はてなキーワード: ネタ日記とは
ずっとふざけたけもフレネタ日記ばっかり書いてたけど、真面目に解説する
なんか変なブログも増えてきたし
そんなに難しい話じゃない
許容体積が大きいだけだ
作品っていうのは、子供でも理解できる分かりやすさ(広さ)×話の奥深さ(深さ)でその許容量がだいたい決まる
ジブリとかは大体そうだろう
設定やらなんやらは非常に深いが、それを理解せずともアクションを見るだけでも面白いって感じ
けものフレンズの場合は、子供向けを装うことで広さを最大限確保している
実際子供でも楽しめると思う
深さは、元々ゲームの方で設定や文化があったので、放っておいても強い
また、ゲームにはない部分の世界観の設定や謎を小出しにすることで、更に深みを出している
更に、「ゲームがアニメの前にあったが、ゲームとは微妙に設定や時代が違う」おかげで
その差に対する考察が延々とできる仕組みになっている
(.hackの初期とかそんな感じだったと思う)
この時点で作品の許容量は十分すぎる
それが脆弱な土台に立っているような雰囲気を出すことでスリルも出せていると思う
そりゃ面白い
ただしこういう仕掛けっていうのは仕掛ければ仕掛けるほど、一個発動しなかった時全体がガタガタになってずっこける印象がある
そして全てを発動するのは中々骨が折れる作業だ
今回はいくつかの幸運が重なったのと、シリーズ構成を組んでる方が非常に上手いと感じる
いや、状況としては幸運どころか最悪の悲運に近いと思うけど、それひっくり返すんだから創作って面白いよなあ
言い訳が長い女々しい
あーごめんなさい、完全に酔った勢いで連投したつぶやきなんで、消しておきます。寝るに寝れない時にバカなことを片っ端から書ききってすっきりさせようとしてワルノリで書いてしまったものです。すぐに消すかそもそもネットに書くべきではなかったです。酒の勢いだけならああいうつぶやきはしないんだが…メンタル的に極限まで追い込まれてる時にああいうことが被ってついついやらかした。気持ちの整理のために書くことはあれど、人を不愉快にさせる目的もなきゃ、争ってまで残しておきたいいいものでもないから消しておこう。
酔った勢いで人様を恫喝するような真似をするような人間ではないことにだけは自信を持ってるけど、(そもそも家に帰れないほど飲まないか、危なくなったらノンアルしか頼まない人)だが、昨日は自分でも予想外な方に壊れてたわ。壊れ方がネットの外から見てるとそう変わらないが、書き手から見るとね…まぁ、何を言ってもやっちまった以上は全部いいわけであり、後日談で、ひたすら謝ることと再発を防止することしかないんだが、僕の場合の「酒での壊れ方」はメンタル的に壊れる(根拠もなく開き直る)ってことがよくわかった。過去にもなかったわけじゃないが、久々にキャパを超えるほど飲んで学んだ
「楽しい下ネタ」とはちょっと違うんだけど、一応、僕にもスマートであろうラインと、スマートにはどう聞いても聞こえないラインがあって、明らかにそこが踏み外してたね。スマートさの定義は品のあるなしじゃなくて、女性が聞いて傲慢さやうぬぼれや見下しが出てるかどうか。出るものはダメですよ
例えば、エロマンガのコンテクストとか、自分がどう女の子に甘えたいかとかなら書き方次第ではそんなに不愉快に思われないようにもできる。でも、踏み込んじゃいかんのは対象がある状態での話。これは性欲論やエロ論ではなく、押し付けや意思表明になるから良くない。一般論と具体論の区別
あとは、女性にとって具体論として取りうるような一般論を話すと言うもの。例えば、痴漢モノのAVや、自分の尻フェチをある実際の(一歩間違えれば、犯罪になるであろう状況にリビドーを見出した妄想や視姦した時の)体験から見出したような話。男には一般論だが、相手次第で身に覚えのある冷たい視線
要は、スマートさのない下ネタってのは、「女性が好きでもない男から性的に見られてる・(悪い意味で)狙われてる・野獣の眼光を感じる」と言った感じの下ネタで、それがない下ネタは割とどうにかなるんです。痴漢モノのAVが好きでもいいけど、痴漢通り越してシュールなAVであるという話なら…まぁ
ネットに書いていい下ネタはもっと大喜利っぽく出さないといけないんだよなぁ…ネットの本質は大喜利と、語り。語りで出す下ネタは具体論になりがちだから難しい。大喜利の下ネタは大喜利だからサラッと流せる、それでいてはさみ方がウマいものがウケる。自ずと一般化されたものをそれも間の中で出す
あーそうか。高校生の時に僕のブログはもう完成形態にあったのか。一周回って今必要とされている技術は、高校時代に配信してた「ネタ日記」と同じところに来てる
様々な手法を学んできたから、正直なんだってできる自信はある。でも、それは口で説明するのではなく、自分が書こうとネタを集め、机に向かって始めて、どの手法で書くかを指が決める。お題の方向を決めてあげたらあとは指にまかせると、文章は出てくる。これがブログなんです
自分を書いているようで、自分を見た他人が自意識に訴えかけることを想像して書いてる。
自分を書いているようで、もう一人も二人もいるであろう同じ境遇の他人に向けて書く。
それがブログ
フミコさんとお会いした時にも思ったけど、禅問答やなぁ…。ブログの書き方を忠実に人に説明すると。で、微妙に完成形態が違うから、本当に共有できるのは感覚だけなんですよ。同じグラム数のシャリを掴んでいても、寿司職人によって口触りや理想のネタ・仕込みは違うだろうし
1つ1つやっていくよ。思ったより時間がかかったし、不慣れゆえにわかってないことに気づくこともあるけど、それは必要なことなんだよ。早かれ遅かれやらないといけないことしかやらないんだから、めんどくさいとか恥ずかしいとか思う「未熟な意味での若さ」は捨てなきゃ
やっと眠れる。なんか、昨日の夜から漏電してるみたいに、短時間寝て起きて記事を書き、また横になる…という不思議な生活リズムだ。本来ならいいものが書ける時のリズムじゃないが、書いてるものを見てる限り、かえって吹っ切れてていいなぁ…
ちなみに、「なんでも書ける」と自負してる僕ですが、苦手なジャンルが2つあります。1つは法律ネタ。これはコウモリさんの裁判オフで20ブクマぐらい。もう一個は映画。これもビリギャルを見に行って20ブクマ。苦手分野は20ブクマが限界ですww
セクハラ発言して叱られた後に女々しい言い訳からセルフ哲学をしてやっぱり俺はすごいって結論で反省なく自己正当化して終わり。ダメなマッチョだ。