2017-12-11

うまく説明できないんだけど、俺は世界自分と他の人との関係を、ブドウの房みたいな形に思ってた。

世界ブドウの茎。俺はブドウの実。他の人は他のブドウの実。

俺は何よりもまず世界と繋がっていて、他の人とは世界を介して間接的に繋がっている。

他人と関わり合うということは、ブドウの実同士の間に、元は存在していなかった新しい枝を生やすようなもの

ぼんやりしたイメージから穴は色々あると思うけど、そんな感覚だった。

 

しかし、ある人の自叙伝的なものを読んでいて、その人の世界は「ブドウモデル」ではないのでは?ということに急に気づいた。

これは想像するしかいか自分イメージよりさらに覚束ないけれども、

その人にとっては他人自分の間にまず枝があって、それが複数他人と絡み合い、その総体として世界があるんじゃないかと思った。

いわば網目のような状態世界とはネットワークで形作られていて、自分世界を直接つなぐ枝などは存在しない。

 

そのことに気づいてから過去に話が合わなかった相手とのやり取りなどを思い出すと、この辺のとらえ方の差があったかもしれない。

俺は、他人理解するというのは、相手世界関係をよく観察して知ることだと思っていた。

でも「網目モデル」の見方だと、理解とは相手自分関係をより密にしていくことになるのだろうか。

俺は昔から一度ならず、「人間に興味を持て」「情が薄い」などと言われてきた。

そう言われるからにはそうなのだろうと思って、言動が冷たくならないように気を付けていたつもりだったが、

根本的なところで今でも俺は何も分かっていないのかもしれないと気付いてしまい、どうしたらいいかからなくて怖い。

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