はてなキーワード: ふがふがとは
呆れてきたので原因を考えてみようと思った。
日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選で高知の広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川の千葉景子法相(民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。
政治への新規参入はほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。
有権者は投票すべき政治家がいかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし、選挙カーは名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEBの更新はダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存の政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。
選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないから比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通の候補者だと違いがわからない。ネットショップで価格もスペックも比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランド品から無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ。
結果、約半数が投票に行かないし、地方の首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤やお金が必要となり、結果、特定の組織に利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織の利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。
もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察と裁判の判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランスは重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。
例えば先日可決された東京都の青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。
政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。
以上の原因と仮定から、スキャンダルや醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。
自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!
ほにゃららでふがふがな社会に絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルもテーマもない。やはり行き止まりだ。
基本に立ち返る。
最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。
既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存の政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員の投票はこうだったけど、その地域の有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。
財務省さんによると国の債務残高が年度末ごろには1000兆円になるらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110126-OYT1T00900.htm
フェイスブックが独自通貨を発行したらEUに迫る経済規模になるんじゃないかとか、チニジアの件やエジプトや、ロシアでの件や、そして新潟市と新潟県の合併の件とか、ぼくのお小遣いとポケットの中のビスケットを勘案して1000兆円ぐらいつくるにはどうしたらいいんだろうとお風呂につかりながら考えたような気がしたが、髪を洗ったらわすれてしまった。たぶんどうでもいいことだったのだと思う。
今日はビレッジバンガードで万札っぽい1000000円札をみたきがした。通貨偽造罪というある意味で殺人よりも思い刑罰があるものに数百円の利益とネタのために無邪気に挑むビレバンに拍手をおくりたい。お札はカラーコピーしたり、模したと判断されただけでアウトにできる。もし目をつけられたら逃げられないおっとろしいものなのだ。だからどれだけ似てないか、オリジナルを模さずそれっぽくするかという、つまらないところで人生をかけられるアイテムなのだ。
して。1000兆円ともなると稼ぐのは無理さね。世間に出回ってるお金をかき集めてもその額になりゃしませんがな。日銀さんの2010/12現在のマネタリーベースは1,040,238億円だって。
http://www.boj.or.jp/type/stat/boj_stat/mb/base1012.htm
ひー、ふーみ・・・
そうかマネタリーベースもとうとう1000兆を突破したのか!ということは、不可能ではないのだね。だれかが1000兆稼ぐと日本円が世間から消えてなくなるけど。うん、まあそうしたら国債と相殺して、綺麗になってまた新しいお金でも発行すればいいじゃない。
ふがふがふが。ぷーぴー
もうぜんぶリセットしちゃいなよ。バチカン市国よろしく千代田市国でも立てたらいいじゃない。それでもって日本中別通貨にして、農業に投資したいところはすればいいし、道路つくりたいところはつくればいいいじゃない。公務員法とか改正してストを認めるかわりに、いらないところバンバン切っていって、暴動とかおきて、赤いTシャツと黄色いTシャツで成田空港でも閉鎖して気勢でもあげてればいいじゃない。いつかどこかで揉めるだったら、いま職とかがなくなっても物理的には食いぶちがある、いまのうちのほうがまだ深刻な事態にならないんじゃないかともうよ。先行き不安とか閉塞感を抱えながら制度疲労につぎはぎ補正をするよりは先にすすめるきがするだわよ。人間のおもな関心事項は喰いぶちだから。そこさえしっかりフォローすれば、将来おなかをす
何をいいたいのかわからないけど、髪もかわかさずにこんなのかいてたらすっかり冷たくなっちゃったよ。どうしてくれるのさ!エンターおしたらwindowsが再起動わめくのでこれにて終幕!
元増田です。
このエントリ、書き始めるときに対象を「社会」にしようか「組織」にしようか迷ったんですよね。で、結局は「社会」のほうで書いたんですが、今はやっぱり「組織」にしといた方が分かりやすいストーリーを組めたかなあと、ちょっと後悔しています。
そのストーリーってやつをざっと書くと、
こんな感じです。
「上司の立場にある人はリスクを回避するために云々」って話が出ていますが、僕の主張としては、そのリスクの見積もりが実は過大なものなんですよと言いたいです。今どきは、お客さんもビジネスパートナーも、みんな「地毛なんですよ」とか言うと「あ〜、大変ですね。まあ、私は気にしませんが」って言ってくれるもんです。だけど、みんな自分の寛容さは自分で認識してるのに、他人の寛容さには懐疑的なんですよね。疲れるからやめればいいのに。
付け加えたいのは、古くからある慣習や思想が、実は砂上の楼閣だってこと。数年前から、夏場のネクタイがクールビズとエコに押し負けてますよね。あれはアパレル業界がイケてるシャツづくりを頑張った成果だけど、実はその前段階として暑い中でネクタイ着けたい人なんて少数派だったという土壌があってのことじゃないですか。特に最近なんて、本当にうるさい人たちのことを「モンスター○○」とか、酷いのになると「老害」なんて呼んでみんな嫌う風潮があるし、社会は変わっていくんだと思います。
あと、染髪と天然の議論についてもちょっと一言。この手の人も、天然からしたらいい迷惑だったりします。染髪と天然を初見で完全に見分けるのは無理です。「天然はいいけど似合わない染髪はふがふが」言ってる人は残念ながら、「化学調味料なんか喰えるか!天然が究極至高あqwせdrftgyふじこlp;」と同レベルです。そんなの「※ただイケ」に決まってるじゃないですか。
最初のエントリは注目されたくて差別に絡めて話を進めていったら、書いてるうちに無性にムカついてきて変な文章になっちゃっいました。もっと冷静なって、構成を考えて書ければよかったです。でもまあ、こんなにたくさんの人に注目してもらえたし、僕の言いたかったことをしっかり受け止めてくれてる人もいっぱいいるので、結果オーライです。読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
じいさんはもう長いこと寝たきりだ。
脳の血管が詰まって倒れて以来ずっと、ばーさんが身の回りの世話をしている。
先日帰ったときには、もう口からものを食べることができず、身体に穴を開けてそこから流動食を流し入れるようになっていた。
それでもにこにこ笑いながら「長生きしてよ」と話しかけているばーさんを見ていると目から水が流れそうになってなにもしゃべれなくなってしまう。
小さい頃からじいさんっ子だった。らしい。
裏の川でうどんをえさに魚を釣ったり。
じいさんの運転する耕耘機に乗せてもらったり。
小さい頃のじいさんとの思い出もいっぱいある。
嫁に行く前写真を整理していたら、振り袖を着た自分と普段着のじいさんのツーショット写真を見つけた。
照れたようなじいさんの顔がなんだかかわいかった。
あの頃のじいさんはまだ普通に自分の足で立って歩いていた。
寝たきりになっていたじいさんには結婚式に出席してもらえなかった。
ベッドの上でなんだか分からないことばをふがふが言ってるじいさんはとても小さくなった。
たぶんきっと、もうあまり長くないのだろう。
飛行機に乗らないとじいさんに会いに行けないトコロに住んでいる自分は年に1、2回しかじいさんに会えない。
最近は、もしかしたらこれが最後になっちゃうのかなぁと思いながら会いに行く。
ふがふが言ってるじいさんが、自分のことを認識しているのかどうかももう分からない。
それでも。