インフレが上がる過程で失業率が下がるから、その人たちの生活は楽になる。
今まで働き口がなくて働いていなかった人が生産活動に参加するから、増えた生産物の分だけ社会保障に回したりする余裕も増える(社会保障向け増税が小さくて済む)。
別段下層だから生きることに苦しんでるとか、上層だからとか、そういう話じゃないと思うけどな。
上層は上層で、金を使って喜んでるし、下層は下層で、安いもの探して、見つけられたことに喜んでるし。それはそれでいいんじゃない?
そもそもこの話は、上層かどうかじゃなくて、俺の場合は 『勉強したかった』 の 一言に尽きるんだけどな。
横からなんだけど、教えて下さい。
自分の周りは自分を含めて、別に生まれてよかったと思わないけど死ぬのも怖いから仕方なく生きてるって人が少なくないけど(特に女性)。
とてもじゃないけど一般的とは思えないな
平成24年の厚生労働白書でモデル試算に使われていたデータは以下の通り。
「賃金上昇率2.5%、運用利回り4.1%」(平成21年財政検証の基本ケース)
さすがにこれは無い。
運用利回りが賃金上昇率より2%程度高いという実績から考えれば、むしろ非常に現実的な数字。インフレ率を2%程度という他の先進国レベルにするだけで達成できる。
http://anond.hatelabo.jp/20120919163839って書いたら、「そうじゃなくてご本尊が拝める点がすごい」とか言われたんだけど、違う増田?
俺の場合は、生活レベルはどうでもいいけど、文化的環境のレベルとして
親が大学教授や芸術家で子供の頃から上質の文化や教育にふんだんに触れてこられたというあたりが理想で、
現実的な最低ラインは、親がその辺の旧帝大でまともな成績を取るくらいの能力があってそれを子供に伝えようとする、
というあたりかな。
International Standard Book Numberの略称で、世界共通で図書(書籍)を特定するための番号である(wikipedia)。
2006年まではISBNは10桁で運用されていた。俗にISBN-10と呼ばれる。10桁の内訳は
言語記号-出版社記号-書名記号-チェックデジット(以下CD)
となる。各桁の割り当てはCDに1桁、以外は決まっておらず、CD込みで合計10桁になる。
各項目の概要は
2007年以降は13桁に移行した、俗称ISBN-13、内訳は
ISBN-13に移行した理由は、英語圏でのコードが枯渇してきたため(その場合perfixに979が追加された)、EANコードとの共通化を図るためである。ISBN-13への以降に伴い、CDの計算方法が変更されたのは、CDの計算方法がEANに準じたためである。
手近のバーコードが印刷されている製品を見ると、45もしくは49から始まる13桁の番号が印刷されている、これがEANコード(日本の場合はJANコード)である。
ISBNが書籍識別番号なら、EANコードは世界のあらゆる商品の識別番号である。こちらの概要は詳しくは説明しないが、
このEANコードとISBNを共通化させるために行われたのがISBNの13桁化である。
先頭のコードは国を表す(日本は45と49)が、書籍という商品にのみ978、979という固有の番号が振られている。
当然の事ながら、製造者が勝手な番号を振っては共通コードの意味を成さないので、国別にコードは管理されている。
日本の書籍の場合は「日本図書コード管理センター」が、JANコードは「財団法人流通システム開発センター」が一元管理している。
以上の事から「勝手なISBNを発行する」という行為がどれほど業界無視かわかるだろう。
wikipedia電子化書籍の楽天ISBNは、例えば「芥川龍之介」の場合
が付与されているが、このISBNの問題点は、勝手な番号が振られている事以外には
という点である。楽天ISBNがどの程度広く利用されるかは不明だが(楽天内部ですら使ってほしく無いが、13桁もいらんだろ?)、
商品コードの混同、汚染という事態を惹起する可能性がある。「ISBNコード」が「商品番号」に変わった今、
あまり心配は無いだろうが、世界共通のコードを勝手に我が物とする厚顔無恥な態度は会社の体質と考えられ、
今後に同じような事態を引き起こす可能性は大いにあると考えられるので、
ほんとにそんな貴族みたいなこと考えてるのかよ
「高卒やマーチレベルの友達と遊んでる私って不幸だわ~ほんとは東大卒の政府高官の友人を作ってホテルのバーで語らいたいのに~」とか?
当たり前だけどあなたが「アスペルガー症候群」であることは悪いことでもなんでもない。
人にはいろんな要素があって、
ただ悲劇だったのは、
あなたを構成する一つの要素が「アスペルガー症候群」であることを、
あなたも、
まわりも、
認識できていなかったこと。
それで、まわりはあなたの「アスペルガー症候群」という要素を『あの人はわたしのことが「嫌い」』という要素に取り違えてしまった。
「嫌い」という要素はだいたいどんな人との組み合わせでもマイナスに働く。
でももう「アスペルガー症候群」という要素だとわかったのだから問題ない。
その要素を+と受け取る人と付き合い、
その要素をーと受け取る人とは離れる。
それぐらいにはつらかったでしょう。
でもあなたがちょっとずつでいいから堂々と自分の要素を言えるようになれるといいなとそう思う。
世界は広い。
本当に広い。
いろんな人がいる。
あなたのもっている他のたくさんの良い要素をみて「アスペルガー症候群」を気にしない人、
あなたの「アスペルガー症候群」という要素を+に受け取ってくれる人だってもちろんいる。
少しずつでいいから足を踏み出して、
そんな人にぜひ出会ってほしい。
違う。「実際は生まれて育ちさえして、生まれに応じたそこそこのレベルで妥協して幸せを定義すれば、幸せな人生になるチャンスなんていくらでもあるのに」だ。
がマイブーム。
最近のヒットではGotyeのSomebody that I used to knowがサイテーですてき。
未練たらたらのくせに開き直りってレベルじゃない駄々っ子ぶりの歌詞の
「あ、だめだこいつ早くなんとかしないと」感が良い。
おすすめ教えておくれ。
責めてるわけじゃないんだけど、傷つけたみたいでごめん。
金持ちではない家庭に生まれて来た我々の意見は、十中八九「生まれて良かった」なのに、親になる可能性の有る人達が勝手に「自分の生活レベルだと子供は生まれたら不幸になる」って判断してしまってるのが少子化の原因だよねってことね。
だからさ、東原亜希のブログそのものに触れて「デスブログだ」と認識しているのではなく、
アラサーにして初めて本格的に恋をした
やっとデートに誘えた
なんて楽しいんだろう
高校生の時は孤立主義だったし、底辺校の中では優秀な生徒ポジだったためか、相手は労せず手に入れられた
大学生の時はネトゲにどっぷりで、その世界はある意味底辺だったから、これまた労せず手に入れられた
だから、リアルな人間関係のなかで人にぞっこんになったことがなかった
相手には彼女がいるし、この年になるとそこからひっくり返すのは至難だろう
実際ひっくり返したいわけじゃないから、当たり障りない共通の趣味で誘いをかけることしかできない
手遅れ感は非常に深い
ただ、恋をしているのが楽しい
不登校時代がなければきっともっと早くにこれを得ることができ、普通の人生を獲得できていたのだろう
でも、私はあまりにも不全だったことをまだ覚えているから、後悔することすらできない
ただ、いま恋をしているのが楽しい
私の中にこのような情動の可能性があったことが嬉しい