うまく説明できないんだけど、俺は世界と自分と他の人との関係を、ブドウの房みたいな形に思ってた。
俺は何よりもまず世界と繋がっていて、他の人とは世界を介して間接的に繋がっている。
他人と関わり合うということは、ブドウの実同士の間に、元は存在していなかった新しい枝を生やすようなもの。
ぼんやりしたイメージだから穴は色々あると思うけど、そんな感覚だった。
しかし、ある人の自叙伝的なものを読んでいて、その人の世界は「ブドウモデル」ではないのでは?ということに急に気づいた。
これは想像するしかないから自分のイメージよりさらに覚束ないけれども、
その人にとっては他人と自分の間にまず枝があって、それが複数の他人と絡み合い、その総体として世界があるんじゃないかと思った。
いわば網目のような状態。世界とはネットワークで形作られていて、自分と世界を直接つなぐ枝などは存在しない。
そのことに気づいてから、過去に話が合わなかった相手とのやり取りなどを思い出すと、この辺のとらえ方の差があったかもしれない。
俺は、他人を理解するというのは、相手と世界の関係をよく観察して知ることだと思っていた。
でも「網目モデル」の見方だと、理解とは相手と自分の関係をより密にしていくことになるのだろうか。
俺は昔から一度ならず、「人間に興味を持て」「情が薄い」などと言われてきた。
🍇🐒ウキー