私は自分のためのご飯を作れなかった。それでいつもお腹を空かせて泣いていた。けれども、人にご飯を求めることはしなかった。人からご飯を恵んでもらってしまったら、その味をしめて無尽蔵にご飯を要求してしまうであろうことが分かっていたからだ。だから、自分のためにご飯を作れるようにならねばと思っていた。
けれども、自分のためにご飯を作ることはとても難儀だった。ご飯は価値のある人間の食べ物であり、価値のない自分のためのご飯など作る気にもならないのが正直なところだった。お腹は空いたままだった。
そしてある日、私はついにひもじさに負けて乞食をしてしまった。自分では乞食をしたつもりはなかったが、とってしまった行動は乞食そのものだった。そうしたら、奇跡が起きた。私の口にご飯をくれる人が現れたのだ。そのご飯は、本当に私が食べたかったもので、とてもとても美味しかった。
私が真っ先に思ったのは、この人を喰いつくしてしまいたくないということだった。そのためにどうしたらいいか考えて、自分に約束をした。
この人のくれたご飯を大切にすること。毒が入ってないか疑ったりして無駄にしてしまわないこと。次にもご飯が来ることを信じて行儀よくそれを待つこと。これは今から振り返ってみると、本当に大切なことだったと思う。
この人が作ってくれるご飯はとても素晴らしいご飯で、私は元気が出て自分のためのご飯も少しずつ作れるようになっていった。今の私は価値のない人間ではないのだ。人がくれたご飯を持っているのだから。そういう自分のためならご飯を作るのは辛くなくなった。
この人はいつも、私が美味しそうにご飯を食べているのを見るのが幸せだと言ってくれている。だから私はこの人のご飯を大切に食べる。その姿がこの人にとってのご飯になるのなら、それ以上の幸いなどどこにもない。
私もこの人へのご飯を少しずつではあるが作っている。この人もまた、私のご飯を美味しそうに食べてくれるのだから、私は幸せだ。
なぜあんなにも価値がなくお腹を空かせたままでいた私にこのような奇跡が舞い降りたのか、散々考えたけれどもわからなかった。奇跡が起きたきっかけは乞食をしたことだけど、そうした乞食をしたところでこれほどの幸運に恵まれることなどまずないことだ。それは理由ではなく、きっかけでしかない。けれどもその理由については、さっぱり心当たりがなかった。だから、こう思うことにした。