公助の問題点って一部の人間による総取りになってしまうことだから、
公助が減少して自助と共助の割合が増すほど、社会的弱者の格差は酷いことになるよね
ここ数年、若い世代とか観察していると、公共に頼れないという認識が内面化されていて、
ゆるいコミュニティみたいなものを作って助け合っていこうみたいな考えのやつが増えてる
ただそういうコミュニティってしばらく観察してると、やっぱり人気があって好かれるやつと、
全然人気なくて嫌われたり気にされなかったりするやつに二分されていくんだよね
で、大体人気あって好かれるやつって何かしら魅力があって、普通に社会で働いてても勝てそうなやつが多い
逆に魅力なくて頭悪くて、コミュ力も低くて苦労しそうな奴は、そういう場でもやっぱり排除されがちだったりする
大衆の自由な感情に任せた共助ってそれを回避する術がないと思うんだよな
また 落ちちゃった。
フェミニズムは、男性と女性が平等に扱われることをめざしているの?
お、おうぅ ?
いらすとやって味の塊では……?
送金先を隠すの無理じゃね?
いらすとやに重要なのは統一感、どの場面に使っても違和感のないいい意味での味のなさ。
萌え絵・ポスターに求められるのは目につくインパクト、他との差別化。
目的が違いすぎる。
ツマラン!オマエの話はツマラン!
元なでしこジャパンの永里優季選手が男子サッカーチームへの移籍するニュースでネトフェミがわいて喜んでる。
「男女で括るなんておかしいぞ!」みたいな感じで言う人が多いけど、ホントに?って疑問に思う。
まずスポーツの場合、フィジカルの観点で女性は男性に大きく負けている。
例えば男女5人ずつ10人を適当に集めてきて、一番頭がいい人は女性である確率は少なくとも50%程度ある。
しかし一番力持ちな人や足が速い人が女性である可能性は急激に減る。
それは男女を混合した時、どう考えても女性に勝ち目がないからである。
だから男性から隔離した。女性の中でなら優れてる人たちが活躍できるように。
永里優季選手はたまたまトップクラスの実力を持つ人で、それは個人的な夢の追求として応援するべきだとは思うけれど、
「このまま女性がどんどん男性の中に混ざっていけばいいのに」「そもそも男女で括られてるなんておかしい、なくすべきだ」という考えは危険だと思う。
コミュニティの空気を読み、ネタを探し、視聴者を楽しませる企画や雑談内容を考えて、メンバーを決め、配信で表現する能力、それら全部ひっくるめた総合力が高いことで人気になるのがにじさんじのライバー。
そんだけ優秀なのに、世界的に知名度のあるにじさんじライバーが一人もいないのは、一体全体どういうことで?