付き合って2年半、
休みも勤務時間も合わなくて全然会えなくても、LINEが疎かになっても私は好きな気持ちを維持できてたんだけどな
長く仲良くしてくれる友達も多いし、夢中になれる趣味もいくつかあるし
彼氏もたくさんある大好きで大事なものの中の1つだったんだけどな〜
付き合い始めてから約2年半の昨日まで、
熱しすぎることもなく、かといって冷めることもなく
平熱よりちょっと高いくらいの温度でずっと好きだったんだけどな〜私は。
恋人に対しての好き度が流動するタイプの人間の方が多いだろうし、彼もきっとそうだったんだろうな
仕事も大変そうな職種だし、無理に予定合わせて私に会ってる暇があったらゆっくり休みたいよね
他に好きな人ができた訳ではないっていう彼の言葉を信じるにしても悲しいな。
愛をぶつける矛先が減っちゃった。
今はすっごく辛いなあ
うまく説明できないんだけど、俺は世界と自分と他の人との関係を、ブドウの房みたいな形に思ってた。
俺は何よりもまず世界と繋がっていて、他の人とは世界を介して間接的に繋がっている。
他人と関わり合うということは、ブドウの実同士の間に、元は存在していなかった新しい枝を生やすようなもの。
ぼんやりしたイメージだから穴は色々あると思うけど、そんな感覚だった。
しかし、ある人の自叙伝的なものを読んでいて、その人の世界は「ブドウモデル」ではないのでは?ということに急に気づいた。
これは想像するしかないから自分のイメージよりさらに覚束ないけれども、
その人にとっては他人と自分の間にまず枝があって、それが複数の他人と絡み合い、その総体として世界があるんじゃないかと思った。
いわば網目のような状態。世界とはネットワークで形作られていて、自分と世界を直接つなぐ枝などは存在しない。
そのことに気づいてから、過去に話が合わなかった相手とのやり取りなどを思い出すと、この辺のとらえ方の差があったかもしれない。
俺は、他人を理解するというのは、相手と世界の関係をよく観察して知ることだと思っていた。
でも「網目モデル」の見方だと、理解とは相手と自分の関係をより密にしていくことになるのだろうか。
俺は昔から一度ならず、「人間に興味を持て」「情が薄い」などと言われてきた。
回転キャップタイプの新しいロットが冷蔵庫に2本ストックされていたんだけど、今見たら片方は期限が切れてた。実質値上げじゃないかということはともかく、あれって牛乳として認識されるのか?
運用の話はしていない
安室奈美恵さんが引退するってなったときに、なんていうか彼女の人格っていうものはないよなあとぼんやり思っていて、でそんな感じの女はいつの時代もどこにでもいたなって思った。
安室奈美恵さんは絶頂期にできちゃった結婚をしたり、母親が殺害されたりなどとてもドラマチックな人生を送っている。でも彼女の言葉っていうものはどこにもない。
あるのかな、あるのかもしれないけれど、それは楽曲だとかからはにじみ出ない。
あくまでも彼女はただの「安室奈美恵」であって、その中の人が何を思ってどう感じたかはそのパフォーマンスには影響しない、そこに安定感がある。
いや、サユリストと呼ばれる人々にとって彼女が何を思ってどう感じてどうパフォーマンスに影響したかは言えるんだろうけど一般人にとっては吉永小百合さんは人生において何かがあったとしてもそれによって目の前の何かが変わることはない、安定感があり間違っても手首を切ったりはしないあくまでも理想の見るものの手のひらとても狭い想像の中で動いてくれる稀有な存在だ。
安室奈美恵さんの反対側にいるのが宇多田ヒカルさんだ。彼女は母親の死をモロにうけていてそれを自分の中でどうしても消化しなくてはならなくて歌う。音程は不安定で言動も不確かなときが多い。彼女にとっては母親の死というものは歌にのせて消化しなくてはならないものでその消化活動においてそれを聴いて癒される人も多いのだろう。でもとても不安定だ。そこに救いを求めてもいいものかどうなのか身内の死という誰にでもありうる現象において心が作品がこんなにも左右されるような人の作るものに対して、自分の心をゆだねてもいいものだろうか、的な。ここともに母親をある意味殺された歌姫ってことで対比させてドキュメンタリー作っても面白そうだし対談させたいとこですけど誰かそれやってほしいな。
わしは「アルマゲドン」は30分で納まると思ってるクチじゃ
ダレカタスケテ
ガラポンという名称だったのか、あれ…
ブレイキング・バッドはシーズン1まで観たところで頓挫。
ウォーキング・デッドはシーズン1の途中で観れなくなった。早送りを混ぜてたんだけどそれでも頓挫。マラソン途中で体力尽きたって感じ。
俺はたぶんベジータの影響
そういう設定で行くんだ