少なくとも今現在の日本において「おばさん」は明確に悪口だが「おじさん」は別にそうではないという現実を無視して語られてもなあ、って思う。
みんなつい先日まで、無課金おじさんであんなに盛り上がってたのをもう忘れたの?
「おばさん」は女に対する明確な侮辱だが、「おじさん」は親しみを籠めて呼ばれる事の方が多いだろうがよ。
どうにも銀行をただのサービス業と勘違いしている人が多いなぁw
税金は金が動いた時に課すのが基本なのね。
んで、だから資金決済ってのは国の監視管理下で行われる必要がある。
ゆえに銀行は好き勝手に営める事業ではないの、重いの、激重なの、普通の会社じゃねぇの
銀行業ライセンスの代償として金融の公共性、信頼維持、国民への円滑な金融サービス提供が義務付けられてる
そこらの商店とは違うの
んで、ところが実際に大量貨幣の処理はコストがかかる、銀行としてはやりたくない
ただ銀行免許の問題でやらないとは言えない、受け付ける義務がある。
そこでATMでは無限にできます、一回の枚数制限があるのは機械の物理的な問題で仕方ないでしょ。
いやそうじゃなくて、もし子育てに生産性を認めるなら LGBTとか障がい者は生産性がない、をも認める事になってしまって差別だよねって話だと思う。
うえーーー醜...
心理的安全性について理解したいのであればこの記事https://q.livesense.co.jp/2023/09/26/ が一番わかりやすい。
もともと「◯◯的安全性」という言葉はいろいろな実学分野で使われていて、ほとんどの場合は何の誤解も招いていない。
たとえば、公衆衛生分野でよく使われる言葉に「微生物的安全性」がある。
日本食品保蔵科学会誌VOL.27 NO.3 2001〔総説〕
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jafps1997/27/3/27_3_145/_pdf
さて、カット野菜の微生物的安全性を保つために何が行われているのかみなさんお分かりになるだろうか。
ほとんどの人はお分かりになるだろうが、答えは「殺菌」。微生物は安全に守られるどころか死んでしまっている。
このように人々は他の分野の◯◯的安全性については正しく意味が取れる。短期的安全性は短期くんを守っているわけではないし、情報理論的安全性は情報理論ちゃんを守っているわけではない。
しかし心理的安全性になると急に「心理を安全に保つ方法」と誤読してしまうのだ。
人の心=守るべきもの という先入観から誤読してしまうのだろう。増田はこれは仕方ないと思う。
微生物的安全性が「微生物のとりまく環境で××(食べ物や水道水)を安全に保つ方法」であるように、心理的安全性とは「心理のとりまく環境で××(仕事や労働者)を安全に保つ方法」だ。