「コンビニでは夏でもホットコーヒーが売ってるから自販機でも売ってほしい」みたいな事を言ったら「コンビニでも夏にホット缶は売ってないだろ」「いや紙コップのやつじゃね?」とか言われたけど、どこでも売ってるよな。
俺の住んでる地域だけなのか?
匿名の言うことを聞けと?
・12.1話についてテレ東の細谷プロデューサー曰く、事前に聞いてはいたがGIFアニメ程度のものかと思っていた
・実際に公開されたものを観て「喋った!いつ録った?何だこれ。怖い 公式では無いですから二次使用料取るぞ!」
と発言している時点で、少なくとも、たつき監督とテレ東の間での認識に齟齬があったことは明らかなんですよね。
(togetterの書き起こしなので、ニュアンスは異なる可能性はありますが)
ただ、これを笑い話に収めることが【この時点では】できたって話で。
「社会全体で見たときの利益最大化を追求すべき」というのは、より正しくは「不幸にも企業単体の利益追求がうまく作用しない場合でも、百歩ゆずって社会全体で見れば利益になっているはず」という感覚なので、あくまで企業単体の利益追求に対して保険をかけた物言いです。言い換えれば、多くの場合は「企業単体が利益を追求するだけで、あとは市場の神様がよろしく祝福してくれる」と思っています。
スピードに着目した場合、ずるいかもしれませんが、意思決定の仕組みがSNS時代に追いついていなかったということになるでしょう。また、たつき監督の発案でマイナスの影響を受ける担当者が、「あ、これは自分の○○にはマイナスだけど、事業全体にはプラスだな」と考えられるセンスと寛容性を持つ必要があるかもしれませんし、そのように事業全体の視点で判断して担当者を(素速く!!)説得するのが事業トップの仕事なのかもしれません。
こと降板が決定した事態に至った上での、その発表の仕方には、ひょっとするとたつき監督による衝動もあった可能性はあります(熟慮や行動を重ねて万策尽きた上での発言だった可能性もあります)。しかし、わたしが問題だと感じているのは、そのような事態に至らせた、もっともっと前の段階の当事者たちの交渉とその結果です。
「たつき監督の自由な活動の期待値が差し引きマイナスだった」または「ヤオヨロズ側が業界の現実に配慮すべきだった」というなら、ヤオヨロズが上手に駿馬の手綱を取るべきだったという結論にもなりますが、前者には「たつきを信じろ」、後者には「業界の現実がクソなのである」と言いたいです。
うん、その何を間違いとするのかに段階があるよね。という話。
詩人(天文学者)はすべての、物理学者は一つの、数学者は少なくとも一面が、哲学者はそれは羊なのか。
それぞれに求められる段階の厳密さで話をしてる。
中学校の国語と、大学の論理学で求められる厳密さは同じなのだろうか?
「書いていないことはないものとする」という公理(その段階が浅いかどうかは別にして)を前提にした正当な論理はあるのではないか?
例えば、大学入試で三角形の内角の和を問う問題で、曲率0(ユークリッド空間)であることを明記している問題を見たことはないよ。
それを書いていないことを慮る忖度と言っても間違いではないし、前提を疑える可能性はあるけれど、その厳密さは国語に限らずどの教科でも求められてはいないよね。
すべての問に対して、「回答できるほど厳密でないので不定」という答えは誰も望んでない。
と答えないのと同様に