とりあえず、revisionsというのを見てみることにする。
ティザーを見る限り、ポリゴン作品ぽい(制作は違う会社だけどね。というか、CG系としてはポリゴンよりも老舗だった)
期待しないで見てみよう。
それにしてもだ。
しかも見たくて仕方ない作品ではなく、何となく流しとく感じで見れるものばかり。
酷い有様だなー。
また明日からクソ仕事なのに。何もリフレッシュ出来てないやー。
まあこのご時世だからショッピングモールだの水族館だのに遊びに行く訳にもいかねーし。
というか、コンビニすら行ってない。
丸二日一歩も外に出ていない。
腐ってんなー。
次の2連休はもうお盆だしなー。人混みになるだろうから増々出掛けたくない。
はー。
俺の前に会計してた人がレジ袋買い忘れたみたいで、会計後にそのままレジ袋買おうとしてどかなかったんだよ。
その前に店員さんが俺の商品通し始めちゃってて、結局その人はどかなかったんだよ。
そんで俺が商品袋詰めしてる時、前にいた人が俺の肩トントンって叩いてきてさ。「すまない」ってジェスチャーしたんだよ。
正直、レジどかなかったときは「ちゃんと考えて会計しろや、そうじゃなくとも並びなおせよ」って思ったけど、それでなんか全部どーでもよくなっちゃったね。
最近よく聞く「コンビニのレジ袋有料にキレて商品の会計せずそのまま置いて帰るクソ客」っているじゃん。本当にいるかは知らんけど、まあいてもおかしくないよな。
俺は学生時代、スーパーのレジでバイトしてたんだけどさ、いるんだよなほんとうにそういう信じられない客。
数週間前のレシート持ってきて「これ買ってないから返金して」とか、閉店時間過ぎたのに平気な顔して買い物続ける客とか。
今回俺が遭遇した人も、分類するなら店員側はクソ客判定するんだろうけど、ちゃんと事態を理解してて謝れるってのが真のクソ客との決定的な違いだよな。
まあ結局今回遭遇した人もよくないんだけどな。
年寄になって「クソ客」扱いされるのかっこ悪すぎるだろ。
なんで2回書くねんなんで2回書くねん
でもボルボに当たられてうちのトヨタはグシャグシャで相手のボルボはほぼそのままだったの経験してそう思ったよ。グシャグシャになることで中の人間を守ってると言われてもね。
35歳説なんてなんか語感だけで言われるやつだし
AnonymousDiaryも追加で。
独り言だと思うのでレスするのは野暮だろうから、スルーしてもらう前提で:
続けられるかどうかが重要なんだから、まずは手頃なのからやってみては?
とにかく自分に合うかどうか、継続して楽しめるかを先に確認した方が良いと思うよ。
で、物足りなくなってきたら上を狙ってみれば良いし、その頃には何が必要かが判ってることが期待される。
執筆経験なしアラサーが半年間で二作完成させて電撃小説大賞に投稿する...
当時は今以上にコロナ関連の記事ばかりだったから、変わり種として受け取ってもらえたのかもしれない。
せっかくなので、続報を書きたい。
前回の記事では7月に一次選考の結果発表と書いたが、コロナの影響で、発表は今日だった。
まさにいま結果を見た勢いでこの記事を書いているが、二作のうち一作が一次通過していた。
後付けの解釈でしかないが、自分の仕事に関する知識を活かした作品が通過して、キャッチーな要素をにわか知識で詰め込んだ作品が落選した。
二次・三次選考の結果は、来月発表予定だ。一次で10分の1に絞られ、ここから更に半分、半分、、、と削られていく。だから一次に通ったぐらいで何を浮かれている、と思われるかもしれない。それでも、次の結果が出る前に今の気持ちを残しておくのもいいのではないかと思った。
完成させたことやその過程を褒めてもらえたのは、素直に嬉しかった。記念にチャレンジしたかっただけだろう、という辛辣なコメントもあったが、確かにそういう気持ちはあったと思う。あらためて振り返ると、前回の記事を書いた時は、自分がどこまで本気で小説を書きたいのか、なんで小説を書いているのか、よくわかっていなかった。
方法論を褒めてもらったのも、ありがたい。ただ補足しておくと、書いたことで自分がゼロから考えたものはない。どれもネットや本で紹介されていたもので、自分は組み合わせただけだ。だから、創作法という観点でオリジナリティはない。
友人に見せたことがすごい、友人良い奴、というコメントも非常に嬉しかった。なぜならこれが一番精神力を要したし、友人は確かに良い奴だからだ。ちなみに友人は結局一度も「面白い」と言ってくれなかったが、改稿版を読みたいとも言ってくれた。これはとても誠実な態度だと思う。面白いと言っておいたほうが、ずっと楽である。
更に余談だが、友人からの第一稿(つまり人生初の小説)へのフィードバックに対して、自分が「……を誰かにやらせようと思う」と返したとき
自分も、全く同じことを考えていたからだ。自分の頭から出てきたキャラクターが、自分以外の誰かの頭の中に生きていた。
この言葉は、一生おぼえていると思う。
ここからは、前回記事とも創作論とも関係のない、つまらない内容だ。
前回記事を投稿後しばらくは、一切執筆をしないままあっという間に数週間がすぎた。熱が冷めたのかと思った。コメントにあったとおり、一度しかない人生、記念に一回チャレンジしたかっただけだったのかとも思った。
だがある日、ためていた仕事をいつものように片付けているとき、急に物語が頭に浮かんできた。そこからまた、100字以内で物語を説明するログラインを沢山作った。あらすじを、今度は6つひねり出して友人に見せた。そして今は、毎日小説を書いている。
前回記事に対する反応は、しばらく毎日のように眺めていた。自分が書いたものに対して、他人からこんなに反応がもらえることがあるんだ、褒めてもらえることがあるんだ、と思った。あの時の気持ちは、とてもここには表現しきれない。
友人とのやりとりに関してもそうだが、言葉にできない・表現しきれない、なんて小説家志望としては落第である。それに、きちんと日常を送っている人たちにとってはこれくらいありふれた出来事なんだと思う。