はてなキーワード: 根津とは
旦那への要求が高くて、で、妻になる貴女は何を提供できるの?って感じ
の答えとして、女が「ダンナを抱きしめたり体を撫で回したり話を聞いてやったりしてあげる。それが対価だ」と言ったらOKなんだよね?
いや、別に私は嫁にそういう事は求めていない。
私の嫁も、なんというかあまり高みを目指してないというか、客観的にみて要求も高くないと思われる(少なくとも夫の私観点からみると高くない)
嫁はananとかcancanというよりはフェリシモとかku:nel、ソトコトな感じ。
『要求に対する対価』だと思うんだけどどうかな?
私が、
で、妻になる貴女は何を提供できるの?って感じ
と書いたのは『妻の要求は分かった、その高い要求に見合う対価は?』ということなんだけど。
逆に旦那が高い要求を求める場合は妻はそれに対して『見返りは?』と言っていいと私は思うよ。これも当たり前だけどね。
で、今の状況を作り出しているのは
国民生活白書 女性は結婚相手に対して経済力を重視している 注目すべきことは、女性においては、これらに加えて相手の「学歴」、「職業」及び「経済力」について、 重視又は考慮すると回答した割合が高い点である。 学歴がある程度職業選択に結び付き、また職業に応じた所得格差が存在することを踏まえると、 後で見るように、結婚生活においては夫が家計収入を稼ぐべきという意識を女性は持っていると言うことができる。 一方、男性が女性よりも重視する又は考慮すると回答した割合が高い条件は、相手の容姿のみである。 こうしたことから、女性が結婚相手に求めようとする条件は多岐にわたっており、 特に男性と比べて経済力に関心が高いことが分かる。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html
と、『女性が男性に多くを求めている』ということに原因がある、と私は思っているのです。
その『高望みをする未婚女性』は対価として男性になにを与えられるの?という話。
フェミニズムは女性の権利を要求する運動だけれど、そのベクトルが実際には男女のカップリングの邪魔をしてるんじゃないかな。
但し、この状況は変わりつつある、別の話になるけど、30歳以下の若い女性は必ずしも完成した男性を求めていない、
- 1994年3月、八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を降ろして、減給処分。
- 1995年3月、八王子市立石川中学校の学級通信で国旗掲揚を非難したため、訓告処分。
- 1999年3月、八王子市立石川中学校の家庭科の授業で、国旗及び国歌に関する法律はオウム真理教のマインドコントロールと同じであるというプリントを配布し、校長の学校運営を批判したことにより、訓告処分。(この処分に対しては、2001年に「教育行政の教育現場への不当介入」として訴訟を起こすが、2004年5月に敗訴)
- 2000年2月、多摩市立多摩中学校の家庭科の授業で従軍慰安婦やジェンダーフリーをテーマに授業を行い、校長の職務命令に従わなかったため、減給処分。(この処分を不服とし、2004年に訴訟を起こすが一審二審共に敗訴している。)
- 2003年3月、調布市立調布中学校に異動。通勤時間が往復で4時間かかる勤務地への配属は不当として、2004年に訴訟を起こす。
- 2005年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給10%・6ヶ月。
- 2005年4月、立川市立立川第二中学校の入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職1ヶ月・ボーナス0。
- 2005年12月、大阪市の『すわって示そう戦争反対!12・23』で講演
- 2006年3月、立川市立立川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職3か月。(この処分を不服として訴訟を起こすが、2009年3月に棄却される)
- 2006年4月、『4.25改憲と共謀罪に反対する集い』で講演
- 2006年12月、多田謡子反権力人権賞を受賞。
- 2007年3月、町田市立鶴川第二中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、停職6ヶ月。
- 2008年3月、東京都立南大沢学園養護学校の卒業式で国歌斉唱を拒否したことにより、停職6ヶ月。
- 2008年4月、東京都立あきる野学園に異動。
- 2009年3月、東京都立あきる野学園の卒業式で、君が代不起立により停職3ヶ月。
キチガイすぎるだろこいつ。
こんなのがクビにならない事が逆に怖いわ。
http://anond.hatelabo.jp/20110202035306
元増田が「論理操作能力」という造語で表現しているものは、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力のごった煮ではないか。
(あ、俺も東大、理Ⅰから工学部→修士。だから何って話だけど、ぶっちゃけルオーのカレー大好きです^^でもいつもは根津吉野家です><;ぐらいの意味しかない。元増田個人に対する挨拶だから他の人は流してくれ、すまん。)
話を戻す。
元増田は、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力の区別が付いておらず、それ故にストレスを感じてるのだと思う。
まず(A)(B)の共通点から行こう。
この2つは、先天的でも遺伝的でもない。だが早期からの訓練によって、スピードと正確さを磨くことができる。
どちらも、既知のパターンに当てはめて理解し、それを自分流に応用するものなんだ。こう書くと抽象的だけど、スポーツの練習と何も変わらない。違うわけないんだよね。脳は誰でもそういう風にできているんだから。要は訓練。
最近では、おおよそのレベルは大学に入る前に決まる(大学入ってから死ぬほど努力する人が減った所為かもしれないし、早期訓練のメソッドが発達しただめかもしれない)。
じゃあなぜ、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力を、区別する必要があるのか?
ここで大事なのは、(A)と(B)は結局のところ相反する、という事。
両方に優れた人はほとんどいない。学者でもどちらか片方に偏る。
(A)成分多めな人を論理屋、(B)成分多めな人を修辞屋、と呼ばせてくれ。
誰も気付かなかった事を発見するのは、(A)論理的思考能力の高い人、論理屋。
論理屋は、無数の要素を網羅的に検証し、それらを因果関係で繋ぎ、論理で構築しなおす。この人たちは最良の解を求める事を優先するので、自分に都合の悪い事も認めてしまう。苦しんだ末に、最良の解に辿り着けない場合もある。だから、ディベートではあまりパッとしない。昔は学者と言えばこの論理屋が多かった。
逆に、ディベートで強いのは口がうまく(B)修辞能力に強い人、修辞屋。
状況に応じた方法論が必要だと思ってる、状況志向。
修辞屋は、必ずしも高い論理的思考能力があるわけではなく、自分に都合の良い構造に周りを嵌め込む能力に優れている。無数の要素の中から自分にとって重要な要素だけを効率よく抜き出し、それを既知の修辞に代入して、相手が反論できない方向に持っていくんだ。修辞屋は、最良の解とか考えてない場合も多い。政治家や芸能人にこちらの能力が要求されるのはもちろんだが、実は最近学者でもこの修辞屋が増えてきている(ビジネス社会が云々言ってる増田はいつの時代と戦ってるんだ?学界でも変わらんぞ)。
俺の見る所、おそらく元増田は(A)論理的思考能力に優れている、論理屋だ。
なのに、(B)修辞能力が足りないために、ディベートでは修辞屋に負けてしまう。不条理だよね。でも、だからって元増田の(A)論理的思考能力を否定する事はない。
元増田は一般の人に理解できるような論文は書けないかもしれない。でも、誰も気付かなかった事や、普遍的に最良の解を導く事は、君しかできないかもしれないよ。
だから長い目で見て頑張れ。あと、自分の土俵に篭るにしたって、少しは(B)も身につけろ。今からでも効率は悪いが訓練可能だ。
ちなみに俺は、見ての通りの修辞屋だ。器用貧乏って言うな畜生。元増田も俺も、東大卒だってほとんどは、こうやってコンプレックス抱えて生きてる人間なんだぜ。
神田駅でSuicaをフルチャージし、西口商店街の松屋に入る。
店内で手を洗ったり、二十秒ほどトイレに行ったりしていたら、いつのまにかうとうととカレギュウを注文してしまった。
席について、食券を机に置く。
店員観察にも飽きて、壁の広告を黙読。ひとしきりセール情報を学ぶ。
退屈しのぎに牛丼の価格変遷を思い返すが難しすぎる。店員の雑談で中国語の勉強。
舌にヒリヒリくる感じが実に心地良い。
注文を思い出して、簡単な暗算をする。
ちょっと手持ち無沙汰になって、また壁の広告を黙読。
カレギュウが来た。
吉野家ではこうはいかない。
それだけで株価が高いのではないかとさえ思う。
頼んでもいないのに味噌汁が出る。
カレギュウを書き込んでから、生野菜を食べ、また味噌汁を飲む。
ひとしきり食べてから、思った。
こいつは最高の朝食だ。
ありとあらゆる食材が、ここにある。
カレーが、肉が、生野菜が、そして味噌汁が、もう松屋専用に作り込まれている。
カレギュウを食べてから牛丼を食べると、実に窮屈で無理矢理な印象を受ける。
漬物がなくて、甘くもない。
ほんの数か月前までは牛丼が駄目だなんて考えもしなかった。
だが、カレギュウを一度でも食せば、誰もが僕と同じ感想を抱くだろう。
つまり「こっちが本物」なのだということを。
むしろ牛丼は、カレギュウが登場するための伏線に過ぎなかったのではないか。
たぐい稀なる完成度を誇る実験食。真打はむしろカレギュウで、その前には牛丼はもちろん、全ての牛丼もどきが色褪せて見える。
コーイチはそう言っていた。
ホラーが一流の大衆娯楽として昇華し、世界中の人々のイマジネーションに強い影響を与え、それ以後のホラー漫画は、どこか漂流教室のようだった。
そして、カレギュウは、すべての食事におけるそれだ。
カレギュウ以後、わずか数年で僕の食生活はカレギュウとカレギュウ的なもので埋め尽くされるだろう。
グッバイ・牛丼
カレギュウの具材にはまだ肉が必要だ。
けれどもそういう時代もすぐに終わるだろう。
おそらく大多数の人にとって、カレーで事足りるのだ。
カレギュウ以外のメニューを必要とするのは一部のプロだけになり、そういう食事さえもいずれはカレギュウ的なものにとって変わられるだろう。
松屋のカレーがでたとき、あんなメニューじゃ満足できないという人がいた。
しかし実際には満足出来てしまった。
一方、もうやってしまったのが一流のすき家である。
そしてカレギュウはすべての牛丼屋にそうしたいと思わせるのに十分な魅力を持っている。
新しい時代がここからはじまるのだ。
三鷹かな。
ひとりぐらしだと、家賃の相場は6??7万。
ただし駅から3Kmぐらい南に離れると調布と三鷹のアクセス不便エリアで格安の物件がいくつもある。
南側は大学とかいくつかの高校と幹線道路があってのどかな感じ。基本農地。
商業地区は市内でも5%ぐらいしかない。駅前までぎっしり住宅地。
スーパーなどは多いし23時ぐらいまでやっているので暮らす分には不便はない。
大きな買い物は隣の吉祥寺へどうぞ。
駅ひとつぶんだが三鷹駅からはそれほど離れていないのでお散歩がてら歩いたりもする。
23区と違って自治体としての裁量も予算もあるので高い行政サービスがある。
住民の民度も高く治安も住み心地もいいが、最近いままできかなかったような事件を聞くようにもなった。
しかし三鷹始発の各駅停車にのっても21分なので座れる総武線をお勧めする。
別の増田は東西線通勤は地獄だとかいうけれど、始発から座っていけば何の問題もない。
ただ、日本橋はちょっと遠いかもしれない。大阪の日本橋ならなお遠い。
東京の東がわの方が家賃もやすくてひとりものが住むにはいいかもしれない。
根津とかどうだい?
http://blog.livedoor.jp/takahashikamekichi/archives/51599973.html
田中康夫さんが有田芳生さんと組んで、参議院選への出馬を発表しています。いまも信州で田中さんを支持する人たちの間では、「誰が長野県での支援を担うのか?」に関心が集まっています。田中さんが人物を評価する基準は「マスコミで有名か、どうか」ですから、産婦人科医の根津八紘さんあたりがやるのかも。
かつて田中さんの後援会の活動をしていた人たちの近況を尋ねてみると、自殺した人、職を失った人、経営していた旅館やお店が無くなってしまった人が、少なからずいるので驚きます。「しなやか」とか「改革」とか、口当たりの良いメルヘンのようなスローガンに付いていっても活路は見えない。それより具体的かつ実践的に、「いま何をするのか?」を考えて実行する段階に入っているのです。田中さんに追随する人たちは、いまだにマスコミを中心に世の中を見ている人たち。暮らしと経済を考える私は、別の道を歩んでいます。先の県知事選で田中さんのビラを配っている人たちには、いかにも善良そうな高齢者の姿が目立ちました。