彼らの一番の関心はスポーツで生きて行くことをギャンブルにしないことじゃないだろうか?
もっとスポーツ選手として生きて行くことがサラリーマンみたいに普通のことであってほしいと思っていると思う
スポーツを続けるにはお金を得る事は不可欠なことだ。でも個人が得るだけではスポーツ全体が発展していくことには繋がらない
全体にもっとお金が回ってスポーツだけで生活していける社会を作りたいというのが彼らの願いなんじゃないか?
彼らをスポーツに関係ない場所でアイドルみたいな立場にすることが良い事だとは僕は思わない。
あんたが嫌なだけじゃね?
自分がずっと思っていたことを文章にしてもらったみたいにすっきりした
オリンピック選手にスポーツと関係ないビジネス向けの成功論の本を出させたり、CMに出演させたり
ある分野で偉大な業績を上げた人を祭り上げてその経済効果で金を巻き上げる恒例儀式が日本にはいつも存在していた気がする
自称クリエイターのマスコミ業界のサラリーマンたちは祭り上げた人を利用するだけ利用して彼らが血を吐きながら努力して築き上げたものを台無しにする
ナデシコJAPANだってそうだ。あの人達は女子サッカーそのもののために努力し続けたんだろうに、
マスコミは彼女らをサッカーと関係ない場所でアイドルみたいに祭り上げてブームを起こし、経済効果が得られなくなれば捨てるだろう。
サラリーマンたちにとって、それが彼女らに良い結果を及ぼすか悪い結果を及ぼすかは関係ない。
時に、道徳的に考えて祭り上げる対象がいい人間か悪い人間かすら関係ない(松本智津夫や佐川一政がそうであったように)
金が生まれそうだからやるだけのことであって…
なんとなくTwitter使ってて思ったのでメモがてら。メンヘラってまあ最近定義が多様化してきたような気もするがとりあえず慣例的に使われるなんかアレな女性だけでなく、性別問わずで単に自意識が異常に拡大したタイプも含むってことで。
・投稿数が多い。
基本かまってちゃんなので投稿数が多い。勿論これはリプライ先があるわけではなく、基本独白。
まあ典型的な双極性(躁鬱)ということで。特に欝が強くなったときは基本的には周りは注意くらいはすべきだろうね。
・発言が自身の周囲半径数メートルに留まる
ここで言っている半径云々は勿論物の喩えなのであって、要するに自分の周り、自分友人家族とかだけの話題に留まっているということ。これだけなら特に問題はないんだが、上記特性みたいなのと合わさると、日常的に流れるニュースから自分の立ち位置と社会の位相を比較して自身の心の平衡を保てなかったりするので。要するに注意が自分とそれ+アルファになってる可能性が高いから自意識過剰の傾向が高いということ。
・発言が何も言っていない
抽象的な言葉を駆使しながら基本的にはつまるところ何も言っていないパターン。何かを分析した上で他者にとって有益な結論を共有しようとするのではなくて、ようするに周りからの承認だとかコミュニケーションを求めてるっていうことが読み取れる。
これは含めるか悩んだけど一応。双極と同じで、基本的にこれが見られると自分の容姿にはコンプレックスが少なくてナルシスト傾向。つまりやはり自意識は過剰な傾向にある。よく最近女子大生とか女子高生とかにいるプリクラ貼ったりするのはまあピアプレッシャのー影響もあるので別の話かなとは思うけど。
もちろんTwitterに限らず他のサービス自体にも言えることではある。もっと言うとリアルでのコミュニケーションにも視えるかもしれない。けど個人的にはリアルでは割と意識して抑圧してしまって普通に振舞ってるっていうパターンも見受けられる。(普段明るいのに、ネットだと欝発言ばっかりみたいな人いるでしょ?)なので独白がそのまま記述されるTwitterてのは実は判定に割と有効なのかもしれないかなあと思った。
以上ざっと書いたけど参考まで。まあこれが分かったら何なの的な話なんだが、基本的にそういった人格にちょっと問題ある人ってのは少なくともリスク要因ではあるわけだから自分自身のためにも、またその人のためにもそいつがそういう傾向をもっているってのは知っておいて、また周りと認識を共有しておくべきだ、というのが自分の意見なんだ。(上にも書いたが鬱気味の時とかは、病気と同じなのだから多少なりケアが必要)最近某掲示板周りから存在の周知は進んでも病気としての認知が置き去りにされている気がしてたんだ。やっぱりこんな世の中だからこそ病気としての理解は必要なんじゃないかな、もちろん甘やかしも禁物なんだろうけど。
レトロな詐欺サイトっぽいのに出くわした。詐欺ですらないかもしれないけど、フィッシング?
今流行りのアニメの二次創作(いわゆる腐女子向け)のサイトで、
小説中心、アダルトな描写ありとサイトの説明文には書かれている。
で、小説を読む方法。SNSに登録するか、正解のリンクを踏むか。
前者は、なんでも、SNSに登録して、メルマガにも登録、後日配信されるメールに記載されたパスワードを入力すると
小説を置いているページに行けるらしい。
後者の正解のリンクを踏むっていうのは、一文字一文字に違うリンクが付いた記号が10個くらいあって、
その中のどれかにパスワードが書かれているとのこと。
うっさんくさいなー、と思いつつ、同時に暇人でもあったので、後者を試してみた。
……全てランキングサイトに繋がっていました。なるほど、これでランキング上位を狙う算段なんですね。
前者は試してみる気にもならない。確実に面倒なことになる。@SNSという怪しげなSNSに繋がっていたが、登録なんてするはずもない。
アダルト描写ありと書くと、アクセス数は跳ね上がる。それを利用して、それなりの年代の女性を釣り上げる。
後者でランキングを上げたあと、前者でSNSに登録させるっていう筋書きなのだろうか。
その前に気づく人間が大半だろうけど。
この10年ほど、ネットの普及と平行して、ある人が急激に有名になって消費されてはブームが去っていくということがやけに目につくようになっている。有名になった人は、もとからなにか一芸秀でたものがある人で、ネットで有名になって、ブレイクして、時の人のような扱いになる。
1年のうちに本を矢継ぎ早に出版したり、ネットで生放送に出たり、地上波のテレビ番組に出たりする。その人の名前や顔をどこかで見かけないことはないという状態がしばらく続く。その人があたかも当代一流の文化人であるような扱いになる。
その兆候は出版活動に見える。どう考えてもその人の専門に関係なさそうだけど、その人の名前が入った本が書店で平積みになっているのがバブル崩壊の予兆だ。
ネットで有名になった人のバブルが崩壊する実際のきっかけは、やはりネットでの炎上騒ぎになって可視化される。
その人がなにか不謹慎なことをいったりやったりして非難されたり、その人の専門性に疑問符が付けられたりするのを境に、気がつけばその人の露出が減っている。1年もたって、たまにネット上の企画でその人の名前を見かけると、あ、まだいたんだと思う。
そういうことが毎年繰り返されるのを見るたびに、有名になった「時の人」よりは、消費されるネット文化人を作り出すこの国の人間のほうが嫌になる。
有名になった人になんでもいいので本を書かせたり、食べ物やおもちゃをプロデュースさせて一儲けしてやろうというサラリーマンプロデューサーたちの脊髄反射的な射幸心に反吐が出るのだ。
とはいっても、こうした傾向はますますサイクルが短くなって繰り返されるものと思うので、嘆いても無駄だろう。嫌ならネットを見るな、本屋に行くな、コンビニにも行くな、というわけだ。
あまのじゃくを気取っていないで、ネットライフを彩ってくれる「文化人」というコンテンツに感謝しよう。その消費期限に注意しつつ。