はてなキーワード: 古本市とは
数年前、仕事で初めて海外に出張した時のことを思い出します。移動や新しい環境のストレスで、精神的にも肉体的にも疲れていました。そんな時、現地のカフ
ェでひと休みしながら、知識欲が旺盛だった頃の自分を思い出しました。かつては世界中のカフェ文化に興味を持ち、いろいろな国のコーヒー豆の味の違いにつ
いて調べたりしていたのに、その時はただ目の前のコーヒーを味わうことすらできなくなっている自分に気づき、悲しい気持ちになりました。
また、学生時代には古本屋巡りが大好きで、週末にはよく古本市に足を運んでいました。ところがある時期、何を見ても手に取ることができなくなり、何かを購
入するために立ち寄っている自分に気付きました。その時は、純粋な興味からというよりも、「何か得なければ」という思いに駆られていたんです。
最近では、友人と美術館に行った際に展示を全く楽しめなかったことがありました。展示の説明文を読み飛ばし、作品を見ても「ああ、綺麗だな」と思うだけで
、その先の感情が湧いてこないんです。「これって好きだったはずなのに」と、当時の自分を取り戻したくてもどうにもならず、モヤモヤした気持ちだけが残り
ました。
男女で一緒にやって楽しいもの、男女と言うか夫婦だけど自分の関心ごとなので書いておく。
30後半を過ぎて子供もいなくて、今後も作ることはない(作れない)夫婦なので、その分夫婦の共通のアクティビティを楽しむことを意識している。
言葉にはしないが夫婦で「家族をやっていく」ための努力をしよう、という意識は共有されているのでここ数年色々試行錯誤している。
意識的に色々挑戦して失敗もたくさんした中で我々夫婦に合っていたものをいくつか。
「ひと箱古本市」
よくよく探せば地方都市でも車で行ける範囲で年に数回開催されている。
我々夫婦は全く趣味のジャンルが違うが、それぞれの趣味のジャンルの「本」は持っているのでこれは共通の趣味になり得た。
ひと箱古本市の準備はこまごまとやることがたくさんある。それがいい。
箱を用意したり、小さな看板を作ったり、家で本を並べてみてああでもないこうでもないと相談する。
値段を付けては「高いんじゃない?」とか「これは目玉商品だから簡単に売れては困るのでわざと高くしてる。と言うか本当は売りたくない」みたいな話をする。
あと二人で屋号を考えるのは子供の名前を考えるような楽しみがありこれがシミジミと良かった。
内心ちょっと泣きそうになった。
別にたいして売れないし、諸々の費用を計算したら当然赤字なんだけど、売り上げは全て「儲かった」ということにして古本市の帰りに肉とか寿司とか食べて帰る。
楽しくない事務作業も発生するのでなるべく平等になるようにするのが難しい所。
「家でやるアフタヌーンティー」
紅茶自体は相手方の趣味なのだけど、結婚する前は二人でいろいろなアフタヌーンティーに行っていたので、その経験を踏まえて2人にとっての最高のアフタヌーンティーを作ろう!ということで開催されている。
休みの日に朝から高めのスーパーに行ってあれこれ買って、普段は作らない手間のかかる料理を夕方まで時間をかけて作り、最後には食べきれないほどの料理でテーブルを埋め尽くして食べる。
スコーン以外の料理は食べたいものかつ、二人とも作ったことのない料理が多い。どちらかが作りなれてると自然と作りなれている方が調理のメイン担当になってしまうから。
「セックス」
まずお互いの体調や性格によるセックス習慣の調整が数年間行われた結果、自宅ではセックスをしなくなった。
デパ地下のRF1で総菜とかを買い、LUSHでバスボムを選び、広めのラブホに入る。
マッサージしたりデカいテレビでゲームしたりする。その後二人で風呂に入って映画を見るとか、適当に過ごし、セックスもする。
それなりに本好きを自任してるので、渋谷の東急で大古本市をやってるのを知って出向いてきた。
何も買わずに帰ってきた。
古本って言っても、ブックオフみたいなレパートリーではなくて、滅茶苦茶すり切れた昔の知らない本だったり、人文系とかの専門書や、マニアックなサブカルのものばかりで。
私にはハードルの高い催物だったけど、会場は平日の昼間にも関わらず人であふれていた。
古い映画のパンフレットを血眼でめくって探す女の人(じゃま)や、昔の軍記ものの棚の前で座り込んで熟読するおじいさん(じゃま)とか、とにかく熱量の高い人たちが沢山いた。
その時は暇な人たちだな、と冷ややかに眺めていたんだけど、帰ってきて今思い返すと、あれだけ熱狂的に嵌るものを自分は持っているだろうか、とふと思った。
古本市に限らず、趣味の祭典は四季折々にいろんな場所で行われていて、それぞれ熱量の高い人々がそこにコミットしている。
自分にはそこまで熱く盛り上がれる何かがない。
なんだか私はとても寂しい人間なんだな、としみじみ思った。
映画版の改変点が駄目で正直がっかりした人もいると思うけど、二回目だと気にならなくなるよ。割り切れるようになってるから。
原作の魅力は大きく二つに分けて「乙女が大人の階段を上っていくかわいい成長物語」と「先輩の阿呆な方向にばかり全力を出して一年かけて距離を縮めていくラブコメ」になると思うのですが、
僕は断然後者の魅力に引かれていたわけです。そういう目で見ると一年の話を一夜に凝縮してしまうのはカタルシスにかけるというか、先輩の青春の空費っぷりが薄れるし、乙女が先輩に惹かれていくのが唐突な感が否めなくなるんですよね。で、がっかりして劇場を後にして「また見てね!」と言わんばかりの悪徳入場特典に歯ぎしりするわけであります。
パンフにあったけど、湯浅監督は原作の魅力の中でも、特に前者を強くみたわけで、後者派がある程度切り捨てられるのは仕方なかったんですね。
そのことをすっかり承知した目で見ると、一夜にまとめたのはタイトルにもかかってて前者の魅力を引き上げてる英断になるわけです。
「湯浅監督の解釈する『夜は短し〜』」と割り切れば本作はずっと面白く観られます。
後者派の皆さんも安心して1800円払って10ページにも満たない掌編を手に入れ、超絶作画&演出の湯浅アニメを楽しんでください。
以下、それでも看過できなかった点