「荒井由実」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 荒井由実とは

2020-09-01

荒井由実松任谷由実って同じ人だったのか

はてブのおかげで勉強になることも、稀にたまにあるよね

2020-08-31

これ成りすましじゃなかったら

失職が妥当

白井 聡 - 荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態さらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために。 | Facebook

https://bit.ly/3hMQWes

ポリコレうるさい時代なのに、なんで「しねばいいのに」だけはネット的にOKになってるの?




これ↓見て思った


芸能界にもアベノショック…松任谷由実、会見見て「泣いちゃった。切なくて」

https://news.line.me/issue/oa-sanspocom/ta7bxwovm1er

白井 聡 1日前

荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態さらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。

ご本人の名誉のために。

https://www.facebook.com/satoshi.shirai.18/posts/4268478399894278

2019-02-28

anond:20190227235537

その2曲で想起されるイメージで言うと『雨のステイション』『花紀行』『旅立つ秋』とかか。要するに荒井由実時代(『ひこうき雲』『MISSLIM』『COBALT HOUR』『14番目の月』)っぽい感じだと思うんだが。

ちなみに私が好きなのは『たぶんあなたはむかえに来ない』。小品だが曲も詞も演奏も、シュガーベイブコーラスも良い。

2017-03-31

就活について覚えていること/考えていたこ

 自分就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子ものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。

 予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽荒井由実セカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなもの演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポ音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。

  *

 就活はいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費支給されるとき新幹線飛行機LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないとき夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸三宮とか東京蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。

 就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京一極集中したメディア広告出版関係企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいか交通費破産せず就活を乗り切るかはひとつ重要テーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイト提唱する標準的エントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西関東への移動はそれなりに負担で、特に東京会社選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。

 夜行バスが発着するのはたいてい新宿西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿ビル街を歩くと時々そのことを思い出す。

 支給される交通費収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東実家や知人のところに滞在しながら、東京会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡東京間の交通費申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡会社大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社から内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一安倍政権ときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場氷河期を迎えた(らしい)。もし自分大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部とき受かったところには受かっていなかっただろう。

 職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたもの自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機矛盾なく有効に繋げる作業会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビみん就サイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人自分矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分なかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。

  *

 先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。

 夜行バスに乗っていたとき自分にとって、海外旅行宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのとき自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口ネットカフェに泊まったりから歌舞伎町銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路浮浪者排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。

 去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月ラッシュのなかを新幹線実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分お金大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。

2016-05-14

インターネッツ若者のもんなんだよ、消えてくれ

http://anond.hatelabo.jp/20160514012518

 

それって…… 

 

レ 

  

インターネット若者のもんなんだよ、消えてくれ

2ちゃんねる若者のもんなんだよ、消えてくれ

リツイートされない読み捨てツイッター若者のもんなんだよ、消えてくれ

はてな匿名ダイアリーは心が若い若者のもんなんだよ、心が老化したニセ若者は消えてくれ

秋葉原あやしげな店は若者のもんなんだよ、消えてくれ

吉野家の特盛りは若者のもんなんだよ、消えてくれ

東京ばな奈バナナプリン味は若者のもんなんだよ、消えてくれ!

歩行者天国若者のもんなんだよ、消えてくれ

石原慎太郎の昔の小説若者のもんなんだよ、石原慎太郎は消えてくれ

無調整豆乳黒砂糖を入れてあたためたやつは若者のもんなんだよ、消えてくれ

コンビニ駐車場若者のもんなんだよ、消えてくれ

荒井由実ひこうき雲若者のもんなんだよ、消えてくれ

盗んだバイクは盗んだ瞬間だけ若者のもんなんだよ、消えてくれ

犯罪行為犯罪でない行為ギリギリのあたりは若者のもんなんだよ、消えてくれ

 

 

2015-07-11

カラオケ

今の職場へ来て数年経った。

年に1~2回程度、飲み会のようなものが開催される。

その後、二次会としてカラオケを歌うことができるようなスナック(?)へ行くのが恒例になっている。

で、そこで、50過ぎのおじさま方が、よくまあ歌う。

古い曲から新しい曲まで、なんでそんなに知ってるんだというくらい、よく知っていて、ほんと驚く。

古い世代なのだから古い曲を知ってるのは、まあわかる。

荒井由実とか山口百恵とか松山千春とかオフコースとか、(このあたりは名前くらいしかからない)

チェッカーズとかサザンとかミスチルとかスマップとかキンキキッズとか、(この辺は知ってる)

エグザイルとかえーけーびーとか、(この辺は逆にこちらはよく知らない)

なんというか、いわゆる「売れ線」をおさえてる感じがすごい。

別の場で、同世代くらいの集まりカラオケへ行ったことがある。

その時は各々が好き勝手に曲を入れて、しっちゃかめっちゃかというか、

自分は好きだけど他の人は知らないみたいな選曲の偏りが激しくて、

お笑い番組由来らしい歌だとか、ロキノン系ディープめな歌だとか、アニソンだとか、)

あと数回繰り返していればお互いの嗜好も把握できてそれなりに歩み寄れたのではないかと思うのだけど、

その場での結論としては、カラオケは気が合うもの同士で集まった方がいいよね、みたいな感じになってしまい、

飲み会的な会合は開いてもカラオケへ行くことはなくなった。

結局、飲みニケーション的な集まりにおいてはその場を共有することが重要であり、みんなにわかもの要求されるらしい。

だのでミリオンセラーのような売れ筋の曲は「みんなが共有できるもの」として重宝されてきたのではないか。

売れたからみんながカラオケで歌うようになったのか、カラオケで歌われることによって売れたのか、因果関係はわからないけれども、

飲みニケーション的な悪習を築き上げてきた世代というのが確かに存在して、

そういう人たちがミリオンセラーのような売れ筋の曲を買い支えてきたという側面があったりするのではないのかなあ、と、

酔っぱらった頭で思いつくままに何の根拠もないことを書き綴ってみたのでした。

50代~60代くらいの世代退職していくにつれて需要が減退していったのだよっ、みたいな論拠となるデータを誰か探してください。

2013-07-27

風立ちぬ

スタジオジブリ風立ちぬ」。

どこまでピュアな純情な作品でありました。

今の時代にこれだけ純粋な作品を作れるのはジブリ宮崎駿監督しかいないのではないかと思わせるほどで、

普通にこういった作品を作ると、どこか作為的で青臭い感じが違和感として残るのだけど、

この作品はあまりに素直でそれだけに見ている側が苦しくなるように心にズカズカと土足で入り込んできては、

だけども、最後荒井由実の「ひこうき雲」ですべてをさらっていってくれるような、そんな清々しい残り香だけが残るようでした。

2008-10-14

運転していてたまたま入れたCD荒井由実だった。

そういえば、バブルの頃のユーミンの曲を最近聞いてないなぁ、昔好きだったはずだったんだけど。聞くのは妙に古いのばかり。荒井由実時代の曲とか。

運転してるとだんだん思い出してきた、そういえばあの頃のユーミンって恋愛神様みたいな扱いだったよなぁ。

で、ここまできて、最近、ていうか10年以上、あの頃の曲を聞かなかったわけを思い出した。

彼女だ。

そうか、まだ引きずっているんだ。

だめすぎて笑うしかないや。

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