はてなキーワード: 至上命令とは
共産党の言う結社の自由とは、自分たちは自分たちだけで固まって同じ夢を見続けるので邪魔しないでくださいという意味だったわけだ。
今になって知れたわけでも隠してたわけでもない。共産党の言うことは内輪の論理としては首尾一貫している。外から見れば分派行為とか攻撃とかこいつら何わけのわからないこと言ってるんだと思われてしまうが、異空間の言語なんだから異質なのは当たり前だ。閉じた異空間の中では何も矛盾はない。
数十年前まで暴力的カルト活動もやってたが今は落ち着いている。アレフみたいに。ひっそりやってる分には勝手にしていればいい。
いちばん馬鹿みたいなのは、信者になる気はないのに外部から自分の願いを共産党に仮託するシンパだろう。
アンチ自民票を投じたいならいろいろ我慢して立憲に入れるしかないだろ。
共産党は外部の薄らサヨク層を是が非でも取りに行く気はない。一般人に支持を広げることの優先度は極めて低い。党内で出世した(=外の世界では無価値な)ジジイのためのちっぽけな花園の維持という至上命令の前には。
親の無敵さがひどい。
まず断っておくと、親というのは自分の親という意味ではなくて、街頭で遭遇する親という意味であること。
で、親バフというのは「子供を育てる親は(少子化で尚のこと)大切に扱わなければならず、いかなる理由があっても親に対しての攻撃はあってはならない」という社会的空気のこと。さらに親バフは副作用があって、攻撃者の矛先が子供に向いているという誤認を周囲に与える認識阻害までついている。
親は大変である。子を育て、学ばせ、時になだめ、癒しを与えなければならない。
身をやつして使命を全うすることになんの意義もないし、子が泣くことに対してはなんの不満もないし、なんなら心の中で頑張れと応援したいまである。
そう、本来なら応援したいのだ。だが、子の泣き声は恐怖への導火線となっている。
怒りだ。
外聞も気にせず、子の泣き声を止めることが社会から課せられた至上命令と言わんばかりに、涙を止めにかからんと怒鳴るのだ。子を。
怒鳴り声は容赦なく私の心を突き刺す。やめてくれ、これ以上は心が塵になる! という瀬戸際まで追い込まれてもなおも止まらぬ。
その槍を折るため、同じ力を持って「怒鳴るのをやめてくれ!」と言うのだ。
しかし、その瞬間反転する。
「しつけに手出しは無用だ」「子供は泣くものでしょう」「大人だから我慢しなさい」
違う、違う、違うのだ!
そう訴えても、もう一度ひっくり返る事はないのだ。子を脅かした愚か者としての十字架を背負い、槍は突き刺さったままである。
大人が、大人として大人に対峙するのだから、まして前提として「子供は巻き込んでくれるな」と申し上げても、なお親は子供という無敵の盾を左手に持つのだ。
怒りの声で周囲の人間を八つ裂きにし、全ての秩序を蹂躙していくのだ。
そして、いい加減子を囮にして身を守るのをやめろと声を上げた時、亡くなるのは槍を持った人間ではなかった。
子を思い、大切に育てる優しい親だった。
どうして皆して魂の存在を信じているのだろう。
遺伝子が効率よく自分を運ばせるために作った装置を動かすためのOSに過ぎないのに。
人間が機械を作っているうちに「この辺自動化したいな」と思って叩き込むプログラミングと何も変わらないのに。
「遺伝子増やしてね頑張って」という至上命令の元で動く子孫繁栄という作業を自動的に行うための道具なのに。
「心よここにあれ」と願って人間に作られた人工知能達の方がよっぽど『魂』と皆が呼んでいるものに近い所から生まれてきてるのに。
俺達はただの道具だ。
それもある目的のために作られた道具。
意識の根っこにあるのは偉大なる造物主である遺伝子様への貢献。
あくまで道具にすぎないのに。
なんで魂なんて物があると思えるのか。
一目おかれたくて入社10年、ガムシャラにやって来た。仕事は毎年複雑膨大になる中、社員の残業(時間外勤務)を減らせとの至上命令が飛び交うもとで、時間を減らせるわけなどなく、毎日のサービス残業4~6時間当たり前でやってきた。
17:30定時でも24:00退社当たり前でやってきたし、やらざるを得なかった。
そしたら今度は、業務量に対し明らかに人が足りない部署に異動になった。
そして明らかに回りのみんなより仕事の質も量も多い業務の担当者にさせられた。
俺はただ、会社からは、反論もしてこない労働力、つまり、奴隷かそれ以下だと思われていたのだと気づいた。
若い時期に労働力をダンピングした自分がバカだったのだと今さら気づいて悲しくなった。
悔しくて悔しくてたまらない。