どうなんでしょうね
アイデンティティを無くした少女が未知の世界を旅する話はもう出来ない。
主人公を記憶喪失にしようが登場人物をまるごと変えようがもう無理だ。
何故なら視聴者にとってジャパリパークが未知の世界ではなくなったから。
だからもうけものフレンズであの話は出来ない、少なくとも前ほど効果的には。
そして別のテーマでけものフレンズをやっても見てる側は前ほど盛り上がらないだろう。
1期の期待値に対する内容とのギャップによる効果が今回は期待できないのもある。
もっと大きく影響するのは視聴者が求めるけものフレンズ像が一期の繰り返しだからだ。
でもそれはもうどこにも存在しない。
それなのに視聴者は、あの時と同種の感動を求める。
間違いなく二期の評価は落ちる。
確実だ。
そんな中でたつきにけものフレンズの監督をやって欲しいのかと改めて問いたい。
これは票の別れる所だろう。
たとえ一期と同じような感動を得られなくても一期の続きが見たい気持ちは自分にもある。
同時に「たつきのけものフレンズ」というハードルを心の中に置いた状態でけものフレンズ二期を見たくない気持ちもある。
たつきがけものフレンズ二期でも監督をやるのがベストであると決めつけるのは簡単ではないように思える。
前作がうまく行ってるのなら同じ監督が続投するのは間違いなくベターより上だ。
マイナスにはならない。
だが、けものフレンズの状況はだいぶ繊細だ。
そもそもけものフレンズが上手く行った裏には独自の制作手法が存在する。
その方式を二期でも使うのが正解なのかどうかは確実に課題となるだろう。
たとえば、最終話において一部のキャラクターが動きを止めてしまったのを見るに、あの方法はかなりギリギリだ。
そして二期に求められるハードルは、そのような作りの甘さを果たして許容できるのか未知数だ。
制作方法を変更しもっとリッチな体制を作れるようにすることで作品が良くなるのならば、それは視聴者側としては十分アリだ。
とはいえ、自分が求めているのは面白い作品だからこう言えるのだろう。
面白いかつまらないかよりもたつきのけものフレンズであることが重要な人もいるだろう。
それは声優オタクが特定の声優が出るか出ないかを視聴基準にするかのように。
そこを否定はしない。
だが、ある人にとってベストとなる選択肢があるという事は、他の人間がそれぞれにとってのベストを考察することまでは否定しないはずだ。
だから私は考える。
コンデナスト・ジャパンが発行する雑誌『WIRED』日本版は、2017年12月9日発行のVOL.30を最後に、刊行を休止いたします。読者の皆さま、定期購読者の皆さまへ、編集長・若林恵から休刊と退任のご案内です。
──『WIRED』日本版のプリント版はどうなるのでしょうか?
少なくとも2018年3月発売号は刊行いたしません。その時点で定期購読も終了し、定期購読いただいている読者の皆さまにはは返金させていただきます。現時点では、プリント版の継続については白紙となっています。
──なぜ休刊するのでしょうか。
──退任されるんですね!なぜ編集長の交代ではなく、休刊なのでしょうか?
ぼくが短気を起こしました。
──短気を起こして編集長を辞めるなんて……。
ぼくは子どものころから癇癪(かんしゃく)もちで、40歳を超えたあたりから、その沸点がどんどん低くなってきて。とはいっても、クオリティについて真剣に考えると怒らないわけにはいかない。相手が誰であれ。そうしたら、なぜか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るようになりました(笑)。
この間「おっさんの話」というテーマでウェブの記事に書いたんですが、あの半分は自分の話です(笑)。
──いきなり休刊とは、急な話ですね。
外資の会社ですから、契約が切れる5営業日前に通達があって、休刊が決まりました。とはいえ、プリント版の一時休止と定期購読の停止については、なるべく早く読者の皆さんにアナウンスしなければならないので、急いでこの原稿を作ることになったんです。「最後のおつとめ」ですね。
【一周した感じ】
──最終号はちょうど30号できりがいいように感じますね。
ぼくが編集長として携わったのは、30号のうち実質28号分ですね。結果としては良い区切りだったのかもしれません。最後の特集は「アイデンティティ」で、自分の役目はおしまいです。特にこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体として存在するというよりは、「一連の流れ」のようになっていて、どんどん深みにハマっている感じはありましたし、途中からは『WIRED』のテーマであるはずのテクノロジーの話題ですらなくなってきていましたし(苦笑)。
──確かに「アイデンティティ」という特集はデッドエンドのような趣があります。
そう設計したというよりは、どんぶらこと流れに乗っていたら流れ着いてしまったという感じなんですけどね。
──次号以降の特集のラインアップなどは既に決まっていたんですか?
もちろんやりたいことはいっぱいありました。次号は「発注」というテーマでやろうとしていましたし、その後は「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」というテーマのプロットはしていました。あと、2017年に「アフリカ」特集でやったようなことを、コーカサス地方に置き換えてやれないかな、と。
──突然「コーカサス」ですか?
他にはアルメニアやジョージア、アゼルバイジャンなどですね。テクノロジー面でも進んでいると聞きますし、地政学的にも面白いエリアだから、取り上げたいと思っていました。
──雑誌としては売れ行きがよくなさそうな特集ですね(苦笑)。
そうですか? 定期購読も順調に増えてきていましたし、広告もうまく回り始めて、全体としてビジネスそのものはかなり好調になっていたんです。
2017年から本格的に始めた旅のプログラム「WIRED Real World」というものがあるんですが、これは本当に面白いんですよ。参加してくれるお客さまも面白い。お客さま同士で新たなプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事をいただくようになったり。かなりグルーヴ感がありました。それをちゃんと育て上げられずに終わるのは、残念といえば残念です。そういう面白い人たちと一緒にコーカサスに行ったらきっと面白くなると思っていたんですけどね。とはいえコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思っています。
はい。どの事業もお客さまは本当に面白い方ばかりでした。そういう方々のために、結構苦労してノウハウを積み重ねて、やっとビジネスとしても芽が出るところでしたね。毎年秋に実施していた「WIREDカンファレンス」も、年々企画の精度が上がっていて、自分で言うのもなんですが、2017年は驚くくらい面白い内容にできたんです。
──ただ、いわゆる「テックイノベーション」からは外れている感じですよね。
周りからは唐突に見えたかもしれませんね。そうはいっても、「注目のスタートアップ情報」などを最初から重点的に掲載してきたわけではありません。「死」「ことば」などの切り口は継続して存在していましたし。
──そうですね。
その上、ある時期から「スタートアップわっしょい!」のような気分も収束し始めて、面白い話も大して出てこなくなってきていたと思います。シリコンバレーはトランプ米大統領の就任以降、完全に逆風を受けてしまっているし、AIや自律走行車などの話も、いよいよ実装の段階になってくると、完全に政治と法律の話になってしまうので。
──それで飽きてしまったということでしょうか?
そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしているということだと思います。おそらく『WIRED』の発行元であるアメリカのコンデナストを見てみても、時代のフロントラインにいるのは『Teen Vogue』なんですよね。LGBTQメディア『them.』がローンチされたり、『Vogue』が『VICE』と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ」特集でも紹介した『Refinery29』のようなファッション・カルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になり始めているという、面白い状況にあります。
──なるほど。
デジタルイノベーションやデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきた中で、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどう作っていくのか、という話じゃないかと。そういう意味でいうと、結局いま面白いのってインディーズのブランド、ミュージシャンやクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするわけです。技術がどうこうという話だけではどこにも行かない、という感じが、もうここ3年くらいずっとありますね。
──AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、だいぶ前から要件は出揃っていて、それではそこからどうするのか?という感じでしょうか。
そう思いませんか?
──何かが一周した感じはあります。
2017年は、SXSWでTwitterが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目です。その間、いろいろな期待、それこそアラブの春や、日本でも東日本大震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけですが、そう簡単に世界は変わりません。むしろ、新しい困難が出てきてしまった。しかもそれは、テックでは解決できない困難だということも明らかになってきています。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきているから、哲学やアート、ファッション、音楽、文学などは、いまの時代本当に大事だと思うんです。
──『WIRED』では「テクノロジーだ」「未来だ」と取り上げていませんでしたか?
でも、そう言ってきたのと同じ分、「テクノロジー」という言葉も「未来」という言葉も好きじゃないということも言ってきたつもりです。「未来」というコンセプト自体が、いかに20世紀的なものか、ということについてもずいぶん語ってきました。
──それは冗談だと受け止められていたんじゃないでしょうか?
変な言い方になりますが、「未来」というもの捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない。それが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずだったんです。
──お疲れ様でした。
お蔭でこんなに……。骨と皮みたいになっちゃって。
会うと二言目にはソシャゲの話しかしない、学生時代ヒエラルキー下層民だらけのうちの会社と大して変わんなく見える
しかし、考えてみると意外とヒエラルキー最上位層は汎用性の高いトーク力を持っていないのではないだろうか
かつて日本一面白い芸人だったダウンタウン松っちゃんも、学生時代はそれほど目立つタイプではなかったそうな
芸人とか、メディアでトーク力を売ってる人で、学生時代から面白くてクラスの人気者だったという奴は少ない
合気道の世界では、達人になるほど自分の力を使わず、向かってくる敵の力を利用してコントロールするという
ヒエラルキー最上位層は実はトークにおいて似たようコツを無意識に身につけているのではないか
彼らは相手のトークをいなして場をコントロールする技術において優れており、自身のトーク力をそれほど発達させる必要性がないのではないか
ノンカロリーコーラとかも、「ぜんぜん味が違う、不味すぎる」と言ってた友人に最新のやつを飲み比べさせたら、「ほとんど分からなくなってる…」ってビビってたからな。
ひもじい。空腹だ。
・熊本支援方言プロジェクト|福岡女学院大学・福岡女学院大学短期大学部