一応釣られとくが観測範囲の問題だろ
なんかトラウマがあるのかなあ。馴れ馴れしく「あ、これ、ちょっとやっといてくんない?」と頼んだら「いつも時間があるとは限りません。こっちの都合も考えてください」と逆ギレされたことがあるとか。「ヒマか?」で始めて「ヒマじゃありませんっ」と返されたとか。
蔑みとか上弱とかどうでもいいけど、虚構のニュースはちょっと無理があるので普通気づく(というか、気づくようにしてるんだろうけど)
いや、そうじゃないんだよ。別にお客さんという関係でもないし、上司と部下というわけでもない。同じ会社の別部署の人って感じかな。
で、何度も飯食ったり、同じプロジェクトをやる事もあったのに、いつまで経っても他人行儀な言い方が気になるんだよ。しかもその人の方が年上だ。
似たような事がある。
一日に5回くらい電話しても、毎回毎回「いつもお世話になってます。○○です。」って挨拶をする人がいる。
一回目はまあいいけど、30分前まで話してたんだからもう長ったらしいあいさつしなくていいじゃんと思ってしまう。
癖になってるのかと思うようにはしてるけど。
虚構新聞の記事がどうたらこうたらって騒ぎってるけど。
釣られた人を「ネットリテラシーが低い」とか「情報弱者」と蔑んでいる人の
ツィッターのアイコンが萌えアニメ系率高めなのは気のせいなのか?
「あなたの健康のために」というのは100%の理由ではないと思う。
酒とタバコにかけている時間やお金を、二人のために使いたいとか。
誰かと飲みに行っている時間一緒にいたいとか。
自分は以前、「家で飲むのも飲み会に行くのもやめてほしい」と言われた。
(酒の席が好きだったので飲み会は誘われたら行くというスタンスだった)
激しく嫉妬する人だったからね・・・。浮気するほどモテないっつーのに。
そんな自分は、タバコが嫌いなのでタバコ吸ってたら辞めてと言うかも知れない。
喫煙者だと知ったら付き合う気もおきないだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20120512113838
よく捕鯨団体が「イルカやクジラは知能が高くかわいいから殺してはいけない」と言うことに対して、
それは理由にならないという反論があるよね。
じゃあ知能の高さや愛着が食べていけないことの理由にならないなら、人間も捕食対象としてあり得るのではないか。
人間に限らずどんな生物も他に食べるものがない時とか繁殖終了後の栄養が必要なとき以外は基本的に共食いをしない。
だから「進化のために同種族内での淘汰はあっても、捕食による淘汰だけはせめて避けて子孫を繁栄させるため」に共食いはしないのだろうと結論付けた。
自分の肉体の一部とするべく栄養素として摂取する行為、かつ個体数を恒常的に一定数減らす結果をもたらす捕食行為と、
餌などの資源や繁殖やその他利害をめぐった争いの果ての同種族同士の殺し合いをなぜ同一視するの?
ということもあって最初に「食べるための殺害は殺生ではない」と書いていたのに。
種族の保存が否定されているならなんで生物が何万年も繁殖を続けているのよ。
自分を保持したいという本能がなければ危険信号としての痛みも感じないし心臓も動かない血液も流れない汗もかかない食欲も睡眠欲もわかない、
種族を保持したいと思わないなら性欲もない。
現状としてルールを作ったという以上に人を食べていけないという理由は無い。
生物的な理由があるとすれば
「共食いは種族の繁栄を阻害するから
(全ての種族が、常時自種族以外の捕食対象の選択肢を備えておいた方が、自種族の保存に有利だから)」ということだけだろうが、
既に食物連鎖を外れている人間にはこれは当てはまらないだろうし、
他の動物を食べるために殺す(殺生ではないとは言え知性を持った人間にとっては原罪である)
ぐらいならば、自然に従わなくていい唯一の種族ということであるならばなおのこと、
そうするとどんなに賢い女ともまず「長期的関係を結ぶ」のは不可能になるけどな…
そうなると、「愛しているからエゴの押し付けでも従おう」か「愛していてもエゴの押し付けに従う道理はない」というふたつの判断にわかれてしかるべきでしょう。
横だけど
で、一番ややこしいのは、言ってくる彼女は合理性があると考えているが、言われる自分は合理性があると思えないケースになると思う。
一番ややこしいのは「言ってくる彼女は合理性とかどうでもよくてとにかくやめて欲しいと考えているが、言われる自分からすると合理性の欠片も無い理不尽な要求である」ケースだろう。
酒や煙草という話ではなく、「愛する人から、自分を心配してくれることによって規制をかけられた場合従うか」って話?
それとも、本当に酒と煙草の話?
ちょっと真意がつかみかねるけど。
単純に酒や煙草の話ならば、「酒や煙草は(量によるが)体に悪い」とする主張には合理性があるよね。
酒は少量ならば健康にプラスに働くけど、量のセーブができない人や、肝臓が弱っている人、というケースもある。
だから、「少量ならばいいじゃない」と言われても、それが実現されるかどうか等を総合的に考えてその案を却下すべきという判断もあると思う。
そう考えれば、「規制するのは相手のエゴだ」で片付かないとおもう。
つまり、ここで問題にすべきは、「自分を心配してくれることによる進言かどうか」「相手の言うことに合理性があるか」だと思う。
「私がさみしいから仕事終わったら毎日真っ直ぐ帰ってきて」とか「不安になるから女友達とは遊ばないで」ならば、自分への心配からくる言動とは思いにくい。
煙草の話をするならば、喫煙による人体への害はよく知られているけど、たまーの一本が有意に害を及ぼすのかは、統計的なデータをみないとわからない。
そして、吸うことによるストレス軽減、喫煙場での人脈形成等の利益が、人体への害を上回るという判断もある。
そう考えると、自分への心配であっても合理性がある主張とは言えないケースもある。
そうなると、「愛しているからエゴの押し付けでも従おう」か「愛していてもエゴの押し付けに従う道理はない」というふたつの判断にわかれてしかるべきでしょう。
で、一番ややこしいのは、言ってくる彼女は合理性があると考えているが、言われる自分は合理性があると思えないケースになると思う。
そうなったら、二人できちんと話し合い、「なぜ規制する合理性があると考えるのか」「なぜその主張に合理性があると言えないのか」を理解し共有する必要がある。
まとめるとだな。
二人で納得いくまで話し合えばそれでいいじゃないの。
他人に共感してもらったって、自分が納得できてなかったり、彼女が納得できてないなら全く意味をなさないじゃない。
ちゃんと話し合え。
俺からは以上だ。
いや、そりゃ「クソブログ」に金落としちゃうような人たちにとってはそうだろうけど、
こんなことは当たり前で、みんなそんなの分かった上で話してると思ってたんだが…。
いつまでこんな低レベルなところに留まるんだろう。それより上は見たくないということなのか。
http://anond.hatelabo.jp/20120513135708
私も二行目で主張しているとおり、違うと推して調べたわけです。そしてこれって別に「新たか」でも問題ないんじゃないか、と思い至ったわけです。
サンプル数が圧倒的に足りず、お遊戯話と聞き流していただければ幸いです。
ですが、制約を掛ければかなり妥当性を持たせることもできるような気はします。例えば上文中の「推して」に関わるすべての「オして」と訓読みする語は単一の漢字で表しても問題ないと思います。文中でも書きましたが、同音類義な語を念頭に置いています。
極端に、暴力的に、かつ誤解を招くことを承知で言えば、その単一の漢字は、カタカナで代表させてもいいとさえ思っています。
字義どおり遡れば、それぞれの語の違いは際立ってくるでしょうが、それぞれの読みには共通するところがあるだろうと思っています。もちろん思ってるだけなので、確たる根拠はありませんが。
ドリル式の丸暗記法は私が編や旁、及びその読みから未知の字の意味、発音を推測、体系化させていった方法とは異なるところで、私も好むところではありません。もっとも、私が好きで採用した方法も推測に依存する不安定な方法ですし、幼い頃の物覚えのいい柔軟なときにやったことであって、大人に薦められる方法でもありません。
なんだか方向違いの返事ですね。
http://anond.hatelabo.jp/20120513140645
お前の苗字が仮に鈴木だったとして、他人から「お前の名前を『酢好き』って書いても別にいいよね?」と言われても受け入れられるのか。
受け入れられません。それは同音異義です。
当然、同音異義と同音類義の違いはどこだよ、と思われるでしょうが、距離の問題です。完全な区別は不可能です。それを承知で主張しているのです。
http://anond.hatelabo.jp/20120513212005
極端な話、そうですね。ただ、音読みに関しては諦めてます。訓読みはまだ捨てきれてないです。
以降、妄想
「ツる」という語は「釣る」「吊る」「攣る」「痙る」などあるわけですが、これらをひとつの漢字で代表させたい、ということです。もっと押し進めれば、漢字テストなんかはこういう基準で代表された漢字を書けばマルにしてもいいのではないか、と考えています。
「足が攣る」と書けばもちろんマルですが、「足が釣る」でもいい、というわけです。
「カく」という語は「書く」「描く」「欠く」「掻く」などあるわけですが、これらから共通の意味を抽出しようとすると、「欠く」が難しい。それ以外は割と容易。
これらの動作は本質的に物体を欠損させているわけだけど、前者2つはその行為から先の美的価値が強い。差異に大きな役割が与えられている。これらを単一語でまとめ上げるのは私でも抵抗がある。けど、まとめ上げられてしまえばあとは慣れの問題かな、とも思える。
「タめる」という語には「貯める」「溜める」「矯める」などがある。前者2つは一つで表せそうだが、「矯める」は難しい。超越的に解釈すれば、前者2つの動作は本質的にもとに戻る、正される意味があるのかもしれない(貯蓄はいいこと的な思想)が、私はそこまでぶっ飛んだ意味を受け入れることはできないので、無理。
仮にこの主張を受け入れたとして、
「死す」と「資す」は割と関連がつく。定性的な死と定量的な死。何かに費やすということは自身の身を削ることであり、幾らか死ぬ。
そうすると、「削ぐ」と「殺ぐ」にも関連が見えてきそうな。
「舐める」は舌で味見するとか甘く見てんじゃねーよ的な意味とかがあるが、これはかなり近いと思う。要は「食べる=殴り合い」ということなのだろうか。とすると、「食べる=セックス」という意味を先に持ってきて「デートやナンパ=舐める」とすることはできなくもない。街角でいちゃつくリア充に「舐めんじゃねーよ!」とか。いっそ「舐めるなよ?爆ぜるぞ(お前らが)」とか
はデコとかトツとか読むけど、「デコる」って「凸る」でも割と行けそうな気がする(というか行けてるのか凸メールって言うもんな)。あと、「突進」とか「特区」とか、「凸」みたいなイメージ、なくもない。