人間と対話できるような精神を手に入れたのだから、もうリアルな体を伴うことも遠くないと思う。
人間社会もアンドロイドの普及にしたがって賛成反対で意見が大いに割れると思う。
そこで思い出すのが「デトロイト」だ。
デトロイトは、アンドロイドに心はあるのか(人権を認めるべきか)をテーマにしたゲーム作品だ。
すでに実用化され現実社会で人間に奉仕するアンドロイドが自我に目覚め、人権運動を開始するという内容。
ゲームではアンドロイド側に同情的な目線での描写が多く、ぼーっとみてると「アンドロイドかわいそう…」というふうに多くは感じるだろう。
人間に対するアンドロイドの扱いはモノ扱いそのもので、奴隷に近いことをさせられている。
アメリカの作品なので、昔の黒人差別みたいな点も開発は意識しているかと思う。
なんにせよ、人間とアンドロイドの距離感や接し方についてリアルで考えさせられる作品だ。
もうアンドロイドがすぐそこまで迫っているかもしれない昨今、このゲームをもうただのSFだとは思えない。
将来、アンドロイドが町を動き回り、必ずそれを見て「かわいそうだ、奴隷扱いをやめてアンドロイドにも人権を!」と言い出す人間がでてくるだろう。
ひとつ言えるのは、今回の件でJAXAを擁護している奴らも、これを自分が嫌っている組織がやったら絶対叩いてたってことだ
例えばcolabとかが「ずさんな計画のせいでイベントを開催できませんでしたが、次回に持ち越しすればいいから、これは失敗ではなく中止です」とか言ったら絶対叩いていただろお前ら
あるやでという話
子どもとテレビを見ているときに、家族が「この人すごいイケメン!」とか「めっちゃ美人!」っていうコメントを言うのが気になってしまう。
テレビに出てる俳優やアイドルなので、見た目が良いのはその通りなんだが、そればかりに気を取られていることが子どもに伝わると、なんていうか「ルッキズムの再生産」に手を貸している感じがする。
言いますよね?
俺は言うと思います。
何の話かはあえて語りませんが、私は「失敗」と言うべきだと思います。
ただ、「もっと大きな失敗の可能性はあったので、それを回避しようとしたのは『ある意味で成功』だった」ぐらいのことは言ってもいいと思います。
でもそれは「ある意味で成功」でしかなく、一般的には「失敗」と言うんじゃないかなと思います。
私も気分的には「専門家に失礼な態度を取る礼儀知らずなど素人」を馬鹿にし返したいという気持ちがあります。
もしもこの人が節度ある態度を持って「でもやっぱり失敗なんじゃないでしょうか?」と訪ねていて、そのときに専門家の側が「失敗じゃねえっつってんだろ!!!」と叫んでいたとして、私はこれまたその高慢な専門家を馬鹿にし返したくて失敗であると熱弁していたと思います。
気持ちの問題を離れてフラットな目線から見ると、やはりこれは「失敗」だったと言っていいと思います。
成功確率が物凄く低かろうが、狙い通りの結果が出ないなら「失敗」でいいと思います。
万馬券を買って外したなら、確率が低いことを成功させるために努力したという背景などとは無関係に「失敗」になると思います。
私も気持ちとしては「高慢ちきな失礼ど素人がネットでボコスカに叩かれているのを見たい」という気持ちがありますが、その感情に引きずられてしまうのは「科学的な態度」を失うことであり、そんな態度で接してはならない問題だと思うのです。
以上です。