むしろ田舎だからこそ畜産が盛んだから獣医がいるんだ!って反論されてるけど
そういう問題なのか?
別に畜産が全然盛んじゃない上に臨床獣医の需要が低いところに獣医学部があったってなにがいかんのだろう。
21歳大学生女
就職活動は芳しくない。
(※1 なぜこんなみんなが感じているであろう当たり前のことを今更書くのかというと、驚いたことに世の中には「未来に希望を感じている」方が一定数存在するのだ。)
(※2 つらい時期だから人生もつらいのだ、というコメントがきそうなので対処しておくと、小学生時代からこのような考え方はあった)
働いて、お金を得て、
しかしそれを誰か・何かのために使うわけでもないし、その時間があるとも考えにくい
(もし完全週休二日制であれば)せいぜい土日が休みの場となるぐらいだろう。
何かのために生きているのかわからない。
母がいる。派遣で契約更新の年、もうそろそろ定年近いので雇用もされない。
その他諸々親族がいる。
もし自殺したら、その方々は「自殺したAの親族」という考えを背負わされるし、
家族は世間から「xxx(世間より勝手につけられた原因)で自殺したAの家の人」とみなされる。
これはなによりもつらいことだ。世間の目の面倒臭さを知っている。
これらがなければ私はとっくに自殺しているか、駅でダンボールの上に座り死ぬ時に死ぬ生活をしていたであろう。
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こういった人たちの存在は、考え方の一種のセーフティネットとなっているのはわかる。
こういった人たちの存在により「最低限の暮らしとやらをしなければならない」という意識の喚起(あるいは植え付け)により、
人並みには暮らせる用に努力する。結果として人並みの人生になる。
しかし、これが度を越す、あるいは達成できないとひたすらに苦しい。
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おそらくする。首吊りなどの急激な方法かもしれないし、緩やかに成功者のルートをはずれていく方法かもしれない。
中には「いずれ幸せになるから自殺してはいかんよ」という方がいるが
当方は、自殺してしまえば全てを感じることができなくなる、いわばテレビの電源をプツッと切った状態だと考えているため
今現在感じている苦はもちろん、この先感じるかもしれない苦しみのどちらも感じられないし、
そもそも幸せを望むことすらしなくなる。幸せを望む自分がいなくなるのだから、幸せに価値はないみたいな考え方になってしまう。
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このような状態で未来に希望を持てだの、子供を作れだの言われて、誰が、どうやって。
いわゆる上流と呼ばれているところと、下流と呼ばれている2つの世界を見てきた。
シャツは基本クリーニング、住居は一階にスペースがあるタワマン、お金を湯水のように扱える人がいる一方で、
スーパーの20%割引を待ち、お金を貯めるためにカップラーメンをすする人がいる(意外かもしれないがこういった体に悪い嗜好品のような食品の方が遥かに安いのだ)
そのため子供は作ろうとも思えない。
私の死により影響を受けてくれる人がいるなんて恵まれているというのもわかる。
経済的な諸々や、(例えお金を残せても)親しい個がもたらすものの大きさは十二分にわかっているため、死ぬべきではないという意見も理解できる。
だから理想を言えば、一家や周囲まとめて北朝鮮のミサイルとかで蒸発したい。あるいは安楽死でもいい。
みんな一気に死ねば、残していく人のことを考えてつらくなる必要もない。心安らかだ。
余談だけど、もし本当に死んでしまうと感じた際は、臓器提供意思表示カードや死後の手続き、保険金のあたりはしっかりと行いたいと思う。
ここに来ても何も書き込まずに立ち去ってしまう人いると思う。
どうしてかな。すごくもったいないよ。
誰でも参加できるんだ。
ためらわずにどんどん書き込んで欲しい。
本気でかかってきて欲しい。
働かないアリに意義がある
https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000001082_all.html
つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 かつを
いや邪魔したくなるってのは弄ぶことと大差ないよ