2024年03月08日の日記

2024-03-08

anond:20240308210612

古賀亮一/ゲノム

マジで笑い死ぬかと思って単行本閉じて後日読む事にしたのはこれくらいだわ

死ぬこと」の言い換えってめっちゃあるやん

永眠

他界

入滅仏教っぽい)

昇天キリスト教っぽい)

崩御人物限定

なんなの?

そんなにタヒ意識したくないの?

anond:20240308231805

何かの属性に基づいて決めつける事を差別というんだが

日本人男性差別主義者だあ!と属性に基づいて決めつけるのが面白い

anond:20240308230244

ペンローズの爺さんも意識と量子の話をよくしているじゃないか

ペンローズかいうエッジケースしか出てこない時点でアレって話やで

anond:20240308230818

男女平等の成果は女性にの還元されるべきだ」さすがに意味不明だな。育児が妻にのみ課せられる傾向はむしろ女性差別で、男性の育休は恩恵ではない。まさか育児をする気がなく、ボーナスタイムか何かと勘違いしているのかな。狭量な利権意識に染まっているのは実際は日本人男性で、世界中報道機関統計によって客観的日本男尊女卑の酷さが出ている。まったく自覚がないだけ悪質。

陰謀論者とか言う、キモマスゴミ工作員

こいつらはマスゴミって言われたら発狂するけど、自分たちもっと屑ってる差別を平気でする。

こいつら自体高校もまともに出てないか、金で大学出ただけのバカ坊ちゃんのくせに、学業差別しまくる。

親の金コネで、金持ち大学を出た以外に、何一つ頭の良さを証明するものがないから、コンプレックスの塊。

言うことやること下品な本性をひけらかすことしかできないキモ豚。

anond:20240308143204

そこで増田リンクを貼れないのがお前の弱さだ

もっと必死になれ

スバル軽自動車安全

スバルと言えば頑丈な車を作るメーカーとして有名だが、軽自動車はどうなのだろう。

海外で暮らすと普通の人でも何度も何度も確認するような強迫観念が現れるんだろうな

anond:20240308230818

戦場で女が活躍してないみたいな事を言ってもな

まず戦場じゃなくさないとそりゃそうでしょうよって話でね

明日教えたくなるはてブ知識

自分の付けたスター10秒間マウスバーすると取り消すことができる

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

『能改斎漫録』『夜航船』などにも同様の記述がある。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。正確には唐代注釈後漢書李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、その頃には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。なお先述の『異物志』も唐代、『能改斎漫録』は南宋代、『夜航船』は明代書物である

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、古くは『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

anond:20240308230253

麻薬特例法

第9条 薬物犯罪(前条及びこの条の罪を除く。)、第6条の罪若しくは第7条の罪を実行すること又は規制薬物を濫用することを、公然あおり、又は唆した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

親告罪でないので誰でも

anond:20240308231125

ちんちんは人の一部だが、人間ではない みたいな話?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん