はてなキーワード: えっちらおっちらとは
毎回5年経ったら壊れる。あっちこっち不具合でまくりで、応急処置でなんとか動くくらいになってしまう。
修理に出すくらいなら新しいの買った方が早い。前のやつはディスプレイ修理に出したら2万ちょいした上に、帰ってきた瞬間本体の基盤が壊れた。
また修理代に万単位飛ぶ上に、処理重いし、修理出してる何週間か使えなくなるくらいなら、買い換える。
サービスセンターとのやりとりも面倒すぎる。素人はエラーひとつ出ただけで、えっちらおっちら調べながら直さないといけない。
毎日使うしもうないと生きていけないから、お金出す事は仕方ないと思う。けど、今win10にしても周辺ソフトの対応はしばらくついてこないだろうし、発売開始してからしばらく待ちたいし。
旧PCからの引継ぎも面倒。多少はクラウドに移行してるから、その部分は楽だけど。昔はOutlookとかお気に入りとかも全部手作業で保存してたもんね。
ネットはバカとヒマのたまり場とは某氏のお言葉だがまずネットでマジョリティを占める思想や価値観にはロクなものがない。
なぜならネットは工作しやすいからである。工作しやすいから無理が通れば道理が引っ込むで、無理を通せる力ある人間が正しいことを言える人間を容易に打ち負かす。それはリアル社会以上にそうなのです。
よく「2chばっかしてるからバカになる」とスローガンのように叫ばれるのに対して「hahaha それもまたネット特有のバカな考えだよ くだらないね」「ネトウヨ()という言葉と同じ」とさも知的ぶって言う人がよくいる。
たしかにそれは一理あってネットなんて道具に過ぎないから使いようであって実にナンセンスだという部分もあります。だがやっぱりおかしいんだよね。やっぱりネットすればバカになる。それを人生のどこかで出来れば青年期のうちに悟らないといけない。
ノイジーな情報が渦巻いて我々の感性思考も漂流船のごとくえっちらおっちら流れている中で、きちんと正しいは正しい、間違いは間違いと強く言えないといけない。
今の世の中正しさの反対も正しさだよポストモダンだよ、とは言うけれど、それは社会一般の話でそれはそれ、これはあなたの人生の話だからね。バカになっちゃ困るなら食い止めないと行けない。そう思うならそうなんだよお前の頭の中ではな。
つまり貴方にとっての正しさを打ち立てることは絶対重要であり、それにあたって、正しさなんて関係なしに無理が通るネットというものはロクなもんじゃない、という話に繋がりますワナ。
いやいや正しさもまた力なのです、力とはパワーなのです、と冷静に自分を守ろうとする人もいるだろう。だけど本当か?正しさは正しさが分かる人にしか力を持てない。
正しさの分からないバカには分からなければ、正しさの通じない余所者にも分からない。そして今はその分からない人の割合が多すぎるの。価値観と考えかたの多様化と言えば聞こえはいいけどさ。
例えばなぜ叩かれても叩かれてもメーカーはクソ商品を作り続けるのか?と煽りでもなんでもなく素朴にそう思うことが多いだろう?
それは意志決定プロセスがそうだから。勇気ある者が王様は裸だと言うかもしれない。でも誰も相手にしなくて結局力こそパワーなのだ。そういう面倒臭い体質でクソ商品しか作れなくてもプロモーションで生存競争に勝てる。
これを社会学的に正しさの捏造と呼ぶこともできる。ネットはその社会構造を凝縮していてレッテル張り放題。匿名性は悪、ツーちゃんねるは悪という主張は一蹴されて一周まわって正しいのだ。
無理が通る有様は強制価値破壊とも言える。価値叩き代行業者、どんな価値でも叩き壊します。ネットに浸かってると壊される側にも回る。それでもみんなリアルで生きているから大丈夫に見えるんだよ。
パンチラスカートじゃないパチンカスニートを除いて。リアルで生きるということはlocationが強い支配力をもつ。GPSなんか考えると分かりやすい。位置というリアル的で非ネット的なものを持ち込んだ所に価値がある。
ネットとリアルを繋げたとかそんなことどうだっていいwこれまでのネットに欠落していた要素を獲得したのがでかい。それでも全然相変わらずネットには位置がない。どこでもドアじゃないが地点AとBが遠くて不便となればすぐ直リンできるようになる。
また人間の繋がりも簡単に着脱可能。リアルではありえない。現実社会はなんだかんだ安定しているのでそれを拠り所にしているだけなんだ。東日本大震災でそれを失って拠り所のなさに気付いた人も多いだろう。
いつまでもあると思うな親と金。だからってネットの不安定さはもっと頼りない。リアルに足ついて生きてる人ですらネットでは足をすくわれる。強制価値破壊はアナスタシアじゃないあな恐ろしや。
知的であることに意味がない世界では、当然知的でない人間やバカのふりした知的な人間ばかりが寄り集まるということですな。掬われても巣食い返すだけのリアル力が必要と言っても過言ではない。
あるいはまた貴方だけのリアリティがあるならばそれもまた一興です。いまは少しずつネットでそうしたクリエイティブな人間が現れています。
日本のSIerが求めている人材がいかなるものか、よーくわかったよ。
めんどくさいことをめんどくさがらずにやってくれる人だろ。
スパゲッティ化してどうして動いてるのか意味不明なコードを解読してくれる人。
コードを修正した場合の影響範囲を大量のExcelドキュメントから洗い出してくれる人。
自動化されていない単調で膨大なテストを手抜きせずにこなしてくれる人。
営業と話の辻褄合わせるためだけの、何の意味もない数字合わせの工数見積を徹夜でやってくれる人。
そういう人材だろ。
ソースコードを読めばすべてが理解できるようなプログラムが書ける人、
突貫工事で初期開発を終わらせて、
あとはできあがったものをえっちらおっちら運用してくのがビジネスモデルなんだものな。
おれSIer向いてないわ。辞めよう。
日本のSIerが求めている人材がいかなるものか、よーくわかったよ。
めんどくさいことをめんどくさがらずにやってくれる人だろ。
スパゲッティ化してどうして動いてるのか意味不明なコードを解読してくれる人。
コードを修正した場合の影響範囲を大量のExcelドキュメントから洗い出してくれる人。
自動化されていない単調で膨大なテストを手抜きせずにこなしてくれる人。
営業と話の辻褄合わせるためだけの、何の意味もない数字合わせの工数見積を徹夜でやってくれる人。
そういう人材だろ。
ソースコードを読めばすべてが理解できるようなプログラムが書ける人、
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おれSIer向いてないわ。辞めよう。
敵側は一番の障害物を最初にどけましょうって考え
どれだけ別の場所を占領しようとしても、えっちらおっちら現れて被害は出るのだから
朝7時過ぎに、8歳の長男が嫁に起こされると4歳の次男が起きて「お父さん、おきてー」とぶんぶん体を揺り起こされて無理矢理起こされる。ニュース番組も見れず、NHK教育のサヨエーサヨエーとか言って体を動かしたりする番組や、団子を無理矢理食わせるアニメを見ながら、嫁が準備した朝食を食べる。食べ終わって皿を片付けようとすると、次男に「ぼくが一番なの」と言われて、皿すら片付けさせてもらえず、台所から皿を持って戻ってくる。そうこうしているうちに長男の登校時間になり、次男を肩車して「いってらっしゃい!いってらっしゃい!」と「オッパイ!オッパイ!」のノリで手を振りながら嫁と三人で長男を見送る。
布団を畳んで、次男がえっちらおっちら運んできてくれた枕と一緒に押入れに押し込む。掃除機で部屋を掃除。掃除が終わった頃、生まれたばかりの三男が泣き出す。オムツを替え、抱っこしてるとぴたりと泣きやむ三男。不当な要求はしてこないので助かる。嫁にパスして、おっぱいを飲ませてもらう。
歯磨きして顔を洗ってヒゲをそり、着替えて、次男を連れて幼稚園バスの来る場所まで連れて行く。毎日しりとりする。「ラッパ」の後、いつもと違うバリエーションの答えを思案していると、「パンツとかあるよ」と教えてくれるので結局今日もパンツと答えたりしているとバスが来る。バスのおじさんと幼稚園の先生に挨拶して次男を幼稚園バスに乗せてもらい、幼稚園バスが見えなくなるまで手を振って見送る。
仕事が終わって家に帰ると、次男と長男はお出迎えに出て来ない。ドアの影に隠れているので毎日「そこだ!」と指摘する。他の家族は夕食を終えているのでオレだけ遅めの夕飯。大抵テレビはヤッターマンかドラえもんかクレヨンしんちゃんでニュースなど見れない。食べているそばから次男がひざの上に乗ってきて、ゆっくり飯が食えない。味噌汁をずずっと音を立ててすすってみっともないと嫁に小言を言われながら、その話もテレビに見入っていて聞いてないとさらに小言を言われる。
飯を食い終わったら、長男にカードゲームをさせられ、次男には最近憶えてお気に入りのババ抜きとカルタをさせられ、その途中に三男が泣き出してオムツを替えて抱っこしながらカルタを続行。
そうこうしているうちにオレが掃除した風呂が沸くので、長男と次男を風呂に入れる。洗ってやった二人が風呂を上がると、ドライヤーで髪を乾かしてやる。布団を敷いて、寝ろ寝ろ寝ろいいから寝ろと寝ろを何回言ったかわからなくなる頃ようやく長男と次男が眠りに落ちる。マンガを読んだり、はてブや増田を見たり、小説を読んだりしながら、とりたてて何も生み出さないまま、眠くなって布団に入って寝る。
長男と次男と三男が、オレの手を離れてオレの代わりに何かを生み出して行くようになるまで、こんな生活がたぶん続いて行く。
昔から「留学は貴重な経験になる」とか「若いうちは海外旅行しとけ」とか聞いてたけど、語学が嫌いで中高の英語も大学で取った第二外国語もてんでだめで、どーせ国内で生きてくんだから別に海外なんて行かなくてもいいじゃんとか思っていた自分が、すったもんだの末に留学することになって、えっちらおっちら1年やって、日本に帰ってきた。
行ったのは日本のネット上で大いに話題になっている某国で、留学前はいろいろ心配してたし、実際に大変なこともいくつかあったんだけど、でもなんかさ、やっぱさ、行くと行かないじゃ全然違うんだよね。そこに暮らすのと暮らさないのでは明らかに違った。むかつくタクシーのおっちゃんや超汚いトイレに出会ったとしても、1年間そこに住んで、大好きな友達ができてお気に入りの場所を作ったら、その国のことは愛しいんだ。情がわいちゃうの。使い古された言葉だけど、まさに第二の故郷。
で、帰国して結構経って、ネットやマスコミの第二の故郷バッシングに(仕方ないとわかっていても)イラっとしてしまう今日この頃。確かに責められる部分は追求するべきなんだろうけど、あまりにも嫌悪感が表に出すぎてて何それ? って思うこともしばしば。民度? 何それおいしいの? 本当に他国のことを憂いているのはごくごくごく一部の人だけで、ほとんどの人はネタ的にまた○○かって言いたいだけ。それが悔しい。よくわかんないけど、お前の母ちゃんデベソって言われてるような気持ちになる。
たまに国自体とその国に住む人々を同列に語っている人がいるけど、トンデモ国家に住んでる人だって、国に振りまわされてんだと自分は思う。トンドモ教育受けたり(あるいは教育自体受けられなかったり)トンデモ政策の中で育ったりしてるんだもん。育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない、みたいな。いやちょっと違うかな。とにかくそういった実感を持ったのは、やっぱり留学したから。それまで自分にとって外国のことは他人事でしかなかったんだけど、他人事が私事になるような環境にいたら、人間何かしら変わっていくんだと思う。ひとつの国でそういう経験をすれば、自分の中にある偏見やステレオタイプに気づいて、他の国や人の見方も変わる。これは自分の場合だけど。
長くなったけどさ、若い人も若くない人もいっぺん海外行ったら楽しいと思う。そりゃもうびっくりしたりすげーむかついたりするだろうけど、一つくらい好きなとこ見つかるかもしれないよ。ツアーとか1泊2日の小旅行だと微妙かもしれないけど、まあ美味しいもの食べれたらそれも思い出になるだろうし。大学生なら、お金とチャンスがあるんなら語学力が多少不安でも留学してみるといいと思う。案外なんとかなる。語学を目的にするのもいいし、語学力の他に得るものもあるんじゃないかな。何より日本の外にも好きなものや大切なものができるっていうのが楽しいよ。おすすめ。
いや、これはかなり微妙な問題で、条件によって答えがだいぶ変わってくるだろう。ただし一ついえることとしては、君のライフスタイルがエコだと言い切ることはできないし、君のライフスタイルを真似する人が増えれば増えるほどエネルギーの無駄はおそらく増えてくるだろうということだ。
コンビニの冷蔵庫は止められないんだから、各家庭に冷蔵庫があろうとなかろうとコンビニのエネルギー消費量は変わらないのでは?だったら各家庭の分を減らせば全体として減ると思ったんだけどなんか間違ってる?
冷蔵庫というのは、中にある物質が持っている熱を奪う装置だ。ということは、中にある物質(空気を含む)が少なければ少ないほど、冷却に必要なエネルギーは減る。冷蔵庫からものを取ればそれだけ冷蔵庫の消費エネルギーは減るということ。
問題は、その分で浮いたエネルギーと、家庭用の冷蔵庫をスカスカの状態で使うことによるロスとどちらが大きいかということだ。これはちょっと一概には言えないが、最近はホテルの冷蔵庫みたいに小さい冷蔵庫も市販されているから、そういうものを使えばおそらく家庭用の冷蔵庫を使ったことによるロスはかなり減るだろうね。
コンビニではどれだけ冷房が効いてても室温が20℃以下になることはないし、ガラス窓から日光がどんどんエネルギーを供給してるし、コンビニの冷蔵棚が使ってるエネルギーは相当なものだと思うよ。
言ってみれば、コンビニの冷蔵棚は、温泉が湧き出てるすぐ側で露天風呂からお湯(熱)をえっちらおっちらと汲み出してるようなもので、相当なエネルギーを使ってることがわかるだろう。これに比べたら、家の冷蔵庫なんてのは、家の風呂桶からお湯を汲み出す程度のものだ。多少蛇口が空きっぱなしになっていても、ちょっとぐらいならやってできないことはないでしょ。
大事な事だからもう一度言うけど、そもそも冷蔵庫使ってないんだよ?そんな俺がわざわざ冷蔵庫を導入しても社会全体でのエネルギーの総使用量が変化しないとは思えないんだけど。だいたい皆365日24時間通電しっぱなしでしょ?
上に書いたように、そんな単純な話ではない。注意しないといけないことは、食べ物ってのはほっとくと発熱するってことだ。思い切りいい加減な話をすると、腐るってのはゆっくり燃えてるようなもので、だからそれを押しとどめるためには絶えず冷やし続けないといけないわけ。あとはその冷やす作業の効率の問題。
で、感じるのだが、都会での独り身は不幸である。
咳はきついし、頭は痛いし、のどはいがらっぽいし、熱で体はだんだるい。よって何も手に付かない。飯どころか小大にすら苦しむ位だ。そして誰も助けてくれない。
ここは……地獄だ……。
ピンポーン
と玄関の呼び鈴がなる。だるいので居留守、と言うわけにもいかない。今日はアマゾンに発注していた本が届く日だったはずだ。まさか一ヶ月前に今日風邪で寝込むなんて想像できていたら注文しなかっただろう。なんていってる場合じゃない。よろろよろと歩いてドアに迫る。ああ、体が動かない。
ピンポーン
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン
はいはい。今行きますよ。 ……ったく。
扉を開ける。
目の前には、一人の女性が立っていた。わりとちんちくりんというかチビハムで、背中にバックパックを背負っていた。というか背負われていたと言う方が無難な感じだった。
俺は、
(しまった、勧誘か!)
と思ってすぐに扉を閉めた。
「!?」
なまった体の動きによる、閉めきるまでほんの少しのタイムラグの内に、その女性はちゃっかり、しかし音も無く中に進入していた。というか、動きが一瞬見えなかった気がするが眼がいかれてきてるのか?
「さて、まずは換気ですね。ああ、これを着ててください。すぐに済ませますから」
そう言って、女性は俺にバックから出したやたらモコモコしたちゃんちゃんこを渡すと、こ汚い部屋を横断して窓を開けた。時期はずれの寒風が吹き込んできて、俺は慌ててちゃんちゃんこを着込んだ。
暖かい……。
「えーと、次はおかゆでも作りましょうか。卵入れます?」
「あ、うん」
こちら側にあるキッチンに歩いてきた女性の言葉に、つい勢いでうなずいてしまった。
いや待て俺それどころじゃないだろ!
「ちょっと待て」
そこで大きく咳き込んだ。くそう、俺が風邪なのをいい事にぃ……。
だが、こいつはなにがしたいんだ? いきなり押しかけてきて、名も語らず、それでいて俺の為に食事を作ってくれている。一体なんだ?
「あ、もう少し掛かりますから、寝ててください。換気はもう少し必要ですから、開けたままでお願いします。ちょっと寒いですけど我慢してくださいね?」
「え、あ、はい」
俺は事態が飲み込めずにぼんやりした頭でうなずくと、えっちらおっちら布団に戻り、横になった。ちゃんちゃんこが思いのほか暖かく、窓を開け放っているのにそれほど気にならない。
そのうち、食欲を誘ういいにおいが漂ってきた。
「できましたよー」
「熱いから気をつけてくださいね?」
「は、はい」
促され、フーフー吹いて冷ましてから一口。
鼻が詰まっているからいまいち味はわからないけれど、温かい感覚が口からのどを通っていく。ここずっとゼリー飲料で飯をまかなっていたから、なんだか新鮮な感覚だ。
なんだか嬉しくなってもう一口、もう一口、と食べていく。女性は俺の様子をただ黙ってみているだけだ。なんか買え買え攻勢を仕掛けてくるかと実は思っていたのだが、そういう様子も無い。にこにこしているだけだ。
居心地が……妙だ。
「ごちそうさまでした」
「いえいえ、お粗末さまです」
お盆を渡すと、女性は受け取りキッチンに持っていく。俺は一息つく。さて薬を飲もう、ごそごそと女性は水の入ったコップを持ってきてくれていた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
俺は水を軽く含んでから薬を飲み、それから残りの水を飲んで一気に流し込んだ。
飲みきってから気が付いたが、水ではなく程よい温度になった白湯だった。
俺はいよいよ怪しんだ。これは弱っている人間を狙った何か、そう詐欺か何かだ。ここから無理難題を仕掛けてくるに違いない。警戒警戒。
「あの」
そらきた! 俺は警戒心を強めた。何を言われても、鋼の心で突っぱねてやる!
「そろそろ、窓閉めますね」
「ことわ……、……はい」
ガカラガラと窓が閉められる。ストーブをたいていたのですぐに部屋の温度が上がっていく。それ以上の事は起きない。女性はただ静かに座っている。
「えと……」
沈黙に耐えられなくなったのは俺だった。ついに疑問を口にしてみる事にする。
「あなた、なんなんですか?」
「訪問介護員ですよ?」
「だからそれがなんなんですか?」
「風邪などの病気に罹った人の所に出向いて、お世話する、K園が行っている慈善事業の一つです」
「慈善事業、ですか。これ、お金とか取ったりしないんですか?」
「慈善事業ですから」
そう言われると、「はあ」としか言いようが無い。そこで会話は打ち切りになった。俺は黙って横になり、ぼんやりとする。
ひやりとした感触がおでこに当たる。濡れタオルだ。これは俺の持ち物じゃない。誰のだ?
「あ、起こしちゃいましたか?」
そうか、この人のか。と、その瞬間に自分が眠っていた事に気が付いた。
(うわぁ。赤の他人が居る前で寝ちゃったよ……)
俺が赤面すると、女性はなにを勘違いしたのか額のタオルを取り上げ、顔を拭いてくれた。なすがままにされる俺。女性はなおも顔の赤い俺を心底心配したように語り掛けてきた。
「顔、赤いですけど暑いんですか?」
「いや、まあ。でもこういう時は汗かかないと」
「かきすぎて体を冷やすのは良くないですよ。ちょっと拭きましょうか、体」
「え? いやいやいやいいですよそれは自分でします」
「そうですか? ならいいですけども。あまり寒くならない内にした方がいいですよ?」
「は、はい」
……なんでこんなどぎまぎした会話をせにゃならんのだ。と思ったのもつかの間だ。女性は、時計を見て「あらら、もうこんな時間」と呟いて、それまで横に置いていたバックパックを担いで立ち上がった。そして、
「じゃあ私、そろそろ帰りますね」
と言うと、そそくさと玄関に向かい始めた。
「ちょ、ちょっと待って」
俺は勢いで引き止めてしまった。起き上がったせいで濡れタオルがずり落ちる。が、それからの事は考えてない。ただ、待って欲しいと思ってしまったのだ。
女性はおっとり振り向き、俺の次の言葉を待っている。だが言葉はすぐにでてこない。あー、とか、えーと、とかが繰り返し、繰り返し。
(あ、そうだ)
それ以外にもタオルもだ。だけど、この瞬間に出てきたのはちゃんちゃんこの事だけだった。
女性は俺の発言に、女性は何の事やらと一瞬首をかしげたが、すぐに、
「あー、それ、受け取ってください。プレゼントみたいなものです」
と答え、そのまま振り返り玄関を開けて、
「戸締りは、すいませんけれどご自分でお願いします」
とだけ言うと、また音もなく出て行った。
「ま、待って」
俺はよろけながら立ち上がるとよろろよろけて玄関へと向かう。相変わらず体はがたがただから、それだけでも重労働だ。でも歩く。
玄関にたどり着き、扉を開ける。こじんまりしたコーポの廊下を見渡すが、既に女性はどこにもいなかった。代わりに、配送会社の人が今まさに呼び鈴を鳴らそうという姿立っていただけだった。
で、感じるのだが、都会での独り身は不幸ではないかもしれない。
咳はきついし、頭は痛いし、のどはいがらっぽいし、熱で体はだんだるい。よって何も手に付かない。飯どころか小大にすら苦しむ位だ。
だけど、ここには誰だか知らないけれど助けてくれる人がいる。俺みたいなのを助けてくれる人がいる。
そういうのがあるのだ。だから俺は待っている。ちゃんちゃんこを着て、待っている。
ピンポーン
僕の出身は結構田舎の方だ。どういう所かっていうのを説明するのは難しいけど、家のすぐ近くに狸が出るっていえば分かってもらえるかもしれない。とにかく最寄駅は徒歩三十分で、電車は、……電化されていないから電車じゃないんだけど一時間おきにしか来ないような、まぁそんなところだ。
僕は、ここの中途半端な田舎っぽさが大嫌いだった。中途半端な田舎っぽさっていうのを別な言葉に置き換えると過干渉になる。地域的な人と人との係わり合い、つまり近所付き合いってのを否定するつもりはない。けど、何事にも程度ってものがある。それを過ぎているのに気付かないのだ。僕は、中学を卒業してすぐに寮に入ってここを離れることになるんだけど、その原因の一部は確実に周りの人の過干渉にあるし、僕の性格形成の一端を担っているのは間違いない。
今までのは、僕がいた"地区"での話なんだけど、すぐ隣の地区ではあまりそんなことは無かったような気がする。今考えると、僕がいた地区は山の裾に位置しているもんだから新しい家も建てにくくて、他の地区に較べると人の入れ替わりが少なかった。つまり、あそこは淀んだ場所だったのだろう。僕の持っている少ない情報では、最近家も増えてるみたいだし、もしかするとああいう風習も少なくなっているのかもしれない。
話は変わるけれど、僕が通っていた小学校は、最寄駅のすぐ近くにあって六年間もえっちらおっちら歩いて通っていた。そのまたすぐ近くに、公立の高校があって僕の同級生はかなりの確率でその高校を卒業してるし、僕も多分中学二年生ぐらいまではその高校に行くつもりでいた。その小学校までの通学路の途中に、祖父母の住んでいる家があって、これまた近くにある神社で夏祭りがあるときには必ず行っていた。でも僕が記憶しているそれは、夏祭りではない。でも、暑かったような気もするし、その内容から考えると盆の時期だったのだろう。
僕の家からその高校に行く為のショートカットというか、近道というか、裏道があるんだけど、そこに墓地があって僕の先祖の方々の何人かはそこで眠っているらしいのだ。そのときは夜が更けてだいぶ涼しくなった頃、といっても多分八時かそこらなんだろうけど、その墓地に行った。当然田舎のことだから街灯も少なくて暗いはずなんだけど、蝋燭なんかがついていて、もしかすると提灯なんかもあったかもしれない。で、線香をお供えして拝むわけだけれど、まぁここまでは普通の墓参りと変わらない。僕が奇異に感じたのは、この先である。墓石のあるその周りに、普段は使われることなく専ら運動会だけでその役目を果たしているようなレジャーシートを敷いて、まるで花見の時みたいに食事というか、飲み会を始めたのだった。周りにも結構多くの人がいて、墓地だからそんなに広いわけでもなくて、30cm先には他の墓の人たちが酒を酌み交わしているのだ。僕はちょっと、本当にほんのちょっとだけ怖かったけど、赤と青と白のストライプのレジャーシートの上でおにぎりを食べていたような気がする。
そのときの僕は、少し変わっているなと思っただけのような気がする。気がするというか、最近ふとした拍子に、そう、その思い出した原因みたいなものも忘れてしまったふとしたきっかけで思い出しただけなので、今でもあやふやな記憶しかない。ただ、暗かったのか明るかったのかよく分からない、なにか独特の空気というか雰囲気みたいなものがあったのは覚えている。で、これはさっき思いついたんだけど、もしかするとその墓に入っているはずの人の何人かはそこに帰ってきていたのかもしれない。もちろんそんなことはありえないけど、そういう想いみたいなものがあったんじゃないかということをその風景を思い出した時に感じた。
僕の話はここで終りである。なんだかまとまってないけど、僕がそういうところで育ってそういう体験をしたというただそれだけの話だと思ってほしい。