最近移動で上司になった人がアラフィフなんだけど、価値観が古臭くてもろに昭和のイヤミなネチネチ課長で部長にはこびへつらい部下にはパワハラ風味なところ一体なんなんだろうな。
この10年コーチングとか傾聴とか心理的安全性とかチームビルディングとかマネジメントの話題結構いろいろあったと思うんだけど、
そういうの全然反映されていない。
グリコも似たような水準やったなあ
お母さんに頼めば?
クワガタじゃだめなの?
私もそんな覚悟をしたことがあったが、それから何年も経ってから復活した。
ひとつだけ言えるとしたら、お互いに疲れていないことは最低限の条件だと思う。あとは、おふざけでもいいし、たまにでもいいので、絡んだり軽いスキンシップ取れると良い。
自閉症とその家族への出鱈目・差別に始まり、同性愛者、外国人(これは謝罪してる)、セックスワーカー、その他様々な属性に対する差別
昭和時代に書かれたエッセイとか対談集とかを掘り返されたら、この辺りについての論説で瑕疵の無い学者・文士・代議士・芸能人・その他識者は存在しないから、そういうのを攻撃するなら50代か60代より上の言論人は全員パージという話になってしまう
酸っぱい葡萄はカッコ悪いような気がするので、正しく諦めるようにしてる。
例えばタワーマンションに憧れてるとインターネットでは滅茶苦茶バカにされるけど、おれは普通にいいなって思ってる。
地盤の安定性がさァ!災害時のインフラがさァ!毎日の移動がさァ!エレベーターの奪い合いがさァ!あんなとこに住むのは情弱な成金でさァ!
とか、まとめサイトばっか見てた中高生の頃は確かそやって受け売りで「見下して」た気がする。
でもそういう僻みはやめて、素直に憧れるようにしてる。
まあ確かにデメリットはあるのだろうけど、そもそも定性的な要素を比べてるんだから判断も各々の基準次第な訳で。窓からの眺望だったり、エントランスを出れば都市部をお散歩出来るような環境だったり、あるいは社会的ステータスだったり。そういう所に不便さを越える魅力を見出すなら、それは疑いようもなく本人の中で合理的な選択肢なんだし。
住むために金を増やすために何らかのアクションを取る事は出来るだろうけど、それは面倒臭い。
面倒臭いのは確実だろうし、各ステップが成功する保証もないだろうから。住んでみたくはあるけど、そこまでして住みたくはない。それならまあ金をかけず安アパートにでも住んで、ギター弾いて映画観て、散歩なんかして過ごしてればいいかなって思う。
そうやって正しく諦めるようにしてる。
なんか小馬鹿にするようなスタンスでこういう言葉使ってたけど、おれ成金ですらないし。なれるならなりたいよね、成金。
じゃあどんだけ持ってればって話だけど、自分基準で欲しいもん好きなだけ買えてそれなりに余裕もあればまあ金持ちでしょって思う。
そこでもっと金持ってる人を引き合いに出して相対化した所でなんの意味もない。まあ他人に対してそれをやれば嫉妬の念は薄まるか。
「見栄っ張り」とか消費社会に踊らされてるだけ、とかもね。
まあ本当に本人も引き際を見失いつつ強迫感に突き動かされた競い合いで消耗してるならアレかもしれんけど。
ちょろっとブランドもん買っていい気分になれるなら別にいいんじゃんねって思う。どうせ身につけるならかっこいい方がいいに決まってる。人生にはやりたい事やる以外に楽しみなんかないんだし。面倒臭さと欲望を適度に競わせながら、まあぼちぼちやっていく。意味ないとか言い出せば何もかも意味はない。
ただこうやって怠惰に抗う事なく「正しく」諦めるのをやりすぎてると、生きる事への意欲やハングリーさが少しずつ失われているような気がしなくもない。ちょっとくらいは僻みもあった方がスパイスになるのかもしれない。
お前にはもう飽き飽きしている