はてなキーワード: 離人症とは
家族が嫌いだ。
たまに2chまとめに取り上げられるような、
親が犯罪者でタイーホされていたり、借金で一家離散してたり、そういう「壮絶」な家庭、では無い。
しかし自身が成人に近づくにつれて、家族に対する「違和感」というものが、実感を持って帯びていった。
父は、典型的な内弁慶だ。家族には高圧的、逆らえば激昂し壁などを蹴り自分の威厳を示さんとばかりに脅す。
一方で他人には、簡素簡潔な会話で済ませただ愛想笑いを浮かべている。自分の親兄弟相手でもそうだ。
父が他人と話しが弾んでいるのを見た記憶が無いし、そもそも話し合っている様子自体覚えが無い。
当然家に客人を招き入れたこともほとんどない。あっても上のような感じだ。
多分、人間が嫌いなんだと思う。
母は、考えない人だ。良く言えば天然、悪く言えばバカ。何でも鵜呑みにしてしまう。
他人にも愛想よく振りまくが、何を言ってるかわからなかったり、会話が成立しない事が多い。
父とはお見合い結婚だ。結婚するまで父の本性に気づけなかった。
父は最初はそこそこ給料の良い会社に勤めていたようだが、私が幼い頃、突然辞めた。
母は説得したが、父は「俺を殺す気か」と母を殺す勢いで捲くし立て、辞めた。
多分、パワハラとか受けてたのかなと今は思うけど、にしても言い方ってものがあると思う。
父も一応思うことあったのかわからないけど、資格を得てどうにかしようとしたようだが、結果上手くいかなかった。
母を怒鳴り散らす日々が続いた。
更に家計が厳しくなった。
にも関わらず、父は家を買うと言い出した。
このタイミングしかないと言い張った。多分世間への見栄だったんだと思う。
もちろん母と母方の祖母は反対したのだが、父は包丁を持って脅し、強行採決された。
母と祖母は号泣していた。私は小2くらいだったが、そのときのやりとりが鮮明に目に焼き付いている。
母は父が最初の会社を辞めてから仕事を探し、当時は懸命に働いていたようだ。母が独身時代貯めていた貯金も、祖母の年金も取り崩され頭金にされた。
ちなみに父は自分の親には頭を下げられないと遠まわしにいい祖父からは一銭も援助を求めなかった。これは今でもクズだと思う。
小4くらいの頃、急に学校に行くのが嫌になって、不登校になった。
そのときは自分でもよくわからなかったけど、単に人間が怖くなったってのもあるんだろうけど、
今思うと、一番は両親に抗議してたんじゃないかな。色々考え直してくれって。
実際、父の会社辞めた経緯とかはこのとき母から聞かされた。車の中で二人っきりのときとかに、母は父のグチを言いまくってた。
母はノイローゼだったんだろう。
知りたく無い事がどんどん耳に入ってくるしなんかそういう話の後はいつも滅入ってた。
不登校になって、父は学校行け!と私を無理やり引っ張ってケツを蹴り飛ばしたりとか、今の御時世では考えられないような扱いをしてた。
朝4時半とかに信者が迎えに来て出て行く。
まあ8時ごろには戻るからある意味健全だけど、あんまりにも朝早いから父はキレまくって迎えを追っ払ったりしてた。
先生がちょくちょく様子を見にきてくれてたけど、不登校から3ヶ月?くらいしたころ、クラスみんなの寄せ書きの入った色紙を持ってきてくれた。
私は病気になって休んでるって体だったらしいけど、今思うと、賢い子は察してただろうし、めんどくさいって思った子もいただろう。
私はどっちかというと母親寄りのバカだったから、そのときはそんな邪推なんてなくてえらく感動して、同時にみんなに嘘ついてる状態に申し訳なくなって、また行くことに決めた。
そしたら、とりあえず家族は喜んでたが、母の一言に私は愕然とした。
「私が祈りはじめたから、○○は登校するようになった」
この人何言ってるんだろう?私は、クラスのみんなの支えで、行くことに決めたんだけどなあ。
でも、そういうこともあるのかなあ。とか思ってしまったりしてた。
もともとこの前から頭がぼーっとなってたけど、もうなんかますます頭がぼーっとなってた。もう意味わからなくなった。
RPGが好きだった。クロノトリガー、ドラクエ5、6、FF7、8、9、、、あのときは本当にその世界にいた。幸せだった。
中学校はずっとゲームだった。ゲームに夢中すぎて回りの友人等の扱いもぞんざいだったと思う。
いわゆる自己中と化した。
母は、大分前から専業主婦になっていたが、金が無い金が無いとか言いながら家事もあまりしなくなって、私がリビングでプレイするFF7のフィールド曲を子守唄に寝てた。
父は二つ目の会社が本社に引き上げとなり、転職したが、人と関わらなくてすむ夜勤中心になってた
朝やっても午前中で帰ってくるから、母が嫌がってた。
仕事の内容は全然話さないからよくわからなかったけど、責任が少ないプレッシャーにならない仕事を選んだんだろうなと思う。
高校に入った。とりあえず進学校に入れた。でも、文武両道は名目の武ばっかりの体育会系高校だった。
マジでゲームしかしてなかったから、案の定クラスのノリとか話題についていけなくなった。
でも不登校だけはもうしたくなかった。部活をやってみたけど人間関係が上手く行かなかったりして、ぐったりしていた。
この変で家族に思いをぶちまけるようになった。この家には愛が足りないとかクサいこと言ってた。家族みんなに鼻で笑われた。
今で言う離人症っていうのかな。自分を自分がみてるっていうか、自分から自分が半分出てる、浮いてるみたいな感覚が続いていた。
文字が頭に入ってこなくて、同じページを何十回も読み返したりとかあった。
このままじゃ駄目だと思った。「環境」を変えないと行けないと思った。上京しよう、と思った。
一生懸命勉強して、なんとか関東の大学に入った。入学金は父方の祖父に、授業料は祖母に出してもらった。生活費は奨学金を借りた。
一人暮らしを始めた。みんな親のありがたみがわかるとか言うけど、私は逆だった。
私はバイトしながら、勉強しながら、なんとか家事やってるのに、なんで母は専業で寝てばっかだったんだろうとか、
父もなんであんなに変な働き方なんだろう、もっとやれるじゃないかとか、両親とも人と交流してないのっておかしくないかとかむしろ疑問ばかり吹き上がった。
友人の家庭環境の話を聞くと、驚くほど違っていた。父親は一生懸命働いていて、みんなで出かけたり、今日あったことを話し合ったり、、、
私は壮絶な家庭ではないけども、やっぱり、振る舞いとか、思いやりとか、常識とか、そういうことが欠落した家庭だったんだっていう実感が湧いてきた。
うちの地元はなんとなく人が良いってイメージがあって、家族団欒なんでしょとか、近所みんなで助け合うんでしょとか言われて、正直かなり苦痛だった。
自分の話をする気にはならなかった。
しかしながら、そういうステレオタイプはあるものの、大学で出会った友人達は、みんな私から見れば高い教養と常識を持った人達だった。
私は彼らにえらく迷惑をかけたと思う。根本的に常識が欠落していた。
なんとか参考にしようとして、真人間になろうと思って、いっぱい気を使った。、
またぼーっとしたりもしてたけどなんとか頑張って、無事卒業し就職できた。
就職して3年目。とにかく人の役に立つ、真っ当な人間であろうと努めてきた。
幸い職場も素晴らしい人格の方々に恵まれ、少しずつ、そうなっていけてると思っている。
しかしみんな素晴らしすぎて、自分の生まれ育った環境と比較してしまい、時折憂鬱になる。
ステレオタイプな質問が来るたび、「あなたがたのほうが、格段に幸せな家族をもっている」と言い返したくなる。
私の親は、私は、あなたたちのような、人を慮る、という事の出来る域にいない。
そういう人達は、自分のルーツに自信があるから、自分が好きだし、他人も好きになれる。それが人を愛するってことのようだ。
私には根本的にそれが不足しているから、誰かと付き合っても、自分を曝け出せないし、
真っ当に振舞おうとする余り、サプライズとかプレゼントとか色々考えすぎて無理してしまう。
そろそろ、誰かと付き合うにも結婚を有る程度念頭に置いたものになってくる。
でも、はっきり言って親を紹介なんて出来ない。ありえない。
親のせいにするなと言ってきた人もいる。でも違う。親のせいにしないために、独り立ちし、今までやってきた。
親に感謝がないわけじゃない。育ててもらったとは思わないけど、食べさせてもらった恩はある。
実際、父は直接の暴力だけは絶対振るわなかったし、母親も、その素直な性格のためにたくさん心配して、振り回されて、その中で無理していたと思う。
二人とも、無理をしたから無理できない人達になってしまったのかもしれないとも思う。
私が何か子として手助けできていれば、また違ったのかなとも思う。
ではこれから手助けしていけばいいのでは、と思ったこともあるが、
少なくとも今は、私はたくさん傷つけられた部分を無視して、その人達と接するという事が、正直言って出来ない。
しかし、先の理屈で言えば、それが出来ないと、自分を愛する事が出来ないし、他人も愛せない。
私が一番望んでいる、目指している、真っ当な人間になる事ができない。
どうすれば、いいんだろう。
シャナは「シャナ」という名前を悠二からつけられる。この命名はかなり一方的なようにも見える。しかし、命名というのは本質的に一方的で暴力的なものなのではないだろうか。それは、命名という行為が自分自身によらない、少なくとも命名を引き起こす原因が自分自身によらず、他者によってなされるということから明らかなように思われる。事実ほとんどの人は自分の親から一方的に名前を決められる。
ところが、この、他者から一方的に、暴力的に決められたはずの名前が、しばしばアイデンティティーの基点、「自分が自分であるという同一性」の基点となる。
『とらドラ!』についてのメモで、インコちゃんが自分の名前を言えないのは、主人公たちが自分のアイデンティティーを持っていない状態であることの寓意であるという解釈を以前示しておいた。また、『灰羽連盟』においては、名前がより具体的意味合いを持って象徴的に描かれており、自分の真の名前(あるいは自分の名前の真の意味)を知る(あるいは獲得する)ことが自分の本質を知る(獲得する)ことと同義とされていた。
これらは物語の例だが、実際に名前がこのようなアイデンティティーと密接な関係がなければ、われわれがこれらの物語にリアリティを感じることはできないだろうし、実際多くの物語が名前を象徴的に扱っているのは、われわれの無意識が名前がどのような機能を果たす記号なのかを実は知っているということの証左ではないだろうか。
しかし、ここで疑問が生じないだろうか。物語の主人公たちは、元々名前を持っていたのではないだろうか。特殊な設定でもなければ、ほとんどの人物たちは最初から名前を持っている。それなのに、その名前が物語の序盤ではアイデンティティーの基点になっていない場合が多いのである。シャナはその特殊な「最初は名前がなかった」という例だが、命名されてすぐにアイデンティティーが確立できたのかといえば、まったくそんなことはない。
ここで僕が提示する答えは、名前は確かにアイデンティティーの基点なのだが、時間の経過に伴う経験の蓄積を通して、意味を充填されることで初めてその機能を果たす、というものである。つまりシャナでたとえて言えば、命名された時点t1における「シャナ」と、その後の経験を蓄積した時点t2における「シャナ」では、その意味する「シャナ」の内実が違うのである。
ところが、内実が違うのに同じ「シャナ」である、というところが名前というものの核心である(多分)。過去の自分と現在の自分は本当は違う存在のはずである。なぜなら、過去の自分の経験と現在の自分の経験は違うからである。肉体的にも我々は年を重ねて少しずつ変化を遂げているのであって、「同じ」であり続けることはない。にもかかわらず、われわれが自分が自分である同一性を失わないのはなぜか。名前を持つからである。正確には、他者に呼ばれる名前を、であろうか。一つの「他者から呼ばれる名前」が、過去の自分と現在と自分を統一的に(この統一的にという部分に注意されたい。離人症患者などではこの統一性は失われる)つなぎ合わせることによって、アイデンティティーを確立することができるということである。
シャナがかけがえのない個人「シャナ」として確立されるのは、大雑把に言えば悠二から「シャナ」と呼ばれることの連続性によっている。思えば、『とらドラ!』においても、大河との関係を徐々に深め始めた竜二が「大河!」と大河の名前を叫び、「俺は犬じゃない、竜だ!」と宣言し、大河がその名指しに反応するという場面があるのだが、これもある視点を持つ他者から名前を呼ばれる、ということがアイデンティティー確立の物語へのスタートになっている。さらにスタートだけでなく、物語の途中も、終結も、すべて名前を呼びかける他者を基点として展開する。
シャナにおいては、「シャナ」という固有名の確立を際立たせる展開として、平井ゆかりでもフレイムヘイズでもない名前、という対比がなされる。平井ゆかりというのはシャナが人間世界で暮らすための偽名であり、日常の人間関係に重点のあるミクロな価値を象徴する名前である。それに対してフレイムヘイズは世界のバランスを保つという彼女の社会的使命に重点を置いたマクロな価値を象徴する名前である。第一期の終盤、彼女はマクロな価値のためにフレイムヘイズとして悠二を殺すべきか、ミクロな価値のために平井ゆかりとして悠二を助けるべきかという選択を迫られる。しかし彼女はシャナとして世界も悠二も救うという選択をする。これは悠二と経験したのがマクロな世界での戦いとミクロな世界での日常の両方においてであったことと関係しているだろう。シャナにとって、マクロとミクロは矛盾しない。なぜならマクロにおいてもミクロにおいても、シャナは悠二からシャナと呼ばれ続けたからである。
他者からの呼びかけによって、一つの名前に時間とともに意味を充填していくこと、それによってアイデンティティーは得られる。それは物語というものの本質でもあるかもしれない。
離人症って言葉に聞き覚えが会って、ちょっと Wikipedia で見てみると、解離性障害 っていう項目に纏まってた。
僕はいままで、会社をクビになったことが2回ほどあるんだけれど、あの時は離人症だった。社長と狭い部屋に2人で座っていたのに、100m くらい離れていたような気がしたし、なんというか、人生のつらいことが全て連なって起こっていて、泣きたい気分だったのに、全く泣けなかった。逆に現実感覚が戻った時はゲームをしてるような気になって、すごい元気になってた。エレベータで乗り合わせた人に、今クビになってさ、とか言って話しかけたりして。その夜には全く逆にはち切れましたが。
解離性けいれんも経験がある。意識はあるし、その時に一緒にいた人に一生懸命説明してるの。いま自分がどうなっているか。だけど身体は全く言うことを聞かず、痙攣し続けて、最後は呼吸困難で瞬間意識を失ったような気がする。
その手の急性のストレス時に起こるだけで、繰り返し起こったりはしてないから、まぁいいのかな。
健忘とはすこし違うんだけれど、時間の感覚は今に至るまでまだ、すこしおかしい。これまでに起こったことが、リニアに起こったこととは感覚的には全く思えない。よーくよーく憶いだそうとがんばると、そういえば、そうかも知れないぐらいな。理論的に矛盾しててもこの並び順の方が自然だな、とか。日記はつけてるんだけれどね。でも、もう病院に行く程酷くないし、むしろカウンセラーとかにあの頃のことを説明することを想像する方が、心的に苦痛。
http://anond.hatelabo.jp/20080530165522
リアルで女と別れて、次の出会いを探す気もなく、Yahoo!パートナーで女性捜しを始めた三十路・オタク・非モテの僕の体験記。
5月29日から始めて、ちょうど2週間経ったことになる。シリーズ第五弾の中間報告。
Yahoo!パートナーhttp://partner.yahoo.co.jp/の特徴としては、
ということか。
僕のスペックと、この2週間の成果は以下の通り。
年収はまあそれなりで、"太め"というマイナス面も晒しながら打率2割は上々というところ。分かりやすい趣味を前面に出したんで、相手も取っつきやすかったか。
ただ、返信のあった14人のうち、3人は相手が途中で返信を寄越さなくなった(寂しいけど、そういうのもよくあるらしい)ので削除。また、他の3人は、本名と住所と会社名を先に晒せとか、早く会いたいとか書かれて僕の方が距離を感じたりんでこっちも削除。何らかの形でやりとりしているのは8人です。
で、♂から見てどんな女性がいるのかというのが今日の話。増田にも、三十路の♂のみならず、女増田の方なんかもいらっしゃるんで、まあご参考程度に。
やっぱり、リアルの世界と同様、ややこしいのは、♂からのアプローチが急速に減ってくる33歳から38歳の♀。周囲が家庭に入っていったことで、誰かパートナーが欲しいと思っているような層。本人も危機感はあるようだけど、子どもができるかどうかギリギリの年齢という印象もある。プロフを見ている限りなんとなく魅力的に感じるんですが、♂からの反応は少なそう。あってもバツイチ♂とかスペック難な♂とか。それはリアルの世界やお見合いと同じ。現金なものです。
正直言うと、ちょっとメンヘラーっぽい、離人症的な人も少なくない。三十路を過ぎても、そもそも男とどう距離をとればいいのか分からないのかな。僕もその傾向はある。あと、プロフで堂々と周囲が結婚して寂しいとかを露骨に書く。自分もそうだけど、結婚という社会的制度から離れて生きていたけど、三十路半ばになるとそうもいかないと改めて気付かされる。焦りはある。でも、今さら友達や見合い業者に探してもらうのも抵抗感が。だから、こういう出会い系サイト……なんだけど、顔が見えない相手とはリスクが多すぎる。
非モテだなんだと増田で語られる男女はそれなりにいますが、やっぱり三十路半ばを過ぎると、そう潔いことも言ってられないという現実に直面する。必死なところはありますね。
最初はヤケクソだったけど、まあそれなりにいろんな女性とやりとりできて楽しかった。トップページにアクセスすると「好みのタイプ。メールが来ました」と表示が出るんです。それを見るとなんだか年甲斐もなくトキメキを感じる。人生初のモテ期に突入したような勘違いもたまには起こしています。
ただ、そこには何か見えない壁があるような。直接顔をあわせない、ネット上でのやりとりは難しいものです。
明日は、そのうちの1人と直接会うことにしました。また、日を改めて報告すると思います。