な本を読まなくてはならない』から。だから結局、これらは国語の教師がやれということになってるのではないかと推測する。そんなわけでこれらの提案は余り現実的ではない。やれやれ。)現実的な対案を示して頂く必要があろうと思う。

どうだろう。増田の言ってるような狭い意味での「ブンガク」授業に価値がないということを否定しているのではない。むしろそこに関しては積極的に同意だ。こちらが言ってるのは、あくまで「国語」というのがもっと広い領域を扱っているということ、だからこそ「国語」を否定するのは間違いで、実際にそれは必要とされているのだ、ということなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080624192723

2008-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20080505141810

キリスト教文化」というから宗教関連と誤解されやすいのでは?

キリスト教といってもギリシャ正教やコプトが広まったわけじゃないし、

実際に英語を普及しやすくしたのは植民地つくりまくったイギリスの文化でしょ。

ロシアドイツイタリアの文化ではない。

一神教とかキリスト教ってのはあまり関係ないのにつかうから変な話になってる気がする。

実際のキリスト教は普及しやすくするために多神教的になっちゃてるわけだし。

2008-05-04

日本語の弱点とか言ってる奴

これとそのブクマね。

幸い「日本語論理的でない」というトンデモさんが出てこない(日本語論理的でなかったら学術書の和訳ができるはずがないだろう)ので少し安心しているが、それでも「日本語は情緒的」だとか「日本語曖昧」だとか「日本語は回りくどい」言ってる人が多いので溜息。

そういうこと言ってるお前ら、どれだけ日本語以外の言語知ってるのかと。

お前らが日本語の「欠点」が見えやすいのは、お前らが日本語をよく知っているからだけの話。実際は他言語でもそういう言い方はいくらでもある。

日本語以外の言語で情緒的だったり曖昧だったり回りくどかったりする表現が可能なことは、ラカンだのなんだのの訳のわからん衒学的なポモ文が、明晰と言われるフランス語発祥であることからもすぐにわかるはずだ。「ソーカル事件」でぐぐるといい。あれはフランス語英語における、言語曖昧さを駆使したハッタリの実体をよく暴露したものだと思うよ。


ついでにいうと、言語の機能の話をするとき、文法・記法と語彙の問題がゴッチャにされる傾向があるのはなんとかならんかね。プログラミング言語で言えば前者は構文や「機能」、後者ライブラリに相当するわけだが、大抵のプログラミング言語チューリング完全であるというのと似たような意味で、日本語と他言語能力等価であると考えて差し支えないだろう。

ただし日本語の語彙体系は和語と漢語(和製漢語含む)と西洋外来語がぐちゃぐちゃになってわかりづらいことは確かだ。文字体系も同様。このため、書き言葉において日本語は非常に学習が難しい言葉とされているのは確か。

とはいうものの、語彙体系の煩雑さは英語だってかなりひどい。ゲルマン系・ラテン系ギリシャ系がぐちゃぐちゃ。しかも、selectionとelectionみたいに、もともと同じ言葉が生のラテン語フランス訛りとで違う意味を持ったりする。また、書き言葉が難しいといっても中国語より簡単なのは明らかだし、日本語の書き言葉学習中国人から見れば困難ではないはず。そして日本語の発音体系は非常に単純かつ標準的なので、日本語は話し言葉として見ればかなり簡単。

そういう意味日本語はごく当たり前の言語。今まで挙げた要素すべてで日本語より明らかに効率的な言語はたぶんイタリア語スペイン語ぐらいじゃないか。


あと、「漢字情報圧縮」と言っている人へ。漢字という文字が仮名文字やアルファベットよりはるかに複雑であることは一目瞭然であり、一文字当たりの情報量が多いだけとも言える。文字数が減ったからと言って情報を圧縮したとは言えないぞ。

それから、敬語日本語独自のものではない。英語敬語だって難しいぞ。謙譲語も尊敬語も丁寧語もある。ある程度「話法の助動詞を使う」という原則はあるが、細かい表現はいちいち覚えていくしかない。

2008-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20080422073509

で、市民革命ギリシャ思想必然的な関係とやらを見せてほしいのだが。俺が思うに、過去伝統の影響を過剰に持ち上げるのは当時暗中模索でことを進めていった人たちに失礼だと思うんだけどね。

うーん、まあそういう意見はそれでもいいよ。でも日本でそれを主張することが、あまつさえ天皇とか引き合いに出すことが、どんだけ危険なのか、ってことくらいは自覚して欲しいな。

ディベートネタに使っていいような話題じゃねーぞ。アホにでしゃばる隙を与えないためにも。

で、ほんとに蛇足なんだけどなんだかなあ。

言外の常識レベルで「必要」なんですが。普通現場では。

だから、あなたの言っている「普通現場」が別に「普通」じゃないと言ってるわけですが。あなたの挙げた例で言うと「携帯ゲーム機プログラマーみたいな仕事」を「普通」の範疇に入れないのはなぜ?

携帯ゲーム機プログラミングアセンブラもどきのC言語が使われるのは、CPUメモリも貧弱でC++コストが高くつくからだ。必然性がある。あと、携帯ゲーム機プログラムは一人でもやれる規模だし、誰かのソースを引き継いでサポート、みたいなこともあまりないからな。

10年前ならともかく、今だとゲームでも、普通ゲーム機や特にパソコンゲームだと、さすがにほとんどがC++で開発されてるんじゃないかな。

業務用アプリ作ろうってのならともかく(まあ、オブジェクト指向を使う目的普通はそっちだが)、そうじゃない人間にとってはややこしいライブラリの癖をあれこれ覚える必要はないわけで。

そんなお遊びプログラムの話をされてもー。

ていうか、STLとか標準的なライブラリの使い方は、もう癖というレベルじゃなく、標準語として覚えるべきだと思うが。

君の仕事を引き継ぐプログラマに、君オリジナルライブラリの癖に適応する手間を掛けさせるよりは、標準的なものに準拠しておいたほうがいいよね。

http://anond.hatelabo.jp/20080422032243

本筋にはレスしないの?もう打ち切るよ。

まず、ここ自体が脱線なのだが、

明治維新って、薩摩幕府天皇にかこつけて喧嘩してただけだろ、民主主義とあんまり関係ない。

明治維新民主主義関係なんて誰が言った?(五箇条のご誓文の第一条見ればわかるけど、イデオロギー的には取り入れられてるんだけどね、まあいいや)そういう話じゃない。あなたの言い方なら「かこつけて」というところを問題にしてるだけ。権威に対抗するのに別の権威を持ち出すのは実に普通だという話をしてるの。

で、市民革命ギリシャ思想必然的な関係とやらを見せてほしいのだが。俺が思うに、過去伝統の影響を過剰に持ち上げるのは当時暗中模索でことを進めていった人たちに失礼だと思うんだけどね。


で、以下は完全に蛇足。

言外の常識レベルで「必要」なんですが。普通現場では。

だから、あなたの言っている「普通現場」が別に「普通」じゃないと言ってるわけですが。あなたの挙げた例で言うと「携帯ゲーム機プログラマーみたいな仕事」を「普通」の範疇に入れないのはなぜ?

あと、C++Javaはちゃんとやろうとするとむしろアセンブラよかずっと難しい(というか「ややこしい」)ので、そう舐めてかかるのはいかがか。

業務用アプリ作ろうってのならともかく(まあ、オブジェクト指向を使う目的普通はそっちだが)、そうじゃない人間にとってはややこしいライブラリの癖をあれこれ覚える必要はないわけで。

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421141701

やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。

俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。

だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。

あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。

言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。

ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。

釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。

別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。

ディベート戦術としてでも、なんでよりにもよってこんな反論選ぶんだ、と俺は思ってしまうわけだ。

あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校勉強なんか役に立たん、英語コミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。

うーん? それ英語言語としての性能とは関係のない議論だよなあ。

俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。

別に俺は古典教育の廃止を唱えているわけではないんだよね。何度か言ったけど。

廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。

どこかの象牙の塔の一室ではそれで通用するのかもしれんが、企業社会ではちょっとダメだそれ。

情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。

だいたい、Cやアセンブラが使える人間JavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。

で、どのC++クラスライブラリが重いというのか、とか、C++FORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。

どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家C++で書いたコード普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。

そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算Perlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。

そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。


以下蛇足。

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャ民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史日本存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回

導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。

そもそも、都市が自治を行うのはギリシャポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?

http://anond.hatelabo.jp/20080419131442

あと書き忘れ補足

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

ギリシャ民主政というのは市民階級貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。

惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

2008-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20080418015808

未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。

ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。

それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。

俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベート戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。

これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?

で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w

つまり、君が絡まなくなるまでだ。

何かひとつ共通言語がないとITなんてやってられん、というのは厳然たる事実だろ。

別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。

ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカ亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカナショナリズムの勝利ということなのだ。

で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本英語文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。

教育ってのは、特に公教育ってのは、底上げのためにやるもんであって。

底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。

それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?

特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機プログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄コードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。

以下は枝葉末節

具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。

いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。

そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?

一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価反動明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本プロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。

いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。

さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャ民主政というのは市民階級貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。

2008-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20080418010901

ほう、その辺の本には「神」なんて言葉が乱舞しとるがな。じゃあ日本古典がどう宗教価値に直結しとるんだ?

そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?

「一般人レベル」でいうのなら、欧米先進国様の古典を学ぶ意義と同程度のものは間違いなくあるよ。

いや、自明とか間違いなくとか言われてもなあ。具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。

グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。

いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。

ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。

で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w

あとさあ、まやかしまやかしで構わないけど、そういう意味なら俺は英語の「役に立つ」もまやかしだと思うがねえ。

何かひとつ共通言語がないとITなんてやってられん、というのは厳然たる事実だろ。

一方で、文化資本による格差なんぞないほうがいいに決まってる。

東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?

数千人か。なおさらたいしたことないな。で、MIT卒全員をエリートと呼んだ覚えはないが?(他の大学もね)。

仮にそうだとしても、「年に数人」レベル人間「教育」なんておこがましいと思わんか。

まあそうね。勝手にどこかで学んできそうな気はする。

教育ってのは、特に公教育ってのは、底上げのためにやるもんであって。

誰も「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味

いや、お前そういう話しかしてなかったじゃんw 俺が公教育は平均と底辺を上げるためのものだと主張したらやたら激しく反発してたよなあ?

いや、主流の座から滑り落ちたものを普通スタンダードとは呼ばないだろう。

主流と標準を辞書で引くことをお勧めする。そりゃ、主流が標準を塗り替えてしまうことは結構あるが、少なくとも数値計算世界ではまだだろう。過去の蓄積ってのがあるんだ。

Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?

それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?

まだ、例えば専用プロセッサなり組み込みデバイスなりを制御するためにアセンブラ使うってほうがはるかに一般的なケースだと思うがな。数値計算パターン認識においてさえ。

どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。

いや、君自身RubyとかPerlとかC++とかJavaとかに言及しちゃったからねえ。どっちが引っ掛けたかというのは不毛になりそうだからやめようや。なんなら俺がズルかったということにしてもいいが。

たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。

いや、Javaライブラリソースを読むレベルになったらたしかにかなり専門的だが、そもそもJavaで書いたコードで高速計算させようというほうが間違いなわけで。

C++に関して言うなら、アセンブラ的な最適化に手を出すのはだいたい最後の最後だろう。俺(や多分君)のような古い世代はアセンブラからの積み上げで高級言語を見るけど、高級言語の側から必要なレベルまで掘り下げていく、という見方も可能なはずだし、最適化の上ではむしろそちらが本筋。

で、君が重いクラスライブラリとして想定してるのはなんなの? ちゃんと最近のものを使ってれば、そんじょそこらの奴がCでちゃっちゃと書くコードと同じかたいていは速いコードを生成するし、もちろん可読性も高くなるな。

C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列カプセル化して演算子オーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。

具体的にどこの出してるC++行列演算ライブラリがそこまで効率悪いって?

(補足追記)

最近C++用の数値演算ライブラリはかなり出来がよく、FORTRAN用のそれに性能で肉薄するところまで来ている。そう、ここでは、ライバルは君が主流からも標準からも蹴落とされたと主張したいらしきFORTRANなんだよ。

で、どの辺がネックかというと、君の言うように記述性と実行速度の関係だったりはする。でも、それは低水準処理がどうこうという問題ではないよな。

この件については、議論してる人がネットでも結構いるから読んでみるといい。君が思うほどにC,C++圧勝しているわけではないよ。随分C++が向上してはいるけど。で、FORTRANのほうが言語の構造上最適化が効き易い等の話題はあっても、手作業で機械語レベル最適化をするなんてのは、候補にさえ挙がらないな。

2008-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20080127212130

日本で導入される見込みがあるのってことなんだが?

勝手に問題を矮小化してるなあw

ギリシャオーストラリアの例から「選挙に行かないという選択肢を認めない、という制度は、民主主義社会で実際に民主的な制度として運営されている例もある」ということはご理解いただけたということですね。

2008-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20080127203938

ギリシャとかオーストラリアとか、「強制投票制度」を取ってる国もあるということは無論ご存じですよね。

http://anond.hatelabo.jp/20080127134150

世界最古の長編小説言われてるけど、ほんとうなのかね。

もし「長編小説」というのを、storyのある長めのfictionという程度に定義するなら、それこそギルガメッシュ叙事詩から始まりホメロスその他ギリシャ悲劇とか旧訳聖書とか各地に伝わる神話伝説の類でテキスト化されたもの全てが当てはまるだろうから、最古なんてことは言えないでしょう。

ただ、現代日本の我々がイメージするような「心理描写」とかそのほか日常の描写とかそういった要素を持つ、日本的「小説」観から見て、「世界観歴史を含み込むような一定量以上の長さを持った散文芸術」のことだといった感じに定義するとすると、なるほど源氏より以前にそれに相当する物はないとも言えます。

2007-11-25

anond:20071125163708

哲学書って、やっぱギリシャ哲学あたりから順に読んだ方がいいんですかね?

哲学をやるならば、

順番など気にするまもなく、とにかく、死ぬんじゃないかと思うくらい(量を)読まないと駄目だと、私の知っている哲学者は言っていた。

その人は、読書の休憩がてら食事にと外へ出て、食堂に入り、注文しようとして「カツ丼」が発音できなかった、なんて言ってた。

哲学書って、やっぱギリシャ哲学あたりから順に読んだ方がいいんですかね?

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