はてなキーワード: 霊言とは
http://latitude.blogs.nytimes.com/2013/06/07/margaret-thatchers-advice-for-abe-from-beyond-he-grave/
Maggie and the Medium
By GRAEME WOOD
訳はとっても適当。
2002年にマーガレット・サッチャーが老衰のために公の場から引退すると発表した時、彼女の敵対者たちはこうささやいたーーあんな手練の政治家を、完全に息絶えさせるのは難しいだろう。
どうも彼らは正しかったようだ。4月9日、サッチャーがロンドンで亡くなって19時間後に、日本の幸福実現党の党首であり霊媒でもある大川隆法が東京でイギリス前首相へのインタビューを行ったのである。
選挙区ごとに候補者をたてたにもかかわらず国会では一議席もとれなかった大川の党だが、東京では純真な信奉者たちが路上で熱心にパンフレットを配っていることで有名である。パンフレットの内容の大半は政治的で、対外強硬主義的なナショナリズム、移民政策や原子力の推進等を妙な具合に混ぜあわせたものである。とはいえ根っこのとこではこのグループは宗教団体であり、その目的は、人生を支配する6つの見えざる真理について人々を教化することで幸福をもたらすのだという。大川(彼は証券マンとしてニューヨークで働いた後、1986年にこの宗教をはじめた)はこれまでに霊界の金正日や預言者ムハンマドと話したと主張している。そして今度はサッチャーだ。
「なんですって? 私、まだ生きてるわ」非常に具合の悪そうな声で彼女は大川に言ったそうだ。(このインタビューを公開したサイトによれば、驚愕と混乱は呼び出された死者における典型的な反応である)「日本? あなた、日本って言いました?」
サッチャーはここでは人気のある人物だ、彼女の強いリーダーシップへの感謝の念や、労働階級出身でありながら男性優位社会で成功したという点。彼女はまた、英国がフォークランド紛争でアルゼンチンに勝利した時期、1980年代のナショナリズム復興の主導者として名をあげた。彼女の政治的信念によって政府の役割は縮小され、またインフレは積極的に抑制された。
大川のグループはアベノミクスを全面的に支持しており、日本政府は、インフレやマイナス金利を通じて経済を勢いづける試みに今のところは成功している。しかし大川とのインタビューではサッチャーは、一国の経済的命運は、究極のところ、積極的な金融・会計上の政策ではなく、ビジネスしやすい環境をいかにつくるかにかかっているのだと語った。
「政府に必要なのは産業の民営化をサポートすることだけです」と彼女は語った。あまりにも多くの法律が「私企業の成長を阻害している。ですから彼らを自由にさせ、成功を目指して皆が戦うよう教えるのです」
これは、安部首相のインフレ政策が経済を傷つけるんじゃないかと心配し始めている日本の大衆にはアピールするのかもしれないーーもしそうだとしたら、彼らはサッチャーの成功が緊縮財政と福祉の抑制によるものだったということを忘れてしまっている。
安全保障の話題になると、サッチャーはえらく軍国主義的なようだった。まるで大川みたいに。この点では彼女は安倍よりさらに上を行く。中国と韓国について、彼女はこう語った。「侵略を絶対に許してはなりません! あなたがたの素晴らしい、美しい、歴史ある伝統と文化を守るために彼らを攻撃しなさい。誇りを持つのです!」彼女は力説した。「自分たちの領土だと信じるのなら、私たちはそれを保持し、守らねばなりません。そして私たちの敵、侵略者を攻撃し、滅ぼすのです!」この"私たち"という言葉から判断するに、彼女は死後の世界で日本人になってしまったようだ。
このインタビューはリバティwebで公開された。幸福の科学の宣伝サイトである。記事の長さは数ページだ。サイトいわく「死後24時間は、死者の身体と魂はいわゆる"銀色の紐"でまだ結ばれている」死のショックが生々しいので「通常の死の直後は、話すことは極めて難しい」というのが普通だそうだ。しかしわれらがサッチャーはいつだってサッチャー、見当を失っていたのは僅かな間で、すぐに明晰かつ猛烈、傲然たるいつもの彼女に戻ったのだった。
反応
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=6151
サッチャーの霊言を米一流紙が紹介 日本のマスコミは置いてけぼり?
米ニューヨーク・タイムズ紙の国際版であるインターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)紙が7日、大川隆法・幸福の科学総裁によるサッチャーの霊言を紹介した。
(中略)
同記事では一部、一方的な思い込みも散見されるが、米一流紙が霊言の内容を冷静に分析して議論を行なっている点は注目に値する。たとえば、「霊子線」などの霊的な用語も、当然のように受け入れて議論しているのだ。大川総裁の霊言について取り扱うことがほとんどなく、週刊誌等が取り上げたとしても、「霊言があり得るのかどうか」で議論が止まってしまっている日本の大手マスコミとは対照的だ。
大川総裁は、世界の5大陸すべてで説法を行っており、各国の現地マスコミも大きく取り上げている。インドやアフリカのウガンダでは、講演会がテレビで生中継されたほどだ。世界的に見れば、宗教家の説法や「霊言」などの霊的な現象は、ニュース価値があると考えられているのだ。このまま日本のマスコミが宗教や霊界の話題を無視したままでいれば、世界のメディアから取り残される一方だろう。(晴)
ちょっと気になって、「霊験あらたか」の用に使われる「あらたか」とはどう漢字で書くのだろう?と思い、調べた。
当初の予想は「新たか」だった。もちろん、それなら平仮名にすることもなく、ネットの海でさえも「霊言新たか」で埋め尽くされていたはずだ。
違うということは、他の字が充てられているということだ。
そして、その字は「灼か(灼たか)」であった。
意外な字が出てきた。字義を知る人ならそこまでの驚きはないのだろうが、現代では灼熱程度でしかお目にかかることのない漢字に訓読みがあったとは、私にとって新鮮な驚きだ。
確かに多くの漢字、私達が日常目にする漢字のほとんどには、常用漢字内外の訓読みがある。たとえば、小学校低学年で習う二つの漢字、「丸」と「円」、これらはどちらも<マルい>と読む。意味としては、前者が球形的(三次元)、後者が円的(二次元)という違いがある。円いテーブルと言えば、ボール状ではなく円卓ということになる。
しかしながら、後者の漢字、円の訓読みは低学年では学習しない。同音類義語の使い分けは低学年にはまだ早いという計らいがあるのかどうかは知らないが、とにかく低学年で<マルい>と学習するのは「丸」のみである。
この同音類義というのがポイントとなるわけだが、この細かな違いはともかくとして、多くの場合、意味は文脈に依存する。円卓を指すとき、「円いテーブル」でも「丸いテーブル」でも「まあるいテーブル」でもこれらの共通項にズレはない。ズレを中心に据える、超現実的解釈をしない限りは、これらは合一する。
という流れで見て、先の「あらたか」に目を向けよう。「灼たか」とは神や仏のご利益がはっきりしているという意味である。元の語に戻れば、「灼」とは明らかなようすであるとか、はっきりしているであるとか、火を付けて燃やすとか、そういう意味に通ずる。これらに共通するのは鮮明さである。目の利かない闇夜で火をつけて周囲をはっきりと映し出すものであり、その火の役割こそがご利益なのだ。
そして「新たか」である。新た、とは場面の展開であるとか、今までにない局面であるとかいう意味だ。今までにない手法を使うということは闇夜を照らす火のようである。カメラのアングルが変わって別なところを映すということも、全体を明澄にする手段の一つであり、具体性を獲得する。
思えば、「改める」という言葉も、意味としてはこの流れに通ずる。私達は日本語の微妙なニュアンスだとかそういうものを大事にしてきて、かえって事物を見る目線を複雑にさせすぎやしていないだろうか。