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2019-09-08

anond:20190908042954

存在する」とは言うが絵に書いたキャラ実在しない。

漫画的なイラスト記号化されていて象形文字に近い。

キャラとは一般に「架空人物」とみなされる事が多い。

しかし「象形文字の塊」「文字また文章」とみなすこともできる。

文章であるならば「価値観問題」として処理されるのは妥当

2019-04-20

漢字作ったやつおかし

この世のあらゆるモノも事象も、それぞれを表す文字を一個ずつ作るって、どうやっても無理っしょ。

1000くらい作ったあたりで気づかんの?

アルファベットはもちろん、エジプト象形文字だって表音文字でしょ?

表意文字マジ無理。

2019-03-08

[]

川南くんがはじめて小説かいたといって見せてきた

なんと書いた媒体は取り外した金玉

玉袋を広げると糸で縫ったような象形文字っぽい文字が並んでるのが見えた

所詮玉袋に書く程度の話だと思ったけど短編以上の長さがあって、これがかなり面白い

途中までしか読めなかったか最後まで読みたくて仕方なかった

知らない人の玉袋触るなんて気持ち悪いーと言っていた知らない女の子も、玉袋さわることが気にならなくなるくらい面白い!と言っていた

2019-02-28

ひらがな漢字を「まとも」にデザインした柄

の服やカバンは、まだ無いのかなあ。。

文字意匠もよくわからん文言英語ばっかりだけど何故だ。サル真似して欧米人に褒められることを喜ぶしか発想がわかない、学生みたいな「デザイナー」だらけだからか?

べつに日本スゴイゴリ推しじゃなくて、象形文字って意匠に活かせそうなのになあ。。中華思想の国でも、漢字をあつらえた模様の布などって見たことあります

2019-02-24

漢字のとめ・はね・はらい・はみだし等を気にしなくていいのは正しいのか?

象形文字だし、教育においても形っていうもの大事にしたほうが良いと思うけど

白と臼とか日と曰くとかもあるし

2019-02-02

鯖って書こうとすると錆になる

鉛筆で試しにやってみて欲しい。

サバ」って頭で思い浮かべながら紙の上に鯖を書いてみてくれ。

魚編ではなく金偏を書いてしまってはいないだろうか?

鯖という時から感じるサーバールーム金属質で空調の効きが強すぎるようなイメージが、指先に伝わって金偏を書かせてはいないだろうか。

漢字象形文字だ。

コンピューターデジタル信号をやり取りするイメージのこびりついた状態で「鯖」を書こうとすれば、指先は自然と「錆」を書かせるだろう。

2018-10-17

anond:20160822214301

いやぁコイツ、いろいろ拗らせててカワイイな。

欧米人は、意味不明日本語の書かれたTシャツを「クール!」と思って着てて、

日本人は、意味不明英語の書かれたTシャツを「かっけぇ!」と思って着てる。

そういうことだよなw

え?俺は古代エジプト象形文字建物が最高!と思ってるよ?(アサクリの影響とは言えない)

2018-03-14

anond:20180314165856

見習って山川出版社の『世界史研究』を引っ張り出して真面目に調べてきた。

文字が生まれたのは、メソポタミア文明紀元前四千年紀ぐらいからって説が有力らしい。

メソポタミアならくさび文字だね。

エジプト象形文字もなかなか。

まだ文字は、できてから万年経ってないんだな。

そうだね、言われてみれば絵の方が先だろうね。

歯形と道具からか、なるほど。

2017-06-01

波括弧{ }を書くとき目的意識の欠如に気づく

主要なプログラミング言語ブロック表現するのに使う { }の呼び名は波括弧でいいのか。

これを紙にペンで書こうとすると、いつもいびつな何かになるのだ。

デフォルメしたクリームパンの上半分を切り取って90度回転させたような、山という漢字の元になった象形文字を90度回転させたような、およそうねうねしただけの何かに。

そして気づかされるのだ、これが目的意識の欠如なのだと。

{ }を書くとき目的は何だ。いうまでもなく、ひとかたまりブロックを囲うことだ。

囲うという役目を表現するためには、記号中央部が外側に膨らんでいることが不可欠である

それゆえ、{ を書いている過程における意識は、前半は頂にむけて膨らませることであり、後半は頂から収束することに向いているべきである

囲うという目的を見失ったままペンを走らせるから私の波括弧はいつもいびつなのだ

2014-04-25

最近IT業界の何でもかんでもアイコンで表す風潮は何だろうか 人類は絵→絵文字象形文字→文字に進歩してきたわけだが絵に退化してしまった

道具(マウスキーボード)を使わず直接触って動かす風潮も退化だと思う

2013-01-08

帰国者の手紙より

手頃な試験問題がないだろうかと講義名をネット検索すると、ときどき同じ学科学生ブログに行き当たることがある。ブログの文章だけで判断してはいけない、そのような判断は間違った思い上がりなのだ自分を制しつつも、こみ上げる嫌悪感を俺はどうしてもとどめることができない。ああ彼は本当に内面生活というものをもたない人間で、うんざりするほど取るに足りない存在なのだな、と。内省とまるで縁のない、産業社会権化のような人間に混じって勉強することが耐えがたい屈辱に思えてきて、俺はあらゆるしがらみを振り払って山のなかに逃げ込みたくなる。

『人の顔というのは一種の象形文字であり、はっきりそれと定まった聖なる符号なのだ』とホフマンスタールは言う。それをもじるならば、精神の仕種もまた聖なる符号なのだ。「産業社会権化」といった。それは確かにロボットではないだろう。『魂がないというふうではけっしてない。また魂の光がきらめくことがじつに稀、というわけでもない』。だがどうだろう。『この人たちは別のことをも口にしうるのではないか、ああ言おうとこう言おうとどうでもいいのではないか』。彼は確かにロボットではない。ところが、精神の仕種が思想に欠けていれば、そこにはもう象形文字の神聖さが失われている。『あのけっして言い表しえない一箇の大いなる背後の思想、人の口から出てくるもののすべてに核を与え、響きを与えるもの、ちょうどつぐみにはつぐみの、豹には豹の声があり、かつその声のうちに言葉はとらええないその存在本質がすべてあらわれているように、およそ語りなるもの人間の語りへと変える背後の思想は・・・・・・』。精神の仕種を俺は求める。『むしろ言葉に出すことなくそれを語ってほしいのだ。声の調子が、立っているさまが、顔が、振る舞いや行ないがそれを語るべきなのだ』。ああ、俺はそれを精神の仕種と呼ぶ。

上下があり、優劣、精粗、左右、賛否があり、市民階級貴族階級があり、同窓仲間があれば貸借関係がある。だがこれらのいずれにも、真の関係の緊密さが欠けているのだ。』相互の関係でなく、個人内部の関係もまた空転している。ロボットならまだしも歯車があったろう。彼らには歯車がない。『互いを噛み合わせるものがない。何かが欠けているのだ。それを表すべき術語は見つからない』。それが大学という場所なのだ

2010-04-16

ジャパニーズスタンダードウェブデザイン

単なる思いつきである(と、最初に逃げておく)。

よくある言説だ。「日本の街並みは汚い、欧米の街並みは美しい」という言説。

2chのネトウヨもそれは認めざるを得ないようだ。いくら「電柱の趣が……」と言ったところで、日本の街並みが雑多であることは否定できない。

さらに言えば、東アジアの街並みは日本に似ているという話は良く聞く。

平たく言えば、何か安心する雑多な街並み。

単なる印象論だが、それは、ウェブデザインにも通じるところはないだろうか。

例えば、楽天に出店している店舗のページを見ると、雑多な印象を受ける。

あざといとも言える広告のようなページだ。

印象論ということを前提に呼んでいただきたいのだが、その点、欧米オンラインストアのページは洗練されたスマートデザインの様な印象を受ける。もちろん、欧米でもアダルトサイトは、例のごとく、迷宮のように雑多なデザインの所が多いけれども。

それで、街並みとウェブサイトが類似している点がないかな、というのが私の思いつきだ。さらに思いつきを続けると、日本の街並みとウェブサイトが「雑多」にならざるを得ないのは、「漢字」の存在が大きいような気もする。漢字象形文字的側面が大きいので、(アルファベットに比べて)表現としてダイレクトなのだ。例えば、日本語に「ひらがな」しかなかったのならば、日本でも欧米のようにスマートデザインが嗜好されていた可能性もあると思う(もっとも、基本、ハングルだけの韓国の街並みは雑多なようだが)

「雑多」なページというのは、ある意味で下品なんだろうけれど、逆に安心できたり、(ドンキホーテの商品の並びように)ワクワク出来たりするデザインである。名前の通り、「雑多」だということは、様々な価値観が入り交じっているということでもあり、許容できる価値観の幅が広いということだ。多分、そこ人に安心感を見出すのだろうし、頭の悪さという意味での敷居の低さを感じるのだろうと思う。

反対に、スマートな美しいデザインサイトで要求されるのは、「何をどう割り切るか」というセンスであり、その結果としてのシンプルユーモアであろうと思う。グーグルアップルはこちら側の代表例だ。こちらも主に人類普遍性という意味で敷居が低い。

私は個人的には「万人に共通する絶対的価値観」という物はないと思っている。

ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観真実に近いと思っている。

だから、両方の価値観を知らないと、世界全体を俯瞰することは出来ないのではないかと思う。

(もちろん、これも一つの価値観なのだが)

もし私の考えが合っているならば、日本インターネットグーグルに代表される米国IT業界に対抗するには、「雑多性」を追求するべきなのかも知れない。

実際、グーグルは「インターネット情報を整理して見通しを良くしよう」としているように見えるが、最近、元気なGREEなりmixiなりモバゲーなりは、「(いろいろなサービスがごちゃ混ぜになっている、デザインが野暮ったい等の)雑多性」もそうだが、「(グーグル検索に引っかからない)SNSという仕組みでネットの見通しを悪くし、多様な価値観を許容出来るような方向性」を目指しているように見える(大体、検索の性能が良すぎるから、自分意見の違う人間を見つけやすいのであって、争いが起きやすいのであって、殺伐としやすいのである)。

すでにウェブ上に落ちているアイディアかも知れないし、そんなに大した話でもないのだが、何か日本におけるウェブサービス収益化のヒントになると嬉しい。まあ、増田に書いたところでどれだけの業界人が見てくれるかは分からないけど(自分ブログに書いても誰も見ないだろうしなあw)。

2009-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20091019222312

表音文字の優越なんてアイディア自体考えたこともなかったけど、言われてみると主張している人達の気持ちもわかる気が。

象形文字というか絵文字のようなものをつなげて文章だと言っているわけで、これは原始的な文字体系と見えないこともない。

使っている方としては絵だという意識はなくて、表音文字と同程度に抽象化度の高い記号体系なんだけれど。

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