人のせいにして、結局楽な方に逃げているだけの人間のクズ・ニートです。
周りの友人は立派なのに、私は実家でのんびり暮らしてます。親孝行とは言いながら、ただ一緒に遊んでるだけ。どこが孝行なの?ですよね、すみません。
それでもこの先一緒にいられる時間なんてあまり残ってないし、ましてや旅行に行くなんて出来ないから…と言われると、胸が締め付けられるほど寂しいし、申し訳なく思ってしまいます。でも、そんなの要は楽だから一緒に遊んでるんでしょう。もう自分がクズすぎて、笑えてくる。平日、親と一緒に外に出かけるあまりのクズっぷりに、恥ずかしくなる。それと同時に、親に対してそう思ってしまう自分も恥ずかしくて、情けなくて。
理論が無いから単純に英語を学んでもそんなに得るものはないんだけど
異文化に触れることって凄く視野を広げるからいいと思うんだけどね
日本語では兄弟を区別するけど英語だとbrotherで一括りだったり
そういうとこをちゃんと中学とかで教えるべきだとは思う
私は自分のためのご飯を作れなかった。それでいつもお腹を空かせて泣いていた。けれども、人にご飯を求めることはしなかった。人からご飯を恵んでもらってしまったら、その味をしめて無尽蔵にご飯を要求してしまうであろうことが分かっていたからだ。だから、自分のためにご飯を作れるようにならねばと思っていた。
けれども、自分のためにご飯を作ることはとても難儀だった。ご飯は価値のある人間の食べ物であり、価値のない自分のためのご飯など作る気にもならないのが正直なところだった。お腹は空いたままだった。
そしてある日、私はついにひもじさに負けて乞食をしてしまった。自分では乞食をしたつもりはなかったが、とってしまった行動は乞食そのものだった。そうしたら、奇跡が起きた。私の口にご飯をくれる人が現れたのだ。そのご飯は、本当に私が食べたかったもので、とてもとても美味しかった。
私が真っ先に思ったのは、この人を喰いつくしてしまいたくないということだった。そのためにどうしたらいいか考えて、自分に約束をした。
この人のくれたご飯を大切にすること。毒が入ってないか疑ったりして無駄にしてしまわないこと。次にもご飯が来ることを信じて行儀よくそれを待つこと。これは今から振り返ってみると、本当に大切なことだったと思う。
この人が作ってくれるご飯はとても素晴らしいご飯で、私は元気が出て自分のためのご飯も少しずつ作れるようになっていった。今の私は価値のない人間ではないのだ。人がくれたご飯を持っているのだから。そういう自分のためならご飯を作るのは辛くなくなった。
この人はいつも、私が美味しそうにご飯を食べているのを見るのが幸せだと言ってくれている。だから私はこの人のご飯を大切に食べる。その姿がこの人にとってのご飯になるのなら、それ以上の幸いなどどこにもない。
私もこの人へのご飯を少しずつではあるが作っている。この人もまた、私のご飯を美味しそうに食べてくれるのだから、私は幸せだ。
なぜあんなにも価値がなくお腹を空かせたままでいた私にこのような奇跡が舞い降りたのか、散々考えたけれどもわからなかった。奇跡が起きたきっかけは乞食をしたことだけど、そうした乞食をしたところでこれほどの幸運に恵まれることなどまずないことだ。それは理由ではなく、きっかけでしかない。けれどもその理由については、さっぱり心当たりがなかった。だから、こう思うことにした。
週刊誌って、ゲスい記事とエロい記事しか載ってなくて何が面白いのかわからない。
30代まではそう思っていた。
30代を超えてわかってきた。
人間、脳が衰えてくると、ああいうわかりやすい勧善懲悪や性的消費に、安易に傾いていくのだ。
ネットイナゴだっておんなじだ。わかりやすいストーリーに乗っかりたいだけだ。
今は高貴な精神を誇っているオタクだって専門家だって、脳が劣化していけば、何も考えずにけしからんと言いたいだけになるのだ。
秋山木工では、1年間の「丁稚見習いコース」を終えると丁稚として正式採用される。入社した丁稚を待つのは過酷な修業の日々だ。
全寮制で、朝5時に起床して朝食を作り、近所を1.5km走る。
8時の朝礼で「職人心得30箇条」を全員で唱和して仕事が始まる。
丁稚の主な業務は荷物運びや工場の掃除だ。職人の手助けをしながら、
夕食後はレポート作成や自主練習に励み、23時にようやく就寝。
まーたやるべきことがやれなかった勉強もせずテキトウに過ごしてしまった三連休なのに
向上心がないのだ
向上心を持ちたいなとぼんやり思ってても適当に過ごしてしまうのだ
それが僕だ
でもそういう風に生きてきた
それで結局はなんとかなると心の奥底思ってるのがごう慢で
臆病で小心でそのくせ謙虚さのかけらもない
どこにたどり着くというのだろうこのままでどこに