はてなキーワード: 白色テロとは
はすみとしこは自分を「ホワイトプロパガンダ漫画家」と定義しているが、私はそのホワイトを白色テロみたいな意味だと勘違いして、最初は彼女のことをおもしろい奴だなと思っていた。
白色テロとは、国家権力が反体制派をおさえこむためにテロをおこなうこと。要するに権力側がおこなう暴力的な弾圧のことである。
つまり彼女は「わたしはサヨクや在日を弾圧する漫画家だぞ!」と自己定義して、そういう国家主義者ぶりを露悪趣味でネタ的に演じるオバサンなのだなと思った。
ところが、ホワイトプロパガンダとは、決してそういう意味ではなかった。
自虐ネタなんかではなく、大まじめに輝かしい自画自賛をするための言葉だったのだ。
やや乱暴だが、「本当のことを効果的に広めよう」というプロパガンダが「ホワイトプロパガンダ」であり、「嘘の情報をばら撒いてやろう」というプロパガンダが「ブラックプロパガンダ」であると言い換えてもいいかもしれない。
彼女が自らを「ホワイトプロパガンダ漫画家」と名乗るのは、こうした背景があると考えられる。
(中略)
おそらくはすみは、「正義」のためにあのようなイラストを描いているつもりでいる。彼女にとって「ホワイトプロパガンダ漫画家」は、「サヨク達」のブラックプロパガンダに立ち向かう「白馬の騎士」のような輝かしい肩書きなのではないだろうか。
今更だけど、ドン引きした。
清教徒革命→庶民から伸長した富裕層の不満と王の経済政策における失錯
アメリカ独立戦争→事実上、一大国家が樹立されてんのにガキ扱いされて代表送れないとかおかしいじゃん?という全国民的な不満がボストン港をティーポットに
フランス革命→飢えた庶民を知識層が煽っていたらコントロールできなくなった
ロシア革命→産革以降の資本主義のひずみに対応できなかったことによる庶民の貧困と不満
このうち庶民のデモや暴動から直接革命に繋がったのは、米独立戦争、フランス革命、ロシア革命、イラン革命。
特にフランス革命やロシア革命は、腹減ったからパンよこせデモから始まってるんだよね。
この前、選挙学者?の西田亮介が出演したラジオ番組で安保デモを評して、「ああいう日常とかけ離れたイシューでやるよりは、もっと生活に密着したことでデモやるほうがいいんじゃねえかな」などとぼんやりした発言して荻上チキりんやtwitterのみなさまから鋭いツッコミを受けてたけど、彼は彼なりにこういう背景を踏まえたうえで言ってたんじゃないかと思う。
デモが本当に革命を起こすとしたら、現体制の代替となる思想が広まったときではなく、大多数の都市部貧困層が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき(あるいは思想信条宗教的に同様の状況に立たされたとき)しかない。
その切実さは今の日本には、もちろんない。
歴史的に言って、革命とは「やりたいから」起こるのではなくて、「必要だから」起こる。外圧とか白色テロル的な場合を除けばね。
しかしまあ、SEALsの人がこの前の小林よしのりとの対談で言ってたとおり、いまどき誰も「デモで革命」なんて求めてないんだろうけれど。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。
静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。
8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。
それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。
.
.
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
.
.
わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
正直言ってわかりづらい。多分麻生は推敲した文章を読んでいるのではなく、その場その場の空気に合わせて話しているからだろう。
問題発言の前後の文章だが、「憲法は~」の部分まで一貫して”喧騒は好ましくない”のニュアンスだ。
そしてその後の「わーわー」の部分からも”喧騒は好ましくない”のニュアンスであることはバカにだってわかる。
なぜか「憲法は~」の部分だけ”静かにやっちまおうぜ!”というニュアンスに見える。
しかし本当だろうか?
.
ワイマール憲法は本当に”静かにやっちまった”のか?
.
.
要約するとこうだ。
1933年1月のヒトラー内閣成立後、ナチスは徹底して政敵である共産党の弾圧を図る。そしてヒトラーは政権基盤を固めるために議会を解散。3月5日に総選挙を行うことを決めた。
そして選挙直前の1933年2月27日、決定的な事件が起こる。
ドイツ国会議事堂放火事件。この放火犯をナチスはコミュニストと決め付ける。
ヒトラーは、「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」
ゲーリングはラジオ放送で「共産主義を我々の民族から抹殺することが、私の最も重要な責務である」と述べ、
「(国家社会主義)革命の敵に対しては、テロルの使用が不可欠である」と政府による白色テロを宣言した。
共産主義者は次々と警察によって予防拘禁され、2日後には無政府主義者、社会民主主義者も対象に加えられた。
共産主義者の襲撃が起きるというデマが流され、共産党や民主主義政党の集会はナチス党の突撃隊に襲われ、共産党の指導者を含めた逮捕者や死者も続出した。
選挙期間中に死亡したナチス党員は18人、その他の政党の死者は51人、負傷者は数百人にのぼった。
そして選挙で躍進したナチスはドイツ国家人民党と中央党の協力を得て3分の2の賛成を確保し、全権委任法を成立させた。
この日は1933年3月23日、国会放火事件から一ヶ月も経っていない。
.
どこが”静かにやっちまった”んだ?
あの手口学んだらどうかね?も「反面教師として」と考えると発言に一本の筋が通る。
ワイマール憲法は”喧騒の中で”誰も気づかずに変わった。
喧騒の中で、ナチスへの熱狂と、共産党への弾圧の中で変わった。
.
”だから喧騒の中で議論するな”
.
という事だろ。
「民主主義否定するつもりもありませんが」
もナチスが民主主義の手続きに則って全権委任法を成立させた経緯のことを言ってるにすぎない。
.
熱狂と喧騒の中で全権委任法が成立した経緯を批判的に論じている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-24/2012032401_05_1.html
.
確かに麻生の話はあっちこっちに飛び、全体としてはよくわからない。
取りようによってはどうにでも取れるし、危険な単語も使用している。
しかし、その一部分を利用して、ユダヤ人団体にご注進報道までしやがった。
麻生じゃないが、「日本で騒いでいるんなら、ユダヤ人団体も騒がざるを得ない」
こっちの罪のほうが重いんじゃないか?
.
「麻生太郎のナチス発言を国語の受験問題的に分析してみる」とかいうブログがあったが全く的外れにすぎない。かわいそうなくらいに