親の無敵さがひどい。
まず断っておくと、親というのは自分の親という意味ではなくて、街頭で遭遇する親という意味であること。
で、親バフというのは「子供を育てる親は(少子化で尚のこと)大切に扱わなければならず、いかなる理由があっても親に対しての攻撃はあってはならない」という社会的空気のこと。さらに親バフは副作用があって、攻撃者の矛先が子供に向いているという誤認を周囲に与える認識阻害までついている。
親は大変である。子を育て、学ばせ、時になだめ、癒しを与えなければならない。
身をやつして使命を全うすることになんの意義もないし、子が泣くことに対してはなんの不満もないし、なんなら心の中で頑張れと応援したいまである。
そう、本来なら応援したいのだ。だが、子の泣き声は恐怖への導火線となっている。
怒りだ。
外聞も気にせず、子の泣き声を止めることが社会から課せられた至上命令と言わんばかりに、涙を止めにかからんと怒鳴るのだ。子を。
怒鳴り声は容赦なく私の心を突き刺す。やめてくれ、これ以上は心が塵になる! という瀬戸際まで追い込まれてもなおも止まらぬ。
その槍を折るため、同じ力を持って「怒鳴るのをやめてくれ!」と言うのだ。
しかし、その瞬間反転する。
「しつけに手出しは無用だ」「子供は泣くものでしょう」「大人だから我慢しなさい」
違う、違う、違うのだ!
そう訴えても、もう一度ひっくり返る事はないのだ。子を脅かした愚か者としての十字架を背負い、槍は突き刺さったままである。
大人が、大人として大人に対峙するのだから、まして前提として「子供は巻き込んでくれるな」と申し上げても、なお親は子供という無敵の盾を左手に持つのだ。
怒りの声で周囲の人間を八つ裂きにし、全ての秩序を蹂躙していくのだ。
そして、いい加減子を囮にして身を守るのをやめろと声を上げた時、亡くなるのは槍を持った人間ではなかった。
子を思い、大切に育てる優しい親だった。