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『童貞。をプロデュース』“性行為強要”問題、配給会社が声明発表 - シネマトゥデイ https://www.cinematoday.jp/news/N0113595
「性別が逆」のセクシー女優(旧名称:AV女優)の出演作品における権利関係と同じ、かと。
アバンギャルドな動画作品(表現のマイルド化)における出演者と監督の権利関係って、ここ十年程で驚くほど変化しているから難しいよねー、と思う。
今までとは違いそれなりに内容があるので、加賀賢三氏のインタビュー記事と比較してみたい。長くなるので「口淫強要問題」の部分だけ抜き出してみる。
『童貞。をプロデュース』監督・松江哲明より
https://note.com/tetsuakimatsue/n/n7761229283cd
『童貞。をプロデュース』強要問題の“黙殺された12年”を振り返る 加賀賢三氏インタビュー
https://getnews.jp/archives/2308598
松江『「童貞。をプロデュース」企画の初期段階で「AVの撮影現場へ行く」ということがコンセプトの一つであり共有されていた。そして初期の打ち合わせ段階で、作品の大きな二つの軸「AVの撮影現場に行く」「好きな子に告白する」という話を共有しました』
加賀『ある日、松江さんが「AVの現場に取材に行こう」と言い出しました。』
はっきり言い分が違っている。松江氏はAVについて初期の話合いの段階ででていたと。加賀氏はある程度撮影が進んでからいきなりとのこと。
この部分は松江氏によるとカメラを回していたとのことなので松江氏が証拠を出せるのではないかと思われる。
どっちにしても撮影現場に行くのはともかく性行為をする的約束はなかったんだろうという印象。
松江『そこでしばし私達は談笑した後、その場を盛り上げようと加賀さんに「明日の撮影を実行するかしないか、コイントスで決めよう」と提案しました。作中の該当シーンでは、コイントスの結果が明示されるギリギリのタイミングで次のカットへ切り替わってAVの撮影現場当日へ繋がっていますが、実際の撮影現場ではコイントスは「撮影をやめる」という結果を示していました。しかし企画内容として私は「AVの撮影現場へ行くシーン」は絶対撮ろうと決めていたこと、コイントスはその場の雰囲気を盛り上げるための演出手法の一つでしたので、私は「やっぱり明日は撮影現場へ行こう」と説得しました』
加賀『松江さんが「AVの現場に行く」と言い出したときにも、「行きたくないです」とずっと断っていました。すると、松江さんは「じゃあ、コイントスで決めよう」と言い出しました。これは映画の中にもあるくだりです。結局、コイントスもぼくが勝ったんですが……なぜか、松江さんのゴリ押しで行くことになりました。映画では、コイントスして、手を開いて、「あっ」って言うところで映像は切られていて、次の画ではもうAVの現場にぼくがいる、という流れに編集されています。本当はぼくが勝ったから行かなくていいはずだったんですが、本編では松江さんが勝ったことになっているんです』
ここは面白い!
AV現場に行く、行かないの話合いを「しばし談笑した」と表現する松江氏。
コイントスをその場を盛り上げるためと語り、負けたにもかかわらず「撮影現場に行くシーンは絶対撮ろうと決めていた」ので「コイントスはその場の雰囲気を盛り上げるための演出手法」とごまかし『「やっぱり明日は撮影現場へ行こう」と説得しました』
これは卑怯だよね。松江監督の発言を最大限受け入れるとしても「説得」ではないだろ。
加賀さんは『松江さんは、本当にゴリ押しが酷い』と語っている。
もしコイントスで松江監督が勝利していた場合は絶対「約束しただろー」とか「男と男の勝負の結果だろ」とか言ってAV現場に連れて行かれただろうし、もう詰んでる。
これいじめっ子がよくやるやつだと思う。
松江『“約束事の共有”があったと思った幾つかの理由は「青年加賀にドキュメンタリー監督がビンタする」シーンでは、加賀さんは現場で「今のビンタは音が小さかったので、もう一度撮り直してもいいですよ」と私に提案しました。彼が作品の演出意図について理解している発言であったと認識しています』
加賀『ビンタされるのはいいんですけど、まず“ヤラセ”が嫌だし、「AV女優は汚い」と言うことも嫌でした。でも、これでオチをつけてくれるんだろうと思ったんです』
ビンタさえ我慢すればそれで終われる(オチがつく)と思い前向きに協力した加賀さんと、ビンタシーンで撮り直しまで提案してくるので、とてもやる気があるのだろうと勘違いしてしまったらしい松江さん。
悲しいすれ違いではある。
加賀『「これでオチがついたから、やっと終わる」と思っていました。ところが、部屋に戻ったらまた押し問答が始まりました。松江さんは、「お前待ちなんだよ」「やるまで終わらねえぞ」「松尾さんを待たせるなんて。お前、いい度胸してんな」と、脅しも入れるようになりました。「カンパニーさんって、そんなに怖い人なんだ」と想像を巡らせて、また怖くなりました。初めて会う方でしたし、「AV業界だし、怖い人たちがバックにいるかもしれない」と、さらに色々と想像して、どんどん怖くなりました』
ここも松江監督的には「ドキュメンタリー監督が青年加賀を脅かす」という演出であるってことになるのだろう。でもそれ言っちゃたらやばい部分は全部演出って言えちゃうからなー
松江『作品の性質上「嫌がっているように見える演出」と「本当に嫌がっている現実」をうまく分けるために役者さんにお伝えするもので、例えば女優さんがお芝居で「嫌よ」「やめて」といっても、芝居か本心なのか判断つきません。なので「その流れで発せられない」ありえない言葉を「ストップワード」として設定し、その警報の効力は絶対的で、発せられたら何があっても撮影現場の全てはストップします』
『「ストップワード」を、「お弁当」にしますと決めてお伝えしました』
加賀さんは覚えて無いとのこと。
松江『「明日、あらかじめシャワー浴びてきてね」「もしかしたら絡み(セックス)のシーンあるかもよ」と言葉で伝えました』
このへんは言った言わないの話になるんで難しい。
一応AV撮影現場のくだりはこんな感じ。今後松江監督の側から裁判を起こすらしく、今回書いてない言い分もあるらしい。
私の感想としてはやはりこれはパワハラに当たるだろうと思う。松江監督も認めている「コイントス」の下りが決定的。こんなの無理を押し通すってことは松江さんは加賀さんの意思なんか尊重する気は無かったのだろう。
『私はまるで「いじめている自覚のないいじめっ子」だったのか、と気づかされました』
と語っているが「まるで」って部分いらないよなーと、完全にただのいじめっ子でしょう。そして自覚がないってのも怪しいと思う。
お互いの立場の差を自覚した上で安全な場所から加賀さんをいじって楽しんだであろう、松江監督が長い時を経て逆襲にあったってのが今回の件の本質かなと思った。
10周年記念上映中止の経緯・ご報告につきまして
https://www.youtube.com/watch?v=WE0H1VS-t0k
3:04〜
松江「え?」
松江「やるらしいって何を?何の話?」
松江「何?また連絡してないって話なの?」
加賀「だから話ししたくないじゃなくて、責任を取りなさいよって話してるんですよ」
加賀「話ししたくないんだったら、やらなければいいじゃないですか」
松江「お前さ、直井さんがそういう建設的な話しても全部拒否してるだろ?」
松江「加賀ちょっと待って、お前さこの話、俺とお前と話しても埒あかないからやめよう。な」
加賀「じゃあ直井さんなんですか」
松江「うん直井さんだよ」
加賀「じゃあいいです。じゃあ間に人を挟みましょうよ、裁判所で」
松江「そうした方がいいよ」
4:00〜
加賀「俺は嫌ですって言ったのに上映を強行したじゃないですか」
加賀「強行したじゃないですか、連絡してこないじゃないですか」
加賀「信用できないですよ、今まで連絡来てないですよ」
加賀「夕張であった時も東京に帰ったら連絡するって言ってたのをずっと待ってましたよ。連絡来てないですよ1回も」
松江「それ直井さんとの話だろ?」
加賀「そうですよ。直井さんに話したら、それは松江さんとの話しだから俺は分からないと」
4:30〜
加賀「童貞。をプロデュースの上映をやめて下さい」
松江「うるさいよ。大きく言うと1人で作ったよ、俺が作ったんだよ」
松江「監督ってクレジット俺が入ってるだろ、お前監督ってクレジットに拒否したかお前」
加賀「クレジットしたのはあなた、あなたがクレジットしたんじゃないですか」
松江「そうだよ」
4:55〜
加賀「どれだけ俺が嫌な思いしてると思ってるんすか」
加賀「話乗んないから相談しないって、それ逃げじゃないですか」
加賀「許可取らないから相談しないんでしょ。それがおかしいって言ってんすよ」
加賀「だったら最初の約束と違うじゃないですか。だったら上映するべきじゃないですよ」
松江(ため息)
松江「うるさいもう切る」
苦笑いしながら、まったくしょうがねえな、といってしゃぶればよかった
俺が悪かったすまん!でもいい映画になった。後悔はしてない。悪いことをしたとは思ってる。覚悟はしてる。とさわやかに言ってればよかった。
そしたら加賀さんもしゃーねーな、と許しただろう
あそこで嫌だとクビを降り続け、終わった後も、強要はなかったと言い続け
出演者に、みっともないまねをさせ、セクハラパワハラなまねをしてまで映画を作るからには、そのリスクを自分も負え、というのが加賀さんの主張なんだろう
だが松江は、自分は痛い思いも不快な思いも一切したくないが、出演者には強要する、とあの態度で皆に示してしまった。
もう表現者としては終わりだ。
覚悟がない奴の作った物を、見る気にはならない
■「童貞。をプロデュース」ついに最終ロケ。
ハマジムに集合し、カンパニー松尾さんの現場を取材。童貞Kが。どうなったのかは一週間後(!)の上映を待つべし。
とりあえず計15時間分の素材とモザイクの箇所の多さを思うと愕然とする。
C松尾さん、浜田社長、Fカップ女優さん、本当にありがとうございました。これでKも男への一歩を歩めた…と思います。
クランクアップ直後の晴れ晴れとした表情。何が起こったのかはまだ秘密だけど、役柄としては彼が孫悟空で、僕が三蔵法師。C松尾さんがお釈迦様。そんな感じ。
■「童貞」の編集作業。うーん。このペースのままだと絶対に30分は超えてしまう。
構成をもう一度考え直さないとまずいかも。けどねぇ、ハッキリ言ってねぇ、面白いよ。真剣な人間って凄いねぇ、笑えるねぇ、本人がマジなだけに。
負ける気がしないね、誰にも(断言)。
■加賀を呼び出して「童貞」最終確認。これで上映して良いか、を。いかんせん「松江さんを訴えたとしても、民事でなら勝てる」なんて言われたらね。
けど「カミュ」を見た後だと、先日まで本気で憎んでいたこの男がかわいく見えた。彼の方がよっぽど自分自身と向き合ってるわ。かなり歪んでるけど。
■昨夜のイベントでの「童貞。をプロデュース」の印象的な感想を思い出す。
山下君は「加賀君がバッティングセンターで打つシーンって『GONIN 監督:石井隆』の佐藤浩市みたい(追いつめられた人間はバットを振りたくなるのだ)」と言い、
柳下毅一郎さんは「童貞をレイプしといて、なぜか感謝されてる」と言い、童貞Kは「哲明、殺す」と言っていた。人それぞれの感想は面白い。
松江哲明の『童貞。をプロデュース』の舞台挨拶騒動を見ていて、当時の不快な気持ちを思いだした。
みうらじゅんや伊集院光が童貞いじりをし始めて、それにサブカルクソ野郎どもが乗っかって童貞をいじりだしたり、社会学者が童貞に関する本を出したりと、ちょっとした童貞ブームが本当に不快だった。
彼らは童貞に同情するふりをして、逆らえない弱者をいじって遊んでいるだけだった。典型的なイジメの構図だ。
「童貞。をプロデュース」の予告編を見てほしい。当時の空気がよく現れている。
https://www.youtube.com/watch?v=1e0kock8UQY
この上から目線で童貞に接し、半笑いでいじる感じ。イジメっ子が非リアをからかって遊んでいるのと同じだ。
こんなものがよく制作され、しかも受け入れられたものだと思う。当時はポリコレなんて概念は浸透していなかったし、童貞はいくら笑ってもOKみたいな不可触賤民みたいな扱いだった。
伊集院やみうらじゅんはまだ自分を落としたり、言葉の表現が笑えたりと工夫があったが、それに影響されて童貞いじりを始めたやつは単なる不快で、自分らはセンスがあると勘違いしていて本当に醜悪だった。
よく覚えているのが映画『40歳の童貞男』が公開されたときのイベント。童貞なら無料になるという上映会をやっていて、俺は町山智浩が推薦していたので映画が気になって見に行った。
上映前の列に並んだとき、ごく普通の見た目の人たちが並んでいるので安堵した。だが、なんだか嫌な感じもする。列の真後ろにカップルが並んでいるのだ。
ひょっとしたら男は(そんな確率、数学的にあり得ないだろうが)童貞だったかもしれないが、女は童貞じゃないだろう。どうやら、童貞の付き添いなら女もOKだったようだ。
女は茶髪にロリっぽいフリフリの格好をしていた。コソコソと2人で何かを喋っている。真後ろだったので耳に入ってきた。女はこう言っていたのだ。
「この人たち、みんな童貞なの?w」血の気が引くのがわかった。サァ―っと体温が引いていった。童貞をいじっている奴らの心情なんて、結局はこんなものなのだ。
映画を楽しもう。俺は自分にそう言い聞かせて、会場に入った。幸い、映画はとても楽しいものだった。笑って泣けるコメディだった。
いい気分で会場を出た。だが、外は相変わらず地獄だった。スタッフが何やら画用紙を配っていた。ホールには机が置かれていて、色鉛筆なども用意されている。スタッフが俺を捕まえて言った。
「今、童貞の人に想像で女性器を描いてもらうっていう企画をやっているんですけど、どうですか?」
耳を疑った。半笑いで語りかけるスタッフ。俺は「いや」と言って会場を出るエレベーターのボタンを押した。だが、スタッフはなおも「まだ時間ありますよね?」と童貞なんだから予定なんかないだろと言わんばかりに食いついてきた。女性器を描くなんてセクハラだし、それを強要するのもセクハラだ。そんなことをそこら辺の通行人に言おうものなら、当時でも問題になっていたと思う。だが、それが相手が「童貞」だったら許されていたのだ。
『童貞。をプロデュース』から10年経って、童貞をあることをアピールしても、恥ずかしいことではなくなったこと(むしろモテに繋がる)
どの口が言うのか。イジメっ子がかつてイジメていた相手に対して、「お前も立派になったよな」ってか。もう一度書くが、どの口が言うのか。
「童貞。をプロデュース」の予告編をもう一度見てみよう。童貞役の男性は23歳となっている。23歳で童貞だって? 別に珍しいことじゃない。今ならそう思えるし、表明もできる。だが、その状況に松江哲明を含む当時童貞をいじっていた奴らは1ミリも貢献していない。社会がゆっくりと成熟に向かっただけだ。
『童貞。をプロデュース』は数年前に観た。
面白かった。
自分は、性犯罪の被害者だけれど、例のシーンで別に何も思わなかった。
犯されて以降の自分は、世の中は、犯す奴と犯される奴で構成されており、それが全てだと思うようになった。
ただ、犯す奴と犯される奴がいるだけだ。
性犯罪のニュースをみかけても、最近は暗い気持ちに少しはなるが、そこに引きずり込まれることはない。
ただ、今回のように、被害者が加害者に立ち向かうような場面をみかけると、本当に無力感に襲われる。
顔の割れている奴に犯されたり、より大きいものに犯された被害者は、被害者界では勝ち組だと思う。
誰だかわからない奴に犯された自分は、他人に気づいてもらうことも、加害者にダメージを与えることもできない。
そこには、ただ犯されたという事実があるだけだ。
だから、大企業でのセクハラ裁判や、従軍慰安婦のニュースなどを見ると、どこの誰だかわからない奴にただ犯された自分は
本当に、ただ他人の欲望を満たすためだけに、犯されるためだけに生まれてきたのではないか
という考えが頭をよぎる。
そんな奴が、人間として生きようとすることに何か意味があるのだろうかと思ってしまう。
そして、欲することが罪であるという考えに陥り、何も欲さず、他人に搾取されるだけの人間生活を送ってしまう。
その繰り返し。
今回みたいなニュースを見ると毎回、そんな考えに人生を乗っ取られた、負け組の自分を突きつけられ、惨めになってくる。
いい加減やめたいが、いつまでたってもまともな人間になれない。
加害者にダメージを与えたところで、被害者の生活が、犯される前に戻ることはない。
性犯罪が多すぎるんだよな。