それな、消えたのは嗜好とか志ではなく、時間ですらなく、体力なんよ。
どのレィデオプログラム?
大丈夫、まだ美文家の残り香はするやで
あのラジオ番組て終わったんじゃないの?
教室の集団が人質の状況→好きな人(片思い)が撃たれそうになる→それに抗議した結果、ターゲットが自分に移る→射撃された瞬間に時間がゆっくりーになる→ご都合主義の少し不思議パァウァー発動!!→撃退したよ! やったね増田ちゃん!→研究所隔離→好きな人(片思い)含むハーレム展開
物語の中には事実も虚構もあった。けれど、数学や歴史の教科書には事実しかなかった。
会話で自分を表現する方法を知らなかった私は、文章に頼ることにした。最初は散文的な詩しか書けなかった。
友人と競うように本を読み漁り、図書室にある本全てを理解しようとする勢いだった。
そんな友人は早稲田へ進学していった。
大学に入学すると文系だった私は他人の模倣で小説を書くようになった。世の中には感情表現豊かな美文が溢れていて、真似したいと思った。何なら、作品を生み出したいと思った。時には、破天荒な恋愛物語を。
狂しい程の人間関係や苦悩を描いた。
その頃漸く、難しいと思っていた新聞も読めるようになった。
社会では数字がメインで、何なら残業時間が全ての評価の指標だった。「私、本とか読まないんだよね。自己啓発書や漫画なら読むんだけど」と嘲笑う同僚、先輩。
文化や価値観の異なる人脈を得てからは、次第に活字から離れるようになった。それでも、図書館へ行きたい思いは常に抱えていた。
心躍るような英雄譚を、癒やしや共感を得られるような他人の人生を欲していた。
本なくしては、自分の生活は成り立たない。表現なしには生きていけない。なのに何故生きようとすればするほどに書籍から離れていくのだろう。
早稲田へ進学した友人は子供を生み地方の人間関係から疎遠になった。彼女の引き出した私の「本の虫」という性質は徐々に消えていく。今や、正しい日本語を使えているという自信すら無い。
それは彼女が側にいないからではなく元来の自分に戻っただけなのである。過去の残滓を拾い集めても、あの頃の輝きには届かない。
フリーフォームハードコアを聴きながら脳内でオリキャラを戦闘させたりオリキャラでMV作ってる。
どうせならオリキャラのテーマを作って、その上でMV作りたいからハードコア作曲の練習してるけど、明らかにコードってよりもシンセのつまみをいじったりして音楽作ってる。紛い物ばかりが生まれてしまうから、耳コピして分析をしようとするも音程がわからない、もしくは音程にこだわらなかったりするし、それっぽい音色にする技術がない。そもそも、音楽理論も知らないことが多い。
仕方がないので、狙った音を作ったり、耳コピすることから始めようということでメロディーがききとりやすいゲームの街のbgmだとかを耳コピしてる。普通にこういうのも好きだし楽しいけどいつ自分好みのハードコアを作れるのか、目指したい道から逸れないか不安になる。紛い物であっても作った方がいいかもしれない。後で聞いてると結構悪くないと思うし。