二人で酒飲んでるときにそう言われて
「マジでか」
「まったく気付かなかった(モンスターエンジン風の抑揚で)」
「で、どんな男が好みなの」
ぐらいの質疑応答をして別の話に行ったんだが、
あとで別の知人(彼にもカミングアウトしてたらしい)を介して聞くには
俺の態度は冷たくて拒絶するような感じだったらしい。
なんなの
じゃあもっと詳しくいろいろ聞かないとあかんかったの?
俺はそもそも人の彼女の話とかシモの話とか全く興味ないし不快なぐらいなんだけど。
あの日は俺としてはずいぶん愛想を出してそれなりに話を受けてから次に行ったつもりなんだけど。
じゃあ具体的に何をどこまで聞いたら満足したんだよ。
ゲイだっつうだけでうるせーっつーかなんつーか
なんなのかしらいったい。
hala kimotiwaru
カリスマ的に信者をはべらせてる参加者って言うのは本売ってる人にも居るわけで
結局「隣のスペースや通行の邪魔になるな」っていうみんなが守るルールを守れと。
守れないならダメだと。
それだけでしょ。
大元の増田は、それを「あまりに保守的ではなかろうか」と批判しているわけで、その返答だと「保守的、良いじゃないか」になるんだよね。
議論の本筋としては「そういうクラスタを処理するためのエリア(コスプレブースのようなもの)」を、考えたりしても良いんじゃないかって事だと思うんだけれど。
マーベリックさん。
記憶を操る力を持ちながら
ルルーシュさん。
武力決起による体制打倒という最も効率の悪い革命手段を選び
夜神月さん。
人間の行動と命を操る力を持ちながら
その力を世間にばらして一人一人を脅すシラミ潰し方式の社会変革ソリューションを採用、
必要もないのに現場主義で真面目に隠れようとせず
話の都合とかこの分類のキャラの功績とかもわかる。
そういう曖昧な基準の話にしなくてもいい。
カリスマ的に信者をはべらせてる参加者って言うのは本売ってる人にも居るわけで
結局「隣のスペースや通行の邪魔になるな」っていうみんなが守るルールを守れと。
守れないならダメだと。
それだけでしょ。
結論から先に言う。彼らがCDを売るのは、コミケに自分のスペースを確保する名目である。本当の頒布物は、「偶像化された自分自身」である。要は「アイドル」になりたくて来ているのだ。
なら、お帰り願うの一択じゃね?
コミケはそういう場じゃないし。
あくまでも同人誌即売会であって、受け入れる「すべて」に、上に挙げられたようなのは無いだろ。
どうしてもやりたきゃ、コスプレブースにでも行けよって感じ。
ポエマーってほんと頭悪さ丸出しで死ぬべきだと思わない?
言いたいことはきちんと文にしよう。
自己陶酔したヘタクソポエムぐらい無力なものはないと自覚しよう。
俺もクソ労働環境には断固反対だが!
下を叩いて満足したい人たちは、たぶん、恐れている。
怖い、んだと思う。
本当は何の意味もなくて
それどころか
命を縮める思いでしてたことが
自分たちの首のロープを絞める
そんな行為だったと知ることが
怖い。
そして自分たちに続く人が
その輪から抜け出そうとするのが
怖い。
「王様は裸だ」と見破られることが
壁が壊れたとき
その外でこれまで何が起きていたか
知ることが
怖い。
趣味を縛り
情報を縛り
思考を縛り
生と死と
人と人との関係を
幾千幾百の鎖で閉ざしても
隙間から絶え間なく
漏れ出る声、声…
…と、日記に書いて
ページを閉じて
今日を生きる。
明日を生きる
その心だけを
言葉に綴って
「場」に参加する人間が買い手となり、売り手となる瞬間は間違い無く存在する。
しかし、それは複層的なもので、「買い手であり、売り手である」状態が継続しているといえよう。
ネット社会が発達するに連れ、「お客様」を諌める流れがより可視化されるようになった。
時に作り手、時に買い手となるマーケットにおいて、よく言われてきたことだ。
あるいは、まずコミケがあり、ネット文化が発達するに従い、オタクという媒介変数を通して文化文脈の共有が生まれた、ということもあるのかもしれない。
いずれにせよ、今は「場」において「お客様」と居直る人は、いわゆる日系企業的ビジネスシーンほどには構ってもらえない、というわけだ。
少し、話を飛躍、発展させる。
誰もが作り手になれ、誰もが買い手になれる流動性の高いマーケットにおいて先述した「お客様害悪論」は有効に機能するとは思う。
しかし、相互の分断が技術的、特権的な参入障壁の高さによってかなり決定的であった場合、果たしてこれは有効に機能するだろうか?
私は、そうは思えない。
たとえば、コンビニのバイトにいちゃもんをつける客がいたとしよう。
このとき、コンビニのバイト経験がある人からすれば、同情、あるいは不当ないちゃもんであると喝破できるようなケースもあるだろう。
しかし、コンビニのバイト経験に限らず、日本人はあまり多種多様な職業に携わり難い環境にあると言える。公務員ならまだしも、一般企業社員さえ副業をしている余裕はない。つまり、流動性ある複層関係が、固定化される単層関係に置き換わるわけだ。
こういう場合、互いが互いのバックボーンを知りえない事が多く、自分の立場を正当せしめようとする動きが心中に生まれる。このパワーバランスのせめぎあいの結果、これまでの日本ではお客様至上主義に傾き、固定化された、という見地に私は至った。
流動性を「場」が維持するには、膨大なエナジーを「場」が御しきり、かつ「場」に参与する複数の個人が自律した行動を取ることが求められる。ゆえに、そこにあるのは非常に強力なメンタルを持った個々人の集合体であり、統一された目標に向けて、エナジーを爆散させる。かくて活況となる「場」は時に外部にまで波及するほどのバイタリティを持つのである。
しかしながら、先に書いたとおり、これはかなりレベルの高い要求である。個々人のメンタリティ、バイタリティは様々であり、自律の程度においてもまた同様である。
また、人の省力的行動は、流動性を失わせる方へ作用させ、自律作用を失わせることも事実である。一度お客様の旨みを味わったものがなかなかに脱し切れないのは、ここが理由である。
さらに話を飛躍させれば、今の国政において我々国民の殆どはお客様同然である。我々も国政に積極的に参与できるのであるが、それに参与するためだけでもより高い体力が必要だろう。投票システムはこの分断を決定的にする。投票するだけで国政に参加できるなどと吹聴させられれば、より省力的手段としてそちらになびくのは仕方ないだろう。
あ、お先に上がります。お疲れ様っしたー。
公営住宅借りれたら活路あるけど、若くて単身だと障害者手帳持ってる人じゃないと借りれないからなあ。
あ、雇用促進住宅があるか。
その発想はおかしい。
彼らははたらく意欲なんてないんだから、「そうだね。ニートの生活もありかもね」って甘やかしといて
そのままほっとくのがベスト。
働きたくても働けない人を救うべきであって、端から働きたいと思ってないやつを救う義理はない。
むしろそのまま冬を迎えて死んでくださいって感じ。直接口にはしないけど。
コミュニティの一生
↓
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
これと似たような形で進行中。
色々な人が知恵を絞って、またはコピペで盛り上げようとする。
↓
↓
見てるだけの人が盛り上げようとする人を批評、ダメ出しをする。
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盛り上げようとする新しい人がいなくなる。
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盛り上げようとする人がいなくなる。 ←今ココ
↓
見てるだけの人の雑談だけになる。
聞けば、盛り上げてた人たちは別のコミュに行って楽しんでる。
そして雑談しかしない所はおもしろくないから、もう行かないと言い切ったそうな。
俺も別の所探さなきゃー。