仲良しでしょ
あなたのような人こそ幸せな結婚ができたら良いなと思い少し考えてみた。
まず、あなたの地元が私の地元と同じぐらい田舎だと仮定して、そこで35歳女性で年収400万稼いでいるあなたは立派だし、部下も持って仕事の苦労もなかなか多いのではないかと思う。
でもそれはあなたが求めている45歳ぐらいまでで年収400万以上稼いでいる男性も同じで、おそらく激務や管理職のストレスを代償に稼いでいる男性が結婚相手に選ぶ相手は、やっぱりあなたの友人のような、一緒にいるだけで仕事の疲れが癒やされるような、そして夫が子供を望むなら子供の世話を主に引き受けることに不満を覚えなさそうな(良く言えば愛嬌のある、悪く言えば頭の悪い)女性ということになる。
あなたのような自分も400万稼げていて頭の良い(悪く言えば愛嬌が無い)女性が、友人夫のような男性と結婚するなら、田舎の結婚相談所ではない場所に行った方が良い。具体的には以下。
(1)相談所ではなく趣味やボランティアのサークルで、年収は気にせず性格が合うかだけを基準に探す。相手がどんな年収でも自分が400万稼ぎ続けるから田舎なら問題無いと覚悟を決める。田舎暮らしを続けるなら、子育てに親の援助が受けられるのも強み。
(2)年収400万の条件が外せないなら、まったり生きててもそれぐらい稼げる三大都市圏の相談所で、穏やかな性格の男性を探す。オタクで冴えない容姿の四十路男でも歓迎と条件を示せば、たくさんの男性が応じるだろう。その中から少し長めに交際期間を取って人柄を見極めれば良い。
「日本人」っていうのもまた雑なくくりだな。全体的に雑なんだよな。
染めたいかという話。
先日、友人と飲んでいた時に話題に挙がり、うまく説明できなかったのでまとめてみる。
その場はぼくを含め3人で、男性の友人M、女性の友人F。趣味を人と共有することについて、ひいては彼女が自分の趣味に関わる場合の話題になり、3人の意見は次のとおりだった。
M「彼女と趣味が共有できたら楽しい。自分が興味なかったことでも、彼女をきっかけに知れる。」
F「ぼくの言うこともわかる。」
当然、ぼくも彼女と趣味を共有できたら楽しい。彼の意見が正しい。ならば、ぼくの意見はどのような論旨だったのだろうか。
前提として、ぼくはそれなりに駄目な人間であり、これまでに趣味を人と共有した経験が少ない。「趣味とはひとりでこっそりこつこつやるもの」であり、好きであることを大っぴらにするものではない、というイメージがある。例えばアニメ。深夜アニメにハマりだしたのは小4あたりで、当時いわゆる「オタク」は今のような社会権はなく、ぼくは家族にも隠れて膨大な量のビデオテープと過ごしてきた。中学の頃に「おとぼく」の録画が姉にバレた時は脂汗をかいた。これがぼく自身の原因の1つ。
次に好みの問題。ぼくが自立していない分、ぼくは自立した女性が好きだ。相手から一方的に寄り掛かられると倒れてしまう。なので、普段はわかりやすく「歳上が好き」と言っている。彼女に頼られるというのは大変嬉しいが、依存されるとなれば話は違う。パートナーとして精神の拠り所になるのは理想的だけど、人生の意味に(必要以上に大きな割合で)組み込まれるのは辟易する。そんな感覚。そんなに変なことは言っていないと思う。
彼女が「自分の意思で、その趣味そのものに興味を持ち、楽しんでくれる」場合。これは大いにハッピーだ。彼女の人生も豊かになるし、ぼくも趣味仲間が増える。
彼女が「大好きなぼく君のために、趣味に合わせる」場合。これが駄目なのだ。気を遣われている。彼女がその趣味を楽しむためには、ぼくが必要になる。ぼくがひとりでその趣味を楽しんでいたら、誘わなかったことに怒られるようなイメージ。
また「大好きな彼女ちゃんが、ぼくなんかに合わせる」ことにも、ちょっとだけ、違和感を感じるかもしれない。ぼくたち自己肯定感低い族からすると、惚れた人が墜ちてくるように感じるかもしれない。Fも自己肯定感低い族なので、「わかる」の発言はここから来ていると思う。
結局は「趣味は好きにやりたいので、そんなに気を遣わないで欲しい」と言えばよかった話だったのかもしれない。Mの主旨と相反することでもなかった。
私はNHKですが、日本国民の皆様にとって必要なものを過不足なるお送りしている自負がございます。
今後の日本国の発展においても私たちは重大な責務があるという思いの下、
これからも視聴料を通じて、私共、ひいては日本の皆様とともに価値ある番組制作に尽力していくべきものであると考えてございます。
「では」の意味がわからないけど、「日本軍が韓国人女性達を性奴隷にした」のは「性奴隷」という言葉が適切かどうかという"議論"(というか言葉遊び)はあっても、「従軍慰安婦として徴用した」のはただの歴史的事実でしょ。「徴用は強制だったかどうか?」は政治的に争点となっているものの、「作り話」ではないし。(「強制」なる概念を定義し辛いというだけで。)
状況次第では「事実の指摘」が差別になることもあるけど、少なくとも国と国とのやりとりや、「慰安婦像」が差別になることはないでしょ。それが政治的に偏っていたとしても。
政治的に偏った表現を保証するのは「表現の自由」だし、それを「批判する自由」もあるんじゃないの。
どんな「容疑者」や「犯罪者」にも与えられるのが人権だが、「反社会的勢力に目をつけられた善良な市民」を守るのに「人権を守れ!」なんて陳腐な言葉を使うのいい加減やめろと言ってるんだよ。