単なる思いつきである(と、最初に逃げておく)。
よくある言説だ。「日本の街並みは汚い、欧米の街並みは美しい」という言説。
2chのネトウヨもそれは認めざるを得ないようだ。いくら「電柱の趣が……」と言ったところで、日本の街並みが雑多であることは否定できない。
さらに言えば、東アジアの街並みは日本に似ているという話は良く聞く。
平たく言えば、何か安心する雑多な街並み。
単なる印象論だが、それは、ウェブデザインにも通じるところはないだろうか。
例えば、楽天に出店している店舗のページを見ると、雑多な印象を受ける。
あざといとも言える広告のようなページだ。
印象論ということを前提に呼んでいただきたいのだが、その点、欧米のオンラインストアのページは洗練されたスマートなデザインの様な印象を受ける。もちろん、欧米でもアダルトサイトは、例のごとく、迷宮のように雑多なデザインの所が多いけれども。
それで、街並みとウェブサイトが類似している点がないかな、というのが私の思いつきだ。さらに思いつきを続けると、日本の街並みとウェブサイトが「雑多」にならざるを得ないのは、「漢字」の存在が大きいような気もする。漢字は象形文字的側面が大きいので、(アルファベットに比べて)表現としてダイレクトなのだ。例えば、日本語に「ひらがな」しかなかったのならば、日本でも欧米のようにスマートなデザインが嗜好されていた可能性もあると思う(もっとも、基本、ハングルだけの韓国の街並みは雑多なようだが)
「雑多」なページというのは、ある意味で下品なんだろうけれど、逆に安心できたり、(ドンキホーテの商品の並びように)ワクワク出来たりするデザインである。名前の通り、「雑多」だということは、様々な価値観が入り交じっているということでもあり、許容できる価値観の幅が広いということだ。多分、そこ人に安心感を見出すのだろうし、頭の悪さという意味での敷居の低さを感じるのだろうと思う。
反対に、スマートな美しいデザインのサイトで要求されるのは、「何をどう割り切るか」というセンスであり、その結果としてのシンプルとユーモアであろうと思う。グーグルやアップルはこちら側の代表例だ。こちらも主に人類の普遍性という意味で敷居が低い。
私は個人的には「万人に共通する絶対的価値観」という物はないと思っている。
ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観も真実に近いと思っている。
だから、両方の価値観を知らないと、世界全体を俯瞰することは出来ないのではないかと思う。
(もちろん、これも一つの価値観なのだが)
もし私の考えが合っているならば、日本がインターネットでグーグルに代表される米国IT業界に対抗するには、「雑多性」を追求するべきなのかも知れない。
実際、グーグルは「インターネットの情報を整理して見通しを良くしよう」としているように見えるが、最近、元気なGREEなりmixiなりモバゲーなりは、「(いろいろなサービスがごちゃ混ぜになっている、デザインが野暮ったい等の)雑多性」もそうだが、「(グーグルの検索に引っかからない)SNSという仕組みでネットの見通しを悪くし、多様な価値観を許容出来るような方向性」を目指しているように見える(大体、検索の性能が良すぎるから、自分と意見の違う人間を見つけやすいのであって、争いが起きやすいのであって、殺伐としやすいのである)。
すでにウェブ上に落ちているアイディアかも知れないし、そんなに大した話でもないのだが、何か日本におけるウェブサービスの収益化のヒントになると嬉しい。まあ、増田に書いたところでどれだけの業界人が見てくれるかは分からないけど(自分のブログに書いても誰も見ないだろうしなあw)。
ある個人として信奉する「絶対的価値観」が真実に近かったとするならば、必ず、それと反対側の価値観も真実に近いと思っている。 どうしてもこれがピンとこない。 それぞれそ...
哲学よりも哲学史を勉強することが真実に近づくことなのか。 そうかも知れないし、そうでないかも知れない。